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先進国における少子化(雑感)

世界的にみて,先進国では少子化の傾向にある.その理由については,これまで侃侃諤諤の議論があった.それについて新しい知見があるわけではないが,このブログの例によって,駄文をものしてみたい. ネットでは,少子化の理由は若者にお金が無いことだ,といった怨嗟の声で満ちている.それはもちろん大きな理由だろう. しかし,経済的な理由が少子化の唯一の原因とまではいえないだろう.私の知り合いの男性でも,年齢相応以上に地位も収入もあり,性格に難があるようには思えないのに独身という男はそれなりにいる.また,私とほぼ同年代の女性で独身というのも,予想以上にいるようである.そもそも,団塊以前の世代は,それほど収入も無いのに結婚していたのではないか(もちろん,現在よりも,結婚に対するプレッシャーが強かったというのもあるだろう).結局,経済的な理由というのは支配的ではないように思われる. こうして色々と考えると,夏目漱石「吾輩は猫である」にある,迷亭の迷演説が思い浮かんでくる.彼はなんと,今後結婚は不可能になると主張するのである. つらつら目下文明の傾向を達観して,遠き将来の趨勢を卜(ぼく)すると結婚が不可能の事になる.驚くなかれ,結婚の不可能.訳はこうさ.前(ぜん)申すとおり今の世は個性中心の世である.一家を主人が代表し,一郡を代官が代表し,一国を領主が代表した時分には,代表者以外の人間には人格はまるでなかった.あっても認められなかった.それががらりと変わると,あらゆる生存者がことごとく個性を主張しだして,だれを見ても君は君,僕は僕だよといわぬばかりの風をするようになる.(中略)親類はとくに離れ,親子は今日(こんにち)に離れて,やっと我慢しているようなものの個性の発展と,発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびていくから,まだ離れなくては楽ができない.しかし親子兄弟の離れたる今日,もう離れるものはないわけだから,最後の方案として夫婦が分かれることになる.(中略)夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻だからね.その妻が女学校で行灯袴(あんどんばかま)を穿(は)いて牢乎(ろうこ)たる個性を鍛え上げて,束髪姿で乗り込んでくるんだから,とても夫の思うとおりになるわけがない.また夫の思いどおりになるような妻なら妻じゃない人形だからね.(中略)ここにおいて夫婦雑居はお互いの損だということが次第に人間