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4月, 2006の投稿を表示しています

ギャル文字と Leetspeak

Boing Boing で,"leetspeak" に関する Wikipedia の記事の紹介があり,それがちょっと興味深かったので,ここに書いておきたい. Deep and surprising "origins of leetspeek" Wikipedia article http://www.boingboing.net/2006/03/31/deep_and_surprising_.html leetspeak とは,アルファベット文字を,いくつかの文字や記号で置き換える,インターネットの隠語的な表現方法である.実際の例をあげた方が分かりやすいだろう.下記の文字列は,何と書いてあるかお分かりいただけるだろうか. |\|0\/\/ 15 7|-|3 71|\/|3 (実際は,バックスラッシュはいわゆる半角文字で書くのだが,円記号になってしまってうまく表示できないので,ここでは全角で書いた) じっと見ていればお分かりいただけるかもしれないが,これは,「NOW IS THE TIME」の leetspeak の一つである.leetspeak では,たとえば「A」「B」「D」をそれぞれ「4」「|3」「[ )」などと書く.上記の Boing Boing のエントリで紹介された Wikipedia の記事( Leet )で大変詳しい記述がなされているので,興味がある方は是非一読されたい.それによれば,「leet」という言葉は,BBC Master/Microという昔のホームコンピュータ上のゲーム,「Elite」に由来するということだ.ネットはそれなりに長いことやっているが,leetspeak という言葉は知らなかった.アスキーアートの原型のようなものなのかもしれない. 私がこのBoing Boing のエントリを興味深いと思ったのは,日本でも同じようなことをやっているからである.皆さんは,以下に何と書いてあるか,読めるだろうか. こωL=ちレ£レ†’’w(キ もう大体お分かりいただけるかもしれないが,「こんにちはげんき」と書いてある.Boing Boing のエントリを読んで,随分前のTVニュースで,日本の女子高生が携帯メールでこのような文字を使うという報道があり,感心したのを思い出した.調べてみると,これは「ギャル文字」という

数学者の言葉では (藤原正彦)

すでに過去の話題になっているのかもしれないが,藤原正彦の「国家の品格」 (新潮新書) が売れているという.新書で100万部を突破したというから相当なものだ.それで,昔藤原正彦のエッセイを繰り返し読んだことを懐かしく思い出した. 藤原正彦は,御茶ノ水女子大学の教授で,専攻は数学である.また,新田次郎の息子であり,そのせいというわけでもないだろうが,エッセイが巧みである.その中で最も有名なのは,エッセイストクラブ章を受賞した処女作「若き数学者のアメリカ」であろうが,今回は「数学者の言葉では」(新潮文庫)について書いてみたい. 「数学者の言葉では」には,数学や文学に関するエッセイ,新婚時代の夫人の話,父新田次郎の話など,さまざまなエッセイが収められている.読んでいくうちに滲み出てくるようなユーモア,数学や学問・文化に対する独特の視点,いずれも含蓄があり,著者独特のものである.この本に収められたどの話も興味深いのであるが,中でも,「学問を志す人へ ─ ハナの手紙」で語られる,大学院生の苦悩の話が身につまされた. 著者のもとに,以前コロラド大学で教鞭をとっていたころの女子学生,ジョハナ・ダノス(愛称ハナ)から手紙が届く.彼女の手紙には,級友などとの感情的行き違い,自分の能力や将来に対する不安,自分の研究の価値に対する疑問など,大学院での苦悩が縷々したためられてあった.著者はハナを激励し,鼓舞するが,彼女の苦しみが痛いほど理解できた.何故なら,彼女の苦悩は,多かれ少なかれ,学問や研究を志す者に共通するものであるからである.この話から,著者は,学問ということ,また,学問を志すということについて考察していく. 著者は,学問を志す人の性格条件として,以下の四つを挙げる.すなわち,(1)知的好奇心が強いこと,(2)野心的であること,(3)執拗であること,そして最後に,(4)楽観的であること,である.それぞれもっともなのであるが,ここでは,この最後の条件,「楽観的であること」について述べてみたい. 学問を志すものは,まず,困難な問題に直面しても,何とかなるだろうと楽観的でなければならない.そうでなければ,解決できる問題すら解決できなくなってしまうからである.さらに,学問を志すものに共通する三つの不安,すなわち,自分の能力に対する不安,自分のしていることの価値に対する不安,自分の将来に対す

聖書を読む - 途中経過

聖書の通読を思い立ち,こつこつ読むようになって丸7か月がすぎた(参照: 聖書を読む ).読んだ日は ブログ に記録をつけることにしており,2006年3月31日の段階で,134回(日数),554ページを読んでいる.1回の読書あたり,平均して4.1ページ強といったところであるが,この7か月は計212日間あるので,すべての日数で平均をとれば,一日当りわずか2.6ページである.忙しいときはなかなか読めないのであるが,当初は(読まない日も含めて)1日平均4,5 ページ読もうと考えていたので,予定の半分程度しか読めていないことになる.私が読んでいる聖書は文語訳なので,すらすら読めないということもあるが,なかなか思うようにいかないものだ.この聖書は旧・新約あわせて2129ページあるので,このままのペースだと,あと1年8カ月くらいかかりそうである.途中でやめたりすることなく,こつこつと続けていこうと思う.

聖書を読む - 民数記読了

聖書をこつこつ読んでおり(参照: 聖書を読む ),現在,サムエル前書を読んでいるところである.今回,随分間があいてしまったが,民数記( 民數紀略読了 (2005年12月5日) )について書くことにしたい. 民数記は,旧約聖書の第4巻で,モーセ五書の一つである.民数記では,イスラエル民族がエジプトを脱出してから,シナイを経て,乳と蜜の流れる地カナンを目指し,モアブに至るまでの経緯を記している.民数記という書名の由来は,いくつかの章で,イスラエル民族の人口調査を行っていることによる.民数記は英語では,Numbers という. この民数記では,カナンの地に向かう移動の過程において,イスラエル民族のエホバに対する不信仰が繰り返される.たとえば,シナイを出発してすぐ,民は不平不満を漏らすようになる. 4. 茲に彼等の中なる衆多(おほく)の寄集人等(よりあつまりびとども)慾心を起すイスラエルの子孫(ひとびと)もまた再び哭て言ふ誰か我らに肉を與へて食しめんか 5. 憶(おも)ひ出(いづ)るに我等エジプトにありし時は魚 黄瓜 水瓜(すゐくわ) 韮 葱(ひともじ)靑蒜(にんにく)等を心のまゝに食へり 6. 然るに今は我儕の精神枯衰ふ我らの目の前にはこのマナの外何も有ざるなりと(第11章) このイスラエル民族に対し,エホバは激怒する.そして,両者の間でモーセは苦悩するのである. 14. 我は一人にてはこの總體(すべて)の民をわが任(に)として負(おふ)ことあたはず是は我には重きに過ればなり 15. 我もし汝の前に恩(めぐみ)を獲ば請ふ斯我を為んよりは寧ろ直(たゞち)に我を殺したまへ我をしてわが困苦(くるしみ)を見せしめたまふ勿れ(第11章) エホバに対する,モーセの悲痛極まりない叫び.ここにあるのは,預言者モーセというより,人間モーセの痛切な苦悶である.この叫びには,誰しも胸ひしがれるような思いがすることだろう. それから,イスラエル民族の背信といってもよい不信行為は,ついに破滅的な展開を迎える.いよいよカナンの地に至ろうとするとき,イスラエル民族は偵察隊を送る.その結果,そこに強大な民族が住んでいることを知った彼らは,恐慌状態に陥り,エジプトに戻ろうとする.これには,エホバもとうとう堪忍袋の緒が切れてしまう. 11. ヱホバすなはちモーセに言たまはく此民は何時(いつ)まで我をかろんず