人間の限界 (霜山徳爾)

時間ができたので,また,人から薦められて面白かった本(参考: 美しい星 (三島由紀夫))について書いてみたい.今回は,霜山徳爾先生の「人間の限界」(岩波新書)について.


「人間の限界」は,高校生のときに親戚にすすめられて読んだ本である.その当時で既に絶版であったから,今では手に入りにくいだろう.著者の霜山先生は,「夜と霧」(V. E. フランクル,みすず書房)の訳者としても有名である(「夜と霧」は,別の訳者で新版が出た).臨床心理学,精神病理学などを専門とされている.


この本で問われる,人間の限界とはなんだろうか.著者はまず,その一つの例をあげる.


「宿かさぬ 火影や雪の 家つづき」(蕪村) ―― 知性に富む,若い初期の分裂病者に,この句をきかせると,彼は痛いほどそれが判るという.彼自身が精神の病によって,いやおうなく深い寂寥の内にいるからであろう.しかし,同じ蕪村の句でも「さくらより 桃にしたしき 小家かな」に対しては,全く何のことか判らないと途方にくれる.桃の花というのは野暮なもので,桜のように高雅でないから,小さな家には似合うのだと注釈を加えても,彼はまださっぱりと理解できない.ここに暖かい心が枯れてしまった彼の限界がある.


著者は更に,他者に対する理解の限界について問いかける.すなわち,我々は,他者をどこまで理解することができるだろうか.逆に,自分が小さい時から今日まで,たった一人でも誰かに真に理解されたことがあっただろうか.


言いかえれば,人間の限界というものは,人間の存在への「否み」という側面を持たざるを得ない.しかし,本書で著者は,この否みから眼をそむけ,否定することはしない.なぜならば,この否みは,同時に恵みでもあるからである.この否み,すなわち人間の限界を考えることは,人間とは何か,人が生きるということはどういうことであるかを見つめなおすことに他ならないのである.


本書では,人間のさまざまな限界のもとで,人間が生きていくということ,いのちの限りに与えられる行為について,深い思索が積み重ねられていく.さらに本書では,それが,古今東西の詩や小説などからの広範な引用によって語られる.著者には「人間の詩と真実」(中公新書)という名著もあるが,本書「人間の限界」で語られている内容も,まさに人間の詩と真実に他ならない.(「人間の詩と真実」という書名は,もちろんゲーテの「詩と真実」にちなんでいる.残念ながら,「人間の詩と真実」も現在絶版のようで,やはり入手しづらいだろう)


だが,本書を特別なものとしているのは,上記のような著者の深い文学的素養に加え,本書を通して自ずから現れる,著者の慈愛と哀しみに満ちたまなざしである.これは,著者の臨床心理学者としての経験によるのかもしれない.本書でも,そのような経験が随所に語られている.著者は,数多くの精神を病んだ患者を診てきたことだろう.そこには,人間の限界が,いわば極限の形であらわれるはずである.そこでの様々な経験,そしてそれは私には想像することすらできないほど重いものに違いないが,そうした経験が本書として結実したのではないだろうか.


ここで,やや長くなるが,本書から一部を引用しておきたい.


・・・ドストエフスキーの「白痴」のナスターシャ・フィリッポヴナのことを想起してみよう.ナスターシャは少女のころから卑しい誘惑者の犠牲になり,それは深い心の傷として,彼女を強く歪めてしまった.彼女は,淫蕩な世界に沈んだ劣等感から解放されることを,渇望しなかったわけではない.しかしそれにもかかわらず,誰かが彼女に誠実なまなざしをむけ,全く純粋な愛情と共感の力で彼女に近づき,彼の尊厳で彼女を救おうとし,それがまさに成功しかける瞬間,ネガティーブな反対傾向が彼女の内で働きはじめる.それは嵐のように彼女を把えて,いかに自分が下劣で,卑賤であり,救いがたい人間であるかを,烈しく人に示してしまうのである. ―― およそ偽善者と偽悪者の区別,自負と謙虚の区別,向日性と向地性の区別は,まなざしがあるかぎり,人の世では困難である.むしろこの困難さという限界が人間の条件であろう.哀歓に動揺しない,しらじらとした,冷徹なまなざしのように見えるものも,充分に人間を苦しめているのである. ―― 「灼(や)きつくす 口づけさへも 目をあけて うけたる我を かなしみ給へ」(中城ふみ子) ――


ここにあるのは,あくまで哀しい人間のまなざしである.しかしながら,同時に我々は,著者の哀しみと,慈愛(としかいいようがない)に満ちたまなざしをも感じ,心を打たれるのである.






追記: 2006/6/6


題名の「人間の限界」について,以下のような記事を書きました:

人間の限界 (ゲーテ)


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