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ケストナーの母の読書法

私はいわゆる児童文学を読むのが好きで、このブログでもいくつかを紹介してきた( 野ばら (小川未明) 、 チョコレート戦争 (大石真) 等)。今は忙しく、児童文学どころか普通の小説すらなかなか読めないのが残念である。 そんな状況をしばらくかこっていたのであるが、去年たまたまケストナーによるある本を読んでいたところ、長い間探していた文章をとうとう見つけることがあった。世の中、何があるかは分からない。そこで、記録のためエントリにしておきたい。 そのとき私が読んでいた本は、ケストナーの「点子ちゃんとアントン」で、ずっと探していた文章とは、以下のものである: 立ち止まって考えたこと その5 ― 知りたがりについて  ぼく(註: ケストナー)の母の、長編小説の読み方は、こうだ。まず、最初の二十ページを読んだら、こんどは終わりのところを読む。それから、まん中へんをぱらぱらとのぞいて、ようやく本腰を入れて、最初から最後まで読むのだ。どうしてそんなことをするかって?  その小説の終わりがどんなか、知っておかないと、おちおち安心して読めないのだ。おちつかないのだ。みんなは、そんなくせをつけてはいけないよ!  万が一、もうそんなくせがついていたら、やめること。わかったね?   これはつまり、クリスマスの二週間まえに、どんなプレゼントをもらえるのか知りたくて、母さんのたんすをひっかき回すようなものだ。そうしたら、プレゼントをくばるからおいで、と言われたときには、みんなはもうすっかり知っていることになる。そんなの、つまらなくないか?  みんなは、プレゼントを見て、びっくりしなきゃならないわけだけれど、なにをもらえるかは、とっくにわかっているのだ。父さんや母さんは、どうしてみんなが心からうれしそうじゃないのだろうって、思うだろう。クリスマスは、みんなにとっても、それから母さんや父さんにとっても、気の抜けたものになってしまうだろう。      「点子ちゃんとアントン」(エーリッヒ・ケストナー、岩波少年文庫) 上記の「立ち止まって考えたこと」という文章は、「点子ちゃんとアントン」にあるいくつかの挿話で、本筋のストーリーとは関係ない話である。そして「その5」の内容は、ケストナーの母の読書法に関するもので、まあ変わった読み方とはいえるものの、こういう読み方をする人は他にもいるかもしれない。特に近頃話題

ブログ開設18周年と、たゆまず歩いていくということ

年末なので、恒例のブログ開設記念エントリを書いてみたいと思います。やはり一年に一度はこのエントリを書かないと、どうも落ち着かないので。まあこの手のエントリを書くのは Blogger では初めてなので、ご容赦ください。と言っても、来年以降も書くつもりですが(苦笑) それで本題ですが、このブログは、(今はない)ウェブリブログに 2005 年 7 月に開設し、そのウェブリブログの廃止にともなって、2022 年 8 月に Blogger に移転しました。ほとんど更新できていませんが、まだ今でも続いていると強弁することにすれば、かれこれ 18 年続いていることになります。 18 年。18 年か―。 民法改正があったので、18 歳は成年年齢になります。このブログが始まった年に生まれた人は、もう立派な大人なのです( 法務省:民法(成年年齢関係)改正 Q&A )。18 年という時間は、十分に長いということが言えるでしょう。 それくらい長い間なのだから、この 18 年、私にもいろんなことがありました。個人的のことはネットに(なるべく)書かないようにしているので、読者の方には意味不明でしょう。しかし私には、いろいろあった当時のエントリを読むと、胸をつかれることもあるのです。 それやこれやでこの 18 年を思い返してみると、どうしても人生ということに思いをはせてしまいます。人が生きていると、本当に、いろいろなしがらみや悩みが増えていきます。生きていくことは大変なことだと痛感することも少なくありません。そういうとき、太宰治の文章をよく思い出すのです。 鎖につながれたら、鎖のまま歩く。十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く。笑ってはいけない。私たち、これより他に生きるみちがなくなっている。                  「一日の労苦」(太宰治) 重りを体に鎖でつけられ、それを引きずりながら生きていく。それが人生ということなのでしょう。 そしてまた、漱石の手紙を思い出すのです。 牛になることはどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾(ろうかい)なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕(はら)める事ある相の子位な程度のものです。あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不

40, 50 代の趣味

 こんな記事があった: 40.50代の人の趣味ってなに? https://anond.hatelabo.jp/20231207095703 その記事に対する、はてなブックマークのコメント: [B! 趣味] 40.50代の人の趣味ってなに? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231207095703 私がちょうどこの世代なので、考えさせられる。 私も以前は、時間があれば、仕事以外の分野の勉強(歴史、文学)、音楽(ピアノ、ギター)、料理、旅行、映画、等々を趣味にしたいと考えたことがあった。しかし今は、そんなことは考えていない。 私に今あるのは、時間がないことに対する、ひりつくような焦燥感である。それは、何をしてても頭をはなれることはない。したがって、趣味に没頭することが難しいのである。 これは私と同世代の人間なら共感してくれると思うのだが、この年齢になると、そろそろ人生の終わりが視界の遠くに入ってくる。人生の残り時間を、意識するようになってくるのである。 そうして、今まで私が過ごしてきた時間と、成し遂げた業績を考え、残りの人生でどれくらいのことができるのか想像してしまうのだ。 残念ながら、私は天才ではなかった。そして、残りの人生で、過去の天才が成し遂げてきた業績と同様のものを成し遂げるのも難しいだろう。では、私はどこまでできるのだろうか。 まあ、そうした思いは、典型的な 中年の危機 の一種なのだろう。我ながら、凡庸であることに苦笑せざるを得ない。 しかしながら、目標達成にむけて、私なりに進歩しているのは実感している。特にここ4年くらいは、コロナ禍のせいで、(普段の仕事はあるが)自分の目標達成に専念することができた。私は引き続き、まっすぐに進んでいきたいのである。言い換えると、私の人生をかけるつもりなのである。そこで、私は、上に書いたような趣味を新たに始めることを、あきらめることにした。 正直言えば未練のような思いはあるが、人生の残り時間が限られていることを思えば、何かを捨てるということは避けられないだろう。 そして、時間さえあれば、自分の目標達成に専念していきたい。もう私には時間はないし、自分の人生に後悔したくはない。 また、この目標は、私の仕事の一環でもある。その仕事には定年があるが、定年後も、一生そ

よい教師とは

ブックマークを整理しているときに、良い教師について、ふと考えた。そのきっかけは、以下の記事(2023年5月20日)である。 教授時代の学生の評価は「最低」 日銀総裁が語った「伝える難しさ」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR5M7642R5MULFA02V.html     日本銀行の植田和男総裁が19日、東京都内で講演し、総裁就任前に教授を務めていた共立女子大(東京都)で、学生からの評価が「最低」だったと明かした。そのうえで、複雑さを増している日銀の金融政策や経済環境を念頭に、「それぐらい分かりやすく伝えることは難しい」と語った。 (中略)  19日の講演で植田氏は、共立女子大での自分の講義に対する学生の評価を紹介した。「ダラダラ話しているばかりで何も分からない」という声のほか、「授業料を返してほしい」といった厳しいものもあったという。 植田氏は東大教授等を歴任していることから、研究上では大きな業績を上げたのだと思われる。しかしそれでもその講義は、学生からの評判は必ずしも芳しくはなかったようだ。 その一つの理由として、よい研究者はよい教師とは限らないということが挙げられるだろう。 そうした点については、以前以下のようなエントリを書いた: 博士号取得者が高校教師になるということ https://dayinthelife-web.blogspot.com/2013/03/blog-post_27.html 今日のエントリは、もう上記エントリで言いつくした内容の焼き直しである。それでもあえて屋上屋を架してみたい。 世間一般では、学問について誤解があるようだ。その背景にあるのは、普通の人が学問についてイメージする内容が、高校レベルで止まっているということである。大学進学率が50%を超えた現在になってもそれは変わらない。 高校まで学ぶ内容については、文科省が学習指導要領を定めている。その結果、検定を受けた教科書があり、 教師用指導教本・資料がある。そして大学入試まで、その指導要領に基づいた試験が行われる。いわば舗装された道ができているのである。 一方で、大学以降の学問には、そのような統一的な道はない。そこにあるのは多様性であり、時として無秩序である。なぜならば、世界と人生がそうだからである。本来我々はその混沌を受け入れなけ

Twitter の終わり

twitter が休眠アカウントを削除するという報道があった。 マスク氏 ツイッター “休眠アカウント” 削除進めると表明 | NHK | IT・ネット Twitter to remove idle accounts, archive them | Reuters twitter は民間企業なので、休眠アカウントを維持していくコストを無視できないという事情はあるだろう。私はそれを責めるつもりはない。私はツイッターに何か課金をしているわけでもないので、その資格もない。 しかし、結果として、もう亡くなった方のアカウントも削除されていくだろう。そういうアカウントは、亡くなった方の生きていた証として大事に思われていたことも多かったのではないか。 私自身、もう亡くなったある方と相互フォローをしていて、それが私にとっても大切な思い出となっていた。また、それが、私が twitter を続けている理由の一つでもある。 もう15年くらいになる。相互フォローになったのは、私が twitter を始めた年だった。そしてそのアカウントも、休眠アカウントとして削除されるのだろう。 少ないながらも、私と10年以上相互フォローしてくださる方もいらっしゃり、それは非常にありがたく思っている。どうもありがとうございます。一方で、休眠アカウントの削除が実施されたときは、心に穴が開いたような気持になることだろう。

イエスは地面に何を書いていたか

しばらく間があいてしまったが、本ブログのエントリ「 ChatGPT とヨハネによる福音書 」の続きを書いてみたい。 先のエントリ に書いたように、ヨハネによる福音書に、イエスが地面に何かを書いていたという場面がある。しかし今となっては、イエスが書いたその内容は知られていない。現在、その内容についてはいくつかの説があるのだが、私は、それらの説にしっくりこない気持ちを抱いていた。一方で、私なりに思うところもあるので、改めて自分の思いをエントリにまとめてみたい。それは、識者にとって失笑される内容かもしれないが、恥をかくのを気にしていたらブログなどとても書けない。ので、気にしないことにする。 前置きが長くなったが、最初に、イエスが地面に書いていた場面を簡単に説明しよう。以下では手抜きだが、ChatGPT による説明を再掲することにする: この場面は、ファリサイ人たちが罪を犯した女性を持ってイエスの前に連れてきて、イエスに「この女性は、姦淫の現場で捕まりました。モーセは、このような女は石打ちにして殺せと命じていますが、あなたはどう思いますか?」と問いかけたときに起こりました。イエスは、何も言わずに地面に指で何かを書き始めました。その後、ファリサイ人たちがイエスに対して質問を繰り返すと、イエスは「あなたがたの中で罪のない者が最初に石を投げるがよい」と答えたとされています。 この後、イエスは「そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた」(ヨハネ8:8) この場面では、ファリサイ人が、イエスを陥れようとしているのである(ヨハネ8:6)。当時、この女を石打ちにすることもしないことも、イエスにとっては困難な状況であった。そしてイエスは、ファリサイ人の問いには答えず、地面に何かを書いて、その間に上記の有名な言葉を語ったのであった。 ここで印象的なのは、やはり地面に何かを書いていたイエスの振舞いである。あまりに奇妙で、唐突ではないだろうか。単に上記のセリフ(「あなたがたの中で罪のない者が最初に石を投げるがよい」)を言うだけでこのエピソードは完結するのに、なぜわざわざ地面に何かを書く必要があったのか。そして、イエスは何を書いたのか。 当然、イエスは、自らを陥れようとしたファリサイ人の悪意を完全に見抜いていただろう。そこで、もしイエスが私のような凡夫であれば、世の中馬鹿ばかりと絶望して

大江健三郎死去

もう3週間前のニュースになってしまったが、時代の記録としてエントリにしておきたい。 大江健三郎が、今年3月の初めに亡くなった。 ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 | NHK | 訃報 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html 私も、以前大江健三郎についてエントリを書いたことがある。もう10年前になるのか。 大江健三郎について https://dayinthelife-web.blogspot.com/2012/08/blog-post.html 上記エントリでは、大江健三郎の作品の書評をいつか書いてみたいなどと偉そうなことを書いていたが、忙しさにかまけて結局できなかった。このブログでは、そんなことばかりであるけれども。 大江健三郎の傑作としてネットで挙げられているのは、「万延元年のフットボール」が多かったようだ。しかし私は、本ブログのエントリとしては、やはり「静かな生活」について書いてみたい。ただ軽い気持ちではエントリにできないため、時間が経つままになってしまっていた。 私の知識では、大江健三郎の作品を深く論じることはとてもできない。しかしそのいくつかの作品は、私の読書の経験の中で、かけがえのない存在となっている。 あらためて、お悔やみを申し上げます。