愛の試み (福永武彦)

再び読み返すのが怖くなる本というものが,誰にもありはしないだろうか.いわゆる恐怖小説のことを言っているのではない.最初に読んだときの感動があまりに大きく,読み返すことによってその感動が色あせてしまうのが怖くて,読み返すことが出来ない本である.私にとっては,福永武彦のほとんどの作品がそれである.


しかし,時間がたつにつれ,もう一度読んでみたいという思いも次第に強くなってくる.最初に読んだときの感動が薄れるのは怖いが,年輪を重ねてきたことによる,新たな読み方や発見があるかもしれない.何より,自分の人生のときどきで,福永武彦の作品を読みたいという気持ちを抑えることは出来ない.そこで,ブログを書いているのを機会に,一つづつ読み返すことにした.今まで大事にとっておいた宝箱のふたを開けるような思いがする.


福永武彦は,残念ながら,一般的にはあまり知られていないかもしれない.福永は,1918年,福岡県筑紫郡に生まれた.その後,東大仏文科を卒業する.そのころ,堀辰雄や高村光太郎と知り合ったらしい.さらに,生涯を通じて,中村真一郎,加藤周一と親交が深かった.福永は,学習院大学で教鞭をとる傍ら,「草の花」「忘却の河」「廃市」「海市」「死の島」等の名作を世に残す.また,加田伶太郎のペンネームで推理小説を発表したり,第2次大戦中には暗号の解読を行ったりするなど,異色の経歴もある.昭和54年,61歳で没.その2年前,病床にてキリスト教の洗礼を受けていた.福永武彦の作品には,観念的,理知的な傾向があり,それが,一般にあまり受け入れられていない原因になっているように思える.しかしながら,その作品は抒情的で,薫り高い.個人的には,本来の意味でのロマンを書ける,日本で唯一の小説家ではないかと考えている.私が最も敬愛する作家の一人である.


福永武彦の作品で,一番最初によんだのは,「愛の試み」(新潮文庫)であった.大学生のころ,新宿の紀伊国屋書店で買った記憶がある.そこで,まず最初にこの作品について書いてみたい.


「愛の試み」は,愛に対する作者の思索の過程をつづった書(エッセイ)である.この思索の過程は,愛が生まれ,また終わっていく過程に沿って語られる.作者はまず,すべての人間が生まれながら持つ,孤独を見つめることから思索を始める.


人は孤独のうちに生れて来る.恐らくは孤独のうちに死ぬだろう.僕等が意識していると否とに拘らず,人間は常に孤独である.それは人間の弱さでもなんでもない.謂わば生きることの本質的な地盤である.


人は成長したとき,自らの魂の中にあるこの孤独を,靭(つよ)いものに感じる.しかし同時に,その孤独が,自分とは異なる魂によって埋められるべきことを感じるようになる.その人の魂は謂わば星雲的であり,自分とは異なる魂を求めて,内なる世界から外界に向けて翔けてゆく.その孤独を持った二つの魂が出会ったところに,蜃気楼のように忽然と愛が生まれる.


「愛の試み」における思索の過程では,福永は,人間の魂にある孤独を常に受け入れ,様々な観点から見つめなおす.しかしながら,そこでいう孤独は,世にあふれる表層的な,感傷的なものでは決してない.また,愛と孤独は正反対の概念ではない.愛は他者の孤独を潤し,豊かにするものであるが,愛の中にも孤独はある.そしてその愛は,対象を捉えようとする努力の中にある.福永は,旧約聖書雅歌第3章1節の次の言葉を引用する:


夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず.


人間の持つ根源的な孤独と愛,およびそれらの試みが,この言葉によって見事に表されている.すなわち,自己の危険において,自己の孤独を豊かにしようとする試み,それが「愛の試み」である.


この作品における思索の過程は,きわめて観念的なものである.しかしながら,読者は自らの経験に照らし合わせて,著者による孤独と愛の試みに共感し,感銘を受けることができるのである.これは,作者の思索が,優れて普遍的であることの一つの証左となっている.


なお,「愛の試み」には,「あまりに観念的に過ぎることのないように」いくつかの挿話が加えられている.この挿話は単なる付けたしではなく,それ自体で成立しうる文学作品である.実際,これらの挿話があまりにすばらしいので,最初に「愛の試み」を読んでいたときは,本文に続く挿話を読むのが待ち遠しく思えたほどであった.ここでは,その中の一つで,私が最も感動した,「細い肩」という挿話を紹介したい.この挿話の主人公は,高校時代に妹の友達と付き合っていた.彼女はあまりにおとなしく,頼りなくて,肩をつかまえて揺すぶってやりたいくらいであった.二人は,主人公の「僕」が東京の大学に行くことになったときに,淡々と別れてしまう.その後,「僕」は彼女の結婚が決まったと聞き,彼女を祝いに帰郷する.「僕」は彼女の家で歓待を受けたのだが,時間があまりないため,くつろぐ間もなく帰ることになる.彼女は,「僕」を駅まで送ってくれた.このとき,彼女は「僕」にあるお願いをする.そして,物語は,胸が締めつけられるような切ない結末を迎えるのである.


私は,「愛の試み」を読んで,福永武彦の作品の背後にあるものに深く共感し,その作品に傾倒していった.しかしながら,その最も大きなきっかけになったのは,この「細い肩」であったかもしれない.




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