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水仙 (太宰治)

このエントリは,先日のエントリ( ブログ開設9周年と「水仙」(太宰治) )の続きである. 太宰治の「水仙」は,あまり有名な小説ではないかもしれないが,太宰の作品の中でも佳品の一つだと思う.そして,作品中でも述べられているように,「水仙」は,菊池寛の「忠直卿行状記」を基にしている.忠直卿行状記は大変有名な作品でもあり,多くの方がご存知だろうが,ここでは「水仙」にある簡単な紹介を引用しておきたい: 「忠直卿行状記」という小説を読んだのは,僕(注:太宰のこと)が十三か四のときのことで,それっきり再読の機会を得なかったが,あの一篇の筋書だけは,二十年後のいまもなお,忘れずに記憶している.奇妙にかなしい物語であった.  剣術の上手な若い殿様が,家来たちと試合をして片っ端から打ち破って,大いに得意で庭園を散歩していたら,いやな囁(ささや)きが庭の暗闇の奥から聞えた. 「殿様もこのごろは,なかなかの御上達だ.負けてあげるほうも楽になった」 「あははは」  家来たちの不用心な私語である.  それを聞いてから,殿様の行状は一変した.真実を見たくて,狂った.家来たちに真剣勝負を挑んだ.けれども家来たちは,真剣勝負においてさえも,本気に戦ってくれなかった.あっけなく殿様が勝って,家来たちは死んでゆく.殿様は,狂いまわった.すでに,おそるべき暴君である.ついには家も断絶せられ,その身も監禁せられる.  たしか,そのような筋書であったと覚えているが,その殿様を僕は忘れることが出来なかった.ときどき思い出しては,溜息をついたものだ. このような忠直卿行状記を通俗的に解釈すれば,権力者の孤独や悲哀といったものになるだろう.だが,太宰は,そのような凡庸な理解を拒否するかのように,この作品の別の真実に光を当てるのである. けれども,このごろ,気味の悪い疑念が,ふいと起って,誇張ではなく,夜も眠られぬくらいに不安になった.その殿様は,本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか.家来たちも,わざと負けていたのではなくて,本当に殿様の腕前には,かなわなかったのではあるまいか.庭園の私語も,家来たちの卑劣な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか.あり得ることだ.僕たちだって,佳(よ)い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒せられ,その先輩の高い情熱と正しい感覚に,ほとほと参ってしまっても,その先輩とわか