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生涯に一度の夜(レイ・ブラッドベリ)

1, 2週間ほど前,HTTPのステータスコード451が話題になった. 政府の検閲で消されたページを表わす「451エラー」がスタート - GIGAZINE http://gigazine.net/news/20151222-http-status-code-451/ このステイタスコードは,レイ・ブラッドベリの「華氏451度」に因んでいるという.それで,ブラッドベリの作品について書いてみたくなった.内容的に,クリスマス前にエントリにしたかったのだが,この時期になったのは残念だ(いつものことであるけれども). ブラッドベリは,一言で言えば,SF作家,小説家ということになるだろうか ( Wikipedia の記事 ).普段私があまり読まないジャンルの作家で,私も数冊くらいしか読んだことがないのだが,今回のエントリで対象とする短編集「二人がここにいる不思議」は,ブラッドベリの最高傑作の一つではないかと思っている. …などと,ブラッドベリに詳しくもないくせに偉そうなことを書くと,諸賢から叱責されるのが目に見えるようだが,要はそれくらいこの短編集が好きであるということだ.いまAmazonで調べたところ,日本語訳は絶版であり,kindle化もされてないようだ.こんな名作が埋もれてしまうのは残念なので,やはり,ブラッドベリに詳しくない私でも,あえてこのブログで記事にしてみたい. 「二人がここにいる不思議」所収の短編はどれも傑作なのだが,特にここではその一つの短編,「生涯に一度の夜」について書いてみたいと思う. 「生涯に一度の夜」の主人公は,トマス(トム)である.トマスは,妻ヘレンと離婚したばかりだった.その理由については明らかにされていないが,読者にはその理由が分かる.トマスとヘレンは,お互いをよく理解しあえなかったのだ. トマスは,十七歳のころの願いを忘れることのできないような,良くも悪くもロマンチックな男だった.一方で,ヘレンはそれとは対照的に,あくまでも現実的で都会的な女性だったのである. トマスの願望とは,以下のようなものだった. 春の夜の散歩というのに憧れていてね.そら,朝まで温度が下がらない,暖かい夜があるだろう.歩くんだ.女の子と一緒に.一時間ほど歩くうちに,まわりの物音や景色から切り離されたような場所に着く.丘を登って腰を下ろす.星を見上げる.(中略) まわり中に町

自分が世界の主人公でないと気づいたのはいつだったか

はてな匿名ダイアリーで,以下のような記事があった: 自分が世界の主役じゃないって気づいたのはいつだったか http://anond.hatelabo.jp/20151210070424 これを読んで,井上靖の詩集「北国」所収の「流星」という詩を思い出した. 日本ペンクラブ:電子文藝館  から記載する: 流 星 高等学校の学生のころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマ ントに身を包み、仰向(あおむ)けに横たわって、星の流 れるのを見たことがある。十一月の凍った星座から、一 条の青光をひらめかし忽焉(こつえん)とかき消えたその 星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かした ものはなかった。私はいつまでも砂丘の上に横たわって いた。自分こそ、やがて落ちてくるその星を己が額に受 けとめる、地上におけるただ一人の人間であることを、 私はいささかも疑わなかった。 それから今日までに十数年の歳月がたった。今宵、この 国の多恨なる青春の亡骸(なきがら)――鉄屑(てつくず) と瓦礫(がれき)の荒涼たる都会の風景の上に、長く尾を ひいて疾走する一個の星を見た。眼をとじ煉瓦を枕にし ている私の額には、もはや何ものも落ちてこようとは思 われなかった。その一瞬の小さい祭典の無縁さ。戦乱荒 亡の中に喪失した己が青春に似て、その星の行方は知る べくもない。ただ、いつまでも私の瞼(まぶた)から消え ないものは、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する 星というものの終焉のおどろくべき清潔さだけであった。 この詩集についてはこのブログで何度か言及したことがある.私はこの詩集が本当に好きで,繰り返し読んだ. 私は多分,物心ついたときから,自分が世界の主人公であるとは思ったことはない.やがて落ちてくる星を,己が額に受け止めるにふさわしい人材とも思ってない.今後もそうだろう. しかし,この世にはこの詩集を心から愛する人が数多く存在し,自分もその一人であるということを,いささかも疑ったことはない.世界における自分の役割とは,そんなところなのかもしれないし,それでいいではないかとも思ったりする.