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ブログ11周年と文章を書くということ

恒例となった記事を書いてなかった.思い立ったが吉日ということで,いま書いてみたい. 以下のメールが届いたのは,今年の6月である.はやくも4か月もたってしまった. 日付: 2016/06/18 8:03 件名: 祝ブログ開設11周年! ○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●            ブログを開設してから、もうすぐ11周年!! ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○ ウェブリブログに登録してから、あと2日で11周年になります。 ウェブリブログ事務局のまーさです。 ご利用いただき、ありがとうございます!     A Day in the Life       http://dayinthelife.at.webry.info/ この11年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・     446240 件 になります。 毎年恒例のこのメールが届くと,なぜ私はブログを書くのか? といった,他人にとっては果てしなくどうでもいいことを,ついつい考えてしまう.それにしてももう11周年か…. はっきり言えば,ブログを書くといった行為は,無駄である.社会人になれば分かるように,最も貴重なリソースは,お金ではなく時間だ.ブログを書くような時間があれば,仕事をするなり勉強をするなり家族のために時間を費やすなりすればいいではないか.それなのになぜブログを書くのをやめられないのか. こう考えてくると,去年のこの恒例記事でも少し触れたように,私は愛読する高村光太郎のことを思い出す.具体的には,「自分と詩との関係」という短いエッセイの,以下のような文章である.青空文庫から引用する.  私は何を措(お)いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。  ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれという風に忠告してくれた。それにも拘(かかわ)らず、私は詩を書く事を止めずに居る。  なぜかといえば、私は自分の彫刻を護るために詩を書いているのだからである。自分の彫刻を純粋であらしめるため、彫刻に他