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9月, 2006の投稿を表示しています

ウェブの書斎,新潮社オンデマンドブックス

ここ10年くらいの傾向であろうが,本が絶版になるまでの期間がどんどん短くなっているように思われる.ちょっと前の本を読もうにも,入手するのに大変苦労する.特に,文芸作品にそのような傾向が強いのではなかろうか.たとえば,私が初めて福永武彦を読んだのは大学生のころで,そのころでも福永の多くの作品は絶版であったが,まだ新潮文庫で4冊くらい,他には,中公文庫,河出文庫,ちくま文庫などで出版されていたように思う.ところが,最近ではそれらは軒並み絶版となっており,新潮文庫で「愛の試み」と「草の花」が読めるくらいである.端的に言えば売れないから,ということであろうが,それにしても残念な状況である. そこで,大日本印刷と新潮社が行っている,オンデマンドブックスという試みに注目している. ウェブの書斎 http://www.shosai.ne.jp/ 新潮オンデマンドブックス http://www.shosai.ne.jp/shincho/index.html このオンデマンドブックスというサービスは,現在絶版などで入手可能な本を,注文を受けてから一冊単位で印刷・製本するというものである.新潮オンデマンドブックス既刊一覧(2006年9月30日現在全401点)は,http://www.shosai.ne.jp/shincho/old_writer.html にある.「死の島」など,福永武彦の作品が充実しているのが嬉しいところである. メモとして,福永武彦以外で,私が注目している作品をリストアップしておきたい.いずれも読んで感銘を受けた本であり,このような本がオンデマンドブックスとして入手できる可能性があるのはありがたいことである. 有吉佐和子「助左衛門四代記」 井上ひさし「國語元年」「ドン松五郎の生活」 倉橋由美子「アマノン国往還記」 シェイクスピア/福田恆存(訳)「ロミオとジュリエット」「十二夜」 辻 邦生「北の岬」 富田常雄「姿三四郎(上中下)」 室生犀星「性に眼覚める頃」 森田誠吾「魚河岸ものがたり」 山口 瞳「江分利満氏の華麗な生活」 私は,このオンデマンドブックスで福永武彦の本を購入した.ただ,本の体裁は,ハードカバーではなくソフトカバーで,大きさは四六変型判であり,正直なところ,値段は高目という感じがする.しかし,一冊づつ注文を受けて印刷するという形態であるから,このような価

飢餓海峡 (水上勉) - その2

 ( その1 からの続き) それから10年の月日がたった.犬飼は,樽見京一郎と名を変え,強盗殺人で得た大金を元手にして,事業家として成功していく.そんなある日,八重は新聞で樽見の記事を見かけた.名前こそ樽見であるが,写真の面影は,どうしても犬飼多吉にしか見えない.八重は,胸を躍らせ,今までの礼を述べるため,樽見に会いに赴く.だが,樽見は,犯罪の露見を恐れ,自らが犬飼であることを認めようとしない.八重は歯を食いしばる.このときの八重の心情があまりにも切ない. 「…樽見さん,あたしはあなたにお礼をいいたかっただけなんです.あなたの下さったお金で,畑の在所の父の病気もすっかりなおりましたし,弟たちも一人前になって働けるようになりました.それに,あの『花家』の借金も払って,あたし東京へ出ることもあの時出来たんです.あたしが,いま,こうして,ここへこられたのもみんなあなたの親切からなんです.あたしはひと目あって,あなたがご立派になられたお姿を見たかった…そうしてお礼をいいたかった…それだけで嬉しいのです.犬飼さん,…樽見さん…」 (中略) 八重は樽見京一郎が動揺しているのをみた.男の狡猾さだ.八重は,急に胸もとをつきあげてくるような言葉を吐きだしていた. 「樽見さん,あたしは,あなたにいま嫌われるような女かもしれません.正直,むかしも,いまも,世間から指さされる軀(からだ)を売る娼妓ですものね.でもそれだけに,あたしは,男さんを軀で知るすべをおぼえているんです.あたしの記憶ちがいということもあるかと思います.でも,あたしが夢中になった人のことだけははっきりおぼえているんです.それだけは信じてください」 そして,八重のこの真情こそが,新たな悲劇を生む原因となってしまうのである. 刑事達の執念の捜査により,樽見は次第に追い詰められていく.その過程で,樽見京一郎の凄絶な生い立ちが明らかになる.樽見の不撓不屈の精神力,生命力の根源は何であったか.それは,悲惨ともいうべき貧しさにあったのである. 樽見の生まれた家は,京都府の熊袋という貧しい村であった.しかも,樽見の父は,本家に輪をかけて貧しい分家である.熊袋における分家の生活は,あまりにも過酷なものであった.ここでやや長くなるが,その様子を引用しておきたい: 「…熊袋では,次男,三男,四男と子ォが生れてくると,この処理に困って,他郷へ

飢餓海峡 (水上勉) - その1

今まで,自分の好きな作家の作品について,いろいろ書評を書いてきた.しばらくは,これまで取り上げていなかった作家の作品を優先して,書評を書いていきたいと考えている.思ったほどのペースでは書けていないため,いつまでたっても終わらないような気もしてきたのだが,マイペースで続けていきたい.今回は,私の好きな作家である水上勉の代表作,「飢餓海峡」(新潮文庫)について書くことにする. 水上勉は,福井県の若狭湾の奥,本郷村岡田に生まれた.10代に京都の禅寺で修行した後還俗し,職業を転々としたが,42歳のとき「雁の寺」で直木賞を受賞,作家としての地位を確立する.その生い立ちから,水上勉の作品は,僻地や寒村,寺などを背景に,人間の宿業やその哀しみを描くものが多い.だが,水上作品には独特の抒情が流れており,それが読む人をひきつけてやまないのではないだろうか. 「飢餓海峡」は,水上勉渾身の大作である.あえて分類するならば,推理小説というよりも社会小説ということになるだろうか.ただ,この作品における,雄大な構想とスケールで描かれる重厚な人間劇は,他の社会小説の類と比べて群を抜いている.特に,犬飼多吉(樽見京一郎)をとりまく登場人物の織り成す人間ドラマは,人間の宿業や運命を描いて余すところがない.比類ない名作といえるだろう. この小説は,実際に起きた二つの事件に着想を得ている.あとがきによれば,これは,昭和29年9月26日に起きた北海道岩内町の大火と,同日に起きた,青函連絡船洞爺丸の遭難事件である.講演のために北海道を訪れた水上は,岩内の寂寥たる雷電海岸を歩いているときに,この作品の想を得たという.この着想は果てしなく膨らみ,敗戦直後の混乱期に時代を移し変え,岩内町の大火は,刑務所を出た3人の男による岩幌町の放火に形を変え,青函連絡船洞爺丸は層雲丸と名を変えて,10年にわたる壮大なスケールの物語へと発展していったのである. 「飢餓海峡」は,昭和22年9月20日に物語の幕を開ける.この日,折からの台風で,津軽海峡は暴風雨域にあった.このあおりをうけ,層雲丸は沈没し,死者が400人以上におよぶ大惨事となる.不思議なことに,この多数の死体の中に,引き取り手のないものが二つあった.またちょうどこの日,岩幌町が大火でその3分の2を失うという事件があった.後の捜査で,この大火は,ある3人組が質屋を強盗殺

ブログ一周年 (+2か月),持続ブログを目指して

このブログを始めたのは,昨年の7月である.早いもので,それから1年2ヵ月たった.区切りは余りよくないが,ここで全体のアクセス状況を簡単にまとめておきたい.全体で2万弱のアクセスしかないこのようなブログで,アクセス状況などまとめても失笑を買うだけかもしれないが,将来の自分が読み返して面白く思うのはこのようなエントリだと思うので,読む方がいらっしゃったらどうかご容赦されたい. まず,掲載したエントリ数は以下のようになる. 期間 記事数 2005年7月 4 2005年8月 11 2005年9月 5 2005年10月 6 2005年11月 9 2005年12月 4 2006年1月 6 2006年2月 3 2006年3月 3 2006年4月 4 2006年5月 3 2006年6月 3 2006年7月 4 2006年8月 4 合計 69 まとめた自分が苦笑してしまうくらい,少ない記事数である.しかし事実だから仕方ない.もう少し多く書きたいとは思うのだが,私の場合一つの記事を書くのにかなり時間がかかってしまうので,これからもこれ以上のペースで書くことは難しいだろう. 全体のアクセス状況は以下の通りである. アクセス数 トップ,月別,テーマ別ページ合計 7132 記事ページ合計 12258 ブログ全体 19390 人気のあるブログでは,これより一桁も二桁も多いアクセスがあることだろう.しかしこれも事実だから仕方がないことである.ただ,このブログのような偏った内容で,2万ものアクセスがあったということは,大変ありがたいことだと思う. アクセス数の多い記事をまとめると,以下のようになる. 記事 アクセス数 それから (夏目漱石) 1146 蛍川 (宮本輝) 817 青が散る (宮本輝) 783 イカロス (三島由紀夫) 572 掌の小説 (川端康成) 531 このブログでアクセスが多いのは,書評ということになるようだ.私の場合,書くのが遅いので,書評一つ書くのに最低でも5,6時間はかかる.休日の午後がまるまるつぶれるような感じである.したがって,このブログに書いた書評はすべてそれぞれ思い入れがある.上記の「それから」の記事も,うんうん唸りながら書いた記憶がある.この記事は一部ネタばれのようなところがあり,どうしようか迷ったところもあるのだが,古い小説なのでいいだろうということで勢いで書