滞独日記 (「量子力学と私」所収,朝永振一郎)

以前,「数学者の言葉では (藤原正彦)」というエントリにも書いたのだが,大学院生だった一時期,いろいろと研究者のエッセイなどを読み漁ったことがあった.その中でも,朝永振一郎の「量子力学と私」(岩波文庫)は強く印象に残っている.


朝永振一郎は,湯川秀樹と同期の物理学者で,くりこみ理論等の業績によりノーベル物理学賞を受賞した.本書「量子力学と私」は,江沢洋の編集による朝永振一郎の著作集である.内容は,肩の凝らないエッセイから,専門家を対象としたある程度の知識を必要とする解説論文に至るまで,バラエティに富んだものとなっている.特に,「光子の裁判」という短編は,裁判の形で量子の性質を語ろうとするものであり(「光子」は「こうし」であり「みつこ」である),著者の洒脱な性格を表す表すものとして興味深い.だが,このエントリでは,本書所収の「滞独日記(抄)」について書いてみたい.


滞独日記は,朝永が1937年から1939年にドイツに留学した際の日記である.ハイゼンベルクのもとで研究を行っていた朝永は,湯川の理論に整合する実験結果が得られないことから,その問題を解消すべく計算を行い,理論を組み立てようとする.だが,それは決して容易な道のりではなかった.滞独日記には,この朝永の苦悩があまりにも生々しい形で記されている.


1938年 

11月17日

朝からいんうつな天気.湯川から第四の論文がくる.坂田,小林,武谷と四人共同のである.これを見てまたゆううつになる.そして,ゆううつになるなどこういうことをもう何回くりかえしているかと思う.それから計算にかかるがうまくいかない.


11月18日

ゆうべは二時間ぐらいしかねていないので一日中,あたまがふらふらしている.少し数値の計算やって,実けんのデータをいじくってばかりいる.実けん結果が人によってみなちがうのだからどれがほんとか判らないので困る.


12月6日

うちからてがみがくる.からだが第一だからあせって無理しないように,行きづまりなどはだれにでもあるのだから,思いつめないで,旅行したり,何なら,音楽でもやって気をはらすよう,幸い仁科さんも親切に言って下さるのだからとおふくろがかいている.無能な男でも役立たずでも,一人の人間と考えてとりあつかってくれるのはやはり肉親だけだ.能力も才能もなにもかにもとりさっての人間関係はここにあったのだという気がして思わず落涙したのは,女々しすぎることだろうか.


1939年

3月27日

世の人々のだれを見ても,自分より優れていると思えて,とてもかなわないと感じる.ハイゼンベルク,オイラー,湯川はもとよりのこと,そうでない,市井の只人を見ても,彼らの心にある,知足と,労働を愛する心が自分にはないように思われるのである.


研究が進まないことに対する苦悩や煩悶,ハイゼンベルクや湯川に対する劣等感等々,滞独日記で描かれる朝永振一郎の姿はあまりにも痛ましい.その姿は,我々が想像する,ノーベル賞を受賞した輝かしい業績をもつ物理学者としての朝永とはかけ離れている.


私がこの本を読んだのは,大学院生の頃,研究が思うように行かず,鬱のようになっていた時期であった.もちろん,私の才能も苦しみも朝永のものとは比べるべくもないだろうが,自分なりに苦しんでおり,滞独日記に書かれてある朝永の苦悩には痛いほど共感した.特に,当時は両親に対して申し訳なく思っていたこともあって,上記の12月6日の日記を読んだときは涙が止まらなかった.


しかしながら,滞独日記(および本書「量子力学と私」)が読む者の心をとらえて離さないのはそれだけではない.ハイゼンベルク,シュレーディンガー,ディラック,仁科芳雄,湯川秀樹,朝永振一郎といった錚々たる面々や,量子力学の黎明期における混沌や活気がありありとした形で描かれているという点である.


ここで,滞独日記からいくつか引用してみる:


1938年

12月12日

ハイゼンベルクと相談してβの理論をやっている.というのは湯川の理論でメソトロンの寿命があまりみじかすぎて実けん値の五百分の一にしかならないからだ.そしてやっているが大したことになる気もしない.


12月14日

計算すすめたら積分が発散した,おかしい.こういうことをやっているのだ.U〔中間子〕が直接にe〔電子〕とν〔中性微子〕にこわれずに,Uは一度p〔陽子〕とn〔中性子〕を作り,それをさらにeとνにこわれると考えようというのだ.ところが中間状態のp,nの状態がやたらにたくさんあって,積分が発散してしまうのである.こういう種類の発散は今まで一度も出てきていない.自己エネルギー的の発散ならめずらしくないが,どうもおかしい.


この後も朝永はさまざまな試行錯誤を行うが,どうしてもうまくいかない.その苦闘の過程は痛々しいが,同時に,このときの朝永の苦しみが後の多時間理論やくりこみ理論につながっていることに思いを致すと,読者に感動や胸の高鳴りを起させずにはおかないのである.


私は,現在特定の宗教に帰依してはいない(聖書を読んだりその解説書を読んだりするのは好きであるが).このような私が敬虔な気持ちになるのは,この滞独日記にあるような,人間の真摯な努力や苦悩,そして,そういった営みが現在に至るまで気も遠くなるほど積み重ねられているという事実に思い至るときである.滞独日記(および本書「量子力学と私」)は,そういう意味で,また,不十分ながらも積み重ねてきた自分の苦労を思い起こさせるということで,折に触れて読み返す本のひとつとなっている.



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