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自分が世界の主人公でないと気づいたのはいつだったか

はてな匿名ダイアリーで,以下のような記事があった: 自分が世界の主役じゃないって気づいたのはいつだったか http://anond.hatelabo.jp/20151210070424 これを読んで,井上靖の詩集「北国」所収の「流星」という詩を思い出した. 日本ペンクラブ:電子文藝館  から記載する: 流 星 高等学校の学生のころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマ ントに身を包み、仰向(あおむ)けに横たわって、星の流 れるのを見たことがある。十一月の凍った星座から、一 条の青光をひらめかし忽焉(こつえん)とかき消えたその 星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かした ものはなかった。私はいつまでも砂丘の上に横たわって いた。自分こそ、やがて落ちてくるその星を己が額に受 けとめる、地上におけるただ一人の人間であることを、 私はいささかも疑わなかった。 それから今日までに十数年の歳月がたった。今宵、この 国の多恨なる青春の亡骸(なきがら)――鉄屑(てつくず) と瓦礫(がれき)の荒涼たる都会の風景の上に、長く尾を ひいて疾走する一個の星を見た。眼をとじ煉瓦を枕にし ている私の額には、もはや何ものも落ちてこようとは思 われなかった。その一瞬の小さい祭典の無縁さ。戦乱荒 亡の中に喪失した己が青春に似て、その星の行方は知る べくもない。ただ、いつまでも私の瞼(まぶた)から消え ないものは、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する 星というものの終焉のおどろくべき清潔さだけであった。 この詩集についてはこのブログで何度か言及したことがある.私はこの詩集が本当に好きで,繰り返し読んだ. 私は多分,物心ついたときから,自分が世界の主人公であるとは思ったことはない.やがて落ちてくる星を,己が額に受け止めるにふさわしい人材とも思ってない.今後もそうだろう. しかし,この世にはこの詩集を心から愛する人が数多く存在し,自分もその一人であるということを,いささかも疑ったことはない.世界における自分の役割とは,そんなところなのかもしれないし,それでいいではないかとも思ったりする.

I was born (吉野弘)

ここ数年,高校の教科書を読む機会がある.この年になって読む教科書は,自分が高校生だった頃に感じた以上に面白く感じる.特に,私の高校時代の現代文教科書に載っていた題材が,いまだに採録され続けているのを見つけると,非常に興味深く感じる.たとえば,吉野弘の現代詩「I was born」などがそうである.こうした作品を読むと,高校のときの自分と,現在の自分との違いについて,さまざまな思いが浮かんでくる.今回のエントリでは,例によってまとまりがないが,I was born という詩について,そうした思いを書いてみたい. I was born では,「僕」は,ある発見を興奮したようにその「父」に話す: そのとき僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した.僕は興奮して父に話しかけた ――やっぱり I was born なんだね―― 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ.僕は繰り返した. ――I was born さ.受身形だよ.正しくいうと人間は生まれさせられるんだ.自分の意思ではないんだね―― だが「父」は,「僕」の発見に応えようとせず,一見関係のない話を始める.  父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした. ――蜻蛉(かげろう)という虫はね 生まれてから二,三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何のために世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―― そして「父」は,ちょうどそのころ「僕」の「母」が亡くなったと話す.だが「僕」も,「父」の意図が分かったわけではなかった.  父の話のそれから後は もう覚えていない.ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった. ―ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―― この詩を読むと,いつも,高校生のころ初めてこの詩を読んだときに感じた思いを思い出す.それは,決して好意的なものではなかった.むしろ反発のようなものであったと思う.その思いをもう少し詳しく書いてみよう. この詩の中で,「父」は,「僕」に何かのメッセージを伝えようとしている.それは,あえて残酷でかつ単純な見方をすれば,「僕」のせいで「母」が死んだとも取られかねないものである.ただ,そういった単純なものではなく,「父」が伝えたかったのは,もっと一般的な,人生のある恐ろしい真実のようなもの...

詩集「北国」 (井上靖)

前のエントリ で触れた,珠玉の作品集について.ここでは,井上靖の詩集「北国」について書いてみたい. 井上靖についてはもう説明するまでもあるまい.「あすなろ物語」「しろばんば」などの自伝的な作品,「天平の甍」「楼蘭」「蒼き狼」「敦煌」などの歴史作品,その他「氷壁」など,誰しも一度は少なくともその題名は聞いたことがあるであろう,数多くの名作を生み出した.また,映画やドラマになった作品も多い. この井上靖の作品の中で,私が最も大きな感銘を受けた作品が,詩集「北国」である.私が持っているのは新潮文庫の文庫本であるが,もう絶版になっているようで,入手しづらいかもしれない. 「北国」は,38篇の詩集を収めた,井上靖の最初の詩集である.それぞれの作品は,詩といっても,散文の形式をとっており,近代詩の系譜の中でも独自のポジションを占めているのではなかろうか.これらの詩に共通して感じられるのは,ある広がりをもった静謐な空間である.そしてこの空間は,作者の研ぎ澄まされた詩情,抒情,愛と哀しみに満ち満ちている.またそれらは,非常に豊かなイメージをかきたてるものが多いものの,絵画でも音楽でもない.やはり,詩としか言いようのない空間である.これらの詩を介して,我々は作者の魂を感じ取ることが出来るのである. 38編の詩はそれぞれまさに珠玉としかいいようがないが,その中でも,特にいくつかの詩をここでは紹介したい.例によって内容に一部触れるので,未読の方は注意. 「海辺」…国語の教科書にも載っている有名な作品.青春への嫉妬と憧憬. 「愛情」…5歳の子供の相手をするときに突然突き上げてきた,烈しい愛情と深い寂寥. 「生涯」…「若いころはどうにかして黄色の菊の大輪を夜空に打揚げんものと,寝食を忘れたものです.漆黒の闇の中に一瞬ぱあつと明るく開いて消える黄菊の幻影を,幾度夢に見て床の上に跳び起きたことでせう.しかし,結局,花火で黄いろい色は出せませんでしたよ.」 一生を花火に捧げた老花火師の言葉.人生なるものへの畏れ. 「流星」…「私はいつまでも砂丘の上に横たわつてゐた.自分こそ,やがて落ちてくるその星を己が額に受けとめる,地上におけるただ一人の人間であることを,私はいささかも疑はなかつた.」 青春の情熱,矜持,孤高.それらは刹那に輝く,本来孤独なるもの.それゆえに哀しく美しい. 「高原」…いのちの悲...