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小説に書けなかった自伝 (新田次郎)

小説家のすべてはその処女作にあるということはよく言われるが,そのような小説家の一人として私が思い浮かべる山崎豊子について,昨年, 暖簾(山崎豊子) というエントリを書いた.このような,作家とその処女作については,他にもいろいろと思い浮かべる小説家はいるのだが,その一人として,新田次郎とその処女作「強力伝」について,次にエントリを書くつもりだった(もう半年も過ぎてしまったが).しかし,最近,家族や人生についていろいろと考えることもあり,予定を変えて,新田次郎の「小説に書けなかった自伝」を読んで思うことを,まとまりなく書いてみたい. 新田次郎 は,本名が藤原寛人,藤原正彦先生(そのエッセイ「数学者の言葉では」については以前本ブログで エントリ を書いた)の実父であり,その夫人,藤原ていもまた有名な作家である.代表作として,映画化もされた「八甲田山死の彷徨」などがあり,いわゆる山岳小説家として知られている.その作風が肌に合うのか,私は新田次郎の作品が好きで,昔はよく読んだ.出版不況と呼ばれる現在でも,新田次郎の作品は本屋の棚のそれなりの一角をしめていることが多く,いまだに人気がある作家なのではないだろうか. この「小説に書けなかった自伝」は,新田次郎が,戦後,中央気象台(現在の気象庁)に勤めているとき,少なかった収入を補うため,小説を書き始めるところから始まっている.それから,新潮社から新田次郎全集が発刊され,吉川英治文学賞を受賞するに至るまでの間の,主にその作家生活に焦点を当てて,さまざまなエッセイがつづられていく. 新田次郎のファンにとっては,非常に興味深い内容である.たとえば,私は恥ずかしながら知らなかったのだが,新田次郎は,強力伝の前に,「超成層圏の秘密」「狐火」といった作品を出版しており,実質的にはそれらが処女作となる(Wikipedia の 新田次郎 のエントリには書いてあるのだが).また,当初,副収入のために始めた作家稼業に次第にのめりこんでいく過程や,気象庁の役人の仕事との二足のわらじを履くことによって起こるさまざまな葛藤,あるいは,有名な新田作品がどのような状況で執筆されたか等々,新田次郎の愛読者であれば,強く関心がそそられる内容となっている. だが,新田次郎のファンでない方にとっては,やや物足りないような思いをされるかもしれない.また,藤原ていのあの壮