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生への執着

大した内容のエントリではないけれども,せっかくなのでブログに記録しておきたい. 一週間ほど前になるが,下記の動画を見て大変興味深く思った. Kinect + HMDでバーチャルリアリティ Kinect + HMDでバーチャルリアリティ - ニコニコ動画 なお,youtube でも 同じ動画 が見られる. 研究室レベルならともかく,もう家庭で上記動画のようなことが実現できる時代になっている. Kinect というのは,相当に面白いデバイスのようだ.来年はきっともっとさまざまなことができるようになっているだろう.Kinect に限らないが,こうした技術を見るとわくわくして,まだまだ死にたくないなあと思う. そう考えてみて,池波正太郎の「食卓の情景」( 本ブログの記事 )にある,ちょっとしたエピソードを思い出した.著者は,京都に旅行後丹後に寄り,宮津で甘鯛(ぐじ)を買い求め,帰京する. 「重いのに,よせばよかったのに…」 などと母や家内にいわれたけれども,翌朝,かるく焼いて食べてみると,塩加減がよく,おもわず舌つづみを鳴らしてしまった. 母は眼を細めて,甘鯛を食べ終え, 「もう,死んでもいいくらいにうまかった」 と,いいさし,ちろりと私をぬすみ見てから,こういった. 「でも,私が死んだあとで,テレビが,どんなにおもしろい番組をやるかとおもうと,こころ残りがしてねえ」 「食卓の情景」が書かれた当時(1980年ごろ),池波の母は70歳以上だったはずだが,その時代の老人の娯楽としてテレビは大きな位置を占めていたのだろう.たわいないエピソードと言えばそれまでだが,私はこの話が好きだ.そして,上記動画を見たときの私の心境も似たようなものだろう. 自分の仕事の上でやりたい事や,ネットでは言及しないことにしているプライベートなことを考えても,あと少なくとも2,30年は死にたくないと思い,またその気持ちは年々強くなっている気がする.こうした思いが生への執着ということだろうし,年をとるということなのかもしれない.ただ,長生きしたいという思いは,どこかかすかに不遜なところがあるような感じもするし,けっきょく寿命というのは神の思し召しで決まるものであるから,長生きしたいと考えても意味がないといえばないのかもしれない.一日一日,真摯に生きていくことが,人間のできる最大のことなのだろう. ・・・

坊っちゃん (夏目漱石)

先日のエントリ( 仰臥漫録 (その2) )で夏目漱石の「坊っちゃん」に少しだけふれたこともあり,あらためて読み返してみた.この小説は何度か読んだが,最後に読んでから,かれこれ20年ほどにもなるのではないか.読了後,いろいろと思うことがあったので,ブログの記事にしてみたい. 「坊っちゃん」のストーリーは,単純明快である.「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」性格の坊っちゃんは,東京の物理学校卒業後,四国の田舎の(旧制)中学に教師として赴任する.その直情径行な性格ゆえに坊っちゃんは周囲と様々なあつれきを起こすが,同じような性格の山嵐とは意気投合する.ところが山嵐は,教頭である赤シャツにとって目の上のこぶのような存在であり,ついには辞職させられる.赤シャツは帝大卒の文学士でありながら,陋劣で権謀術数を用いるタイプとして描かれており,英語教師であるうらなりの婚約者であるマドンナを我がものとするため,うらなりを宮崎の延岡においやってしまう.こういった状況に憤った坊ちゃんと山嵐は,芸者遊び帰りの赤シャツとのその太鼓持ちである野だをつかまえ,鉄拳制裁を加える.その後坊ちゃんと山嵐は学校を去り,坊ちゃんは東京に戻って下女の清と再び暮らしたのであった. 「坊ちゃん」の内容は大衆的であり,また小学校の国語教科書にその冒頭の部分が収録されることも多いことから,漱石の作品の中では最もよく読まれているものの一つといわれている.しかしまた,それ故に,この小説はあまり高くは評価されていないように思える.Amazon の書評を2,30読んだ限りでも,好意的な内容でも,痛快な小説である,あるいは,漱石作品への導入としていいのではないか,といったものが多いようだ.一方,否定的なレビューとしては,はっきりと駄作であると決めつけているものも散見した. 確かにそういった意見も一理あるとは思うのだが,私には,「坊っちゃん」という小説はそれだけではないように思われる.では,「坊っちゃん」はどういう作品だろうか.単純にまとめれば,「坊っちゃん」は,敗北と勝利の物語であり,そして,「マドンナ」の物語であるといえるのではないだろうか. もちろん,人生を勝ち負けで分けることには意味がないことは,重々承知しているつもりである.しかし,この小説ではその輪郭があまりにもはっきりしているように思われる(そのことは,こ

宇宙の無限と人間の小ささ

一週間ほど前になるが,以下のような記事を見かけた. ブラックホール、あと500年で衝突か 「超接近」発見 http://www.asahi.com/science/update/1201/TKY201012010175.html  約500年でぶつかるほど近くにある二つの超巨大ブラックホール(BH)を、国立天文台や岐阜大、名古屋大の観測チームが見つけた。重さは太陽の8億倍と12億倍。お互いの距離は0.02光年で、どんどん接近している。宇宙の歴史から考えると、500年は衝突直前に等しい。BHが衝突、合体して大きくなっていくという仮説の有力な証拠になりそうだ。1日付の米専門誌に掲載された。 急接近!衝突直前のブラックホール、初観測 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101130-OYT1T01171.htm  同天文台の井口聖准教授らは、2003年に発見したふたつのブラックホールが放出する電波を3年間以上にわたり観測。その結果、大きい方の質量は太陽の12億倍、小さい方は8億倍あることが分かった。電波の強度が変動する周期などから、双方の距離は0・02光年(1900億キロ)しか離れておらず、急接近していることも突き止めた。500年前後で衝突し、一つに合体すると予想される。 二つのブラックホールが衝突しつつあるという記事であるが,小さいほうのブラックホールでも太陽の「8億倍」(太陽の質量は,惑星や銀河の質量を表す単位として用いられる.参照「 太陽質量 」)で,それらは0・02光年(1900億キロ)「しか」離れておらず,500年後にぶつかるという衝突「直前」の状況にあるというから,いかにも天文学的な,スケールの大きい話である. このような,無限ともいうべき宇宙の大きさを実感できるサイトとして,以下のウェブページがある. Nikon | ニコン チャンネル | ユニバースケール https://www.jp.nikon.com/company/corporate/sp/universcale/ 私はこのサイトが好きで,ときどき訪問する.この映像を見ていると,宇宙の大きさが文字通り想像すらできないものであるということが感覚的に分かり,くらくらしてくる.同時に,この宇宙の大きさに比較して,我々人間が如何に小さな存在であるかということも実感