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才能と時代

ちょっと時期を外したのだけれど,以下の記事と,ネットでのその反応が興味深かった. 手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う http://anond.hatelabo.jp/20090821204803 私は手塚治虫の作品について云々する資格はないが,上記のような議論に関連してときどき思うことがあるので,まとまりはないけれども,ブログのエントリとして書いてみたい.なお,以下の内容は上記エントリと全く関係ないので,ご容赦いただきたい.上記エントリはあくまでもきっかけである. 多くの人は,現代ほど物事が進んでいない過去であれば,成果をあげるのは簡単だということを一度は思うのではなかろうか.これを逆に見れば,あらゆる試みがなされてきた成熟した現代のような時代では,過去と違って,成果を上げるのは難しいといった思いになる.私も時々そのようなことを思うのだが,そんなとき思い出すのが,山本周五郎の短編「大将首」(新潮文庫「人情武士道」所収)である. 「大将首」の登場人物,池藤六郎兵衛と佐藤主計(かずえ)は浪々の身であり,仕官を求めて奔走するのだが,戦国時代も終わった太平の世には,せいぜい足軽の口しか見つからない.しかし,太平の世だからこそ,いったん足軽になってしまえば一生が定(き)まってしまう.貧苦の中,主計の心はくじけそうになる. 「…しかしこのように浪人が多く,そのうえ諸大名が手を引緊めている時代では,とても出世の途など無いのではありませんか」 「みんなそう思う.みんなそう云っていますよ.そして……もし戦国の世に生まれていたら,大将首を討取って槍一筋の功名は屁でもないと.…冗談じゃない…」 六郎兵衛はぐいと膝を乗出した. 「戦国の世には,もっと武士の数が多かったのですよ,日本の国の隅々まで英雄豪傑が雲霞(くもかすみ)といたんですよ.それが討ちつ,討たれつ興亡盛衰を経て,ようやく今日になったのでしょう,…戦塵のなかに幾人功名手柄をしていますか,青史に名を留めた人物がどれだけいますか」 「……」 「多くは流れ矢に斃(たお)れ銃丸に死し,あるいは一兵卒のまま誰にも知られず一生を終わった,大多数の者がそういう運命を辿(たど)ったんです.…尾張中村の百姓の倅(せがれ)が太閤にまで経昇ったのは,戦国の世であったからではなく,その人間の才能がそうさせたのです,あれだけの乱世に太閤は彼一人しか