投稿

2月, 2016の投稿を表示しています

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町(中島らも)

先日, 生涯に一度の夜 という記事を書き,それから連想して,中島らもによる「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」のことを書いてみたくなった.なおこの作品については,以前, 本をあまり読まない中高生に薦めたい10作品(その2) でも言及した. 中島らもは,ほぼ団塊の世代であり,70年代のヒッピー文化や安保闘争の時代に青春を送っている.酒やドラッグによる破滅的な人生を送った人だった.このあたりはらも自身がエッセイなどに度々書いているが,特に,らも夫人である中島美代子による「らも ― 中島らもとの三十五年」を読むと,凄まじい.そもそも70年代の日本の若者文化は,アメリカ文化を薄っぺらになぞったものであり,そういう時代背景の極北に,らもの人生もあるのかもしれない. しかしそれでも,中島らもの人生には,私を惹きつける何かがある.特に,らもが作家活動を本格的に始めた当初の作品の中の,「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」「今夜,すべてのバーで」「頭の中がカユいんだ」などは,今でも強く印象に残っている. 「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」は,中島らもの,エッセイ風自伝と言えるだろう.中島らもは,中高時代は灘校であり,親が歯科医という恵まれた家庭でもあったから,そのまますんなり行けば,エリートと言われるような人生を歩んでいたことだろう.だが,そうはならなかった.らもは,中高時代,以下のような思いに責め苛まれていた: そのころの僕は,自分が腐った膿(うみ)のかたまりであることを自覚していた.もちろん世界は自分よりもっと腐っていて,いっそもろともに爆発し,消滅してしまうことを望んでいた. 当時のヒッピー運動に強く影響されていたこともあって,中島らもは,酒や薬物に溺れていくようになる.そして,それらの行為の背後には,常に死と破滅の色濃い影がある.この影は,生涯を通じて,らもを覆っていたように思えてならない. このような生き方で,中高時代がうまく行くわけもない.また,当然のごとく大学受験にも失敗した.この本では,浪人時代,大学時代の生活が,中高時代とは違い,あまり詳しく述べられていない.その理由として,らもは,それらがあまりにも不安な日々だったために,記憶が抑圧されていて,当時のことを思い出せないからだという. 本書で,中島らもの十代二十代は,ポール・ニザンの有名な言葉によって,間接的にではあるが