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星に願いを

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結局28日までに仕事にけりをつけることはできなかった.正月休みは,だらだらとでも仕事をしなければならないようだ.といっても,年末年始のこの雰囲気の中では気合も入らず,だらだらと仕事をするどころか,だらだらとネットを巡回しているような有様である. そんなとき,Likecool というサイトで,以下のような記事を見かけた. Honest Boy Pencil Sharpener http://www.likecool.com/Honest_Boy_Pencil_Sharpener--Office--Gear.html 画像を見ればすぐにお分かりいただけるとおり,ピノキオの鉛筆削りである.ゼペットじいさんに作られた木の人形ピノキオは,嘘をつくたびに鼻が伸びていく.上記の鉛筆削りはこの有名なエピソードに基づいたもので,鉛筆を削ってそれが短くなっていく様子が,まるでピノキオの鼻が短くなっていくようなありさまになっている.つまり,鉛筆を削っていくたびにピノキオが正直者になっていくということで,それが Honest Boy Pencil Sharpener という名前の由来である.こういう遊び心をもった文房具はとても楽しい. そしてまた,上記の鉛筆削りの記事を読んで,ディズニーの名作映画「ピノキオ」のことを思い出した.その主題歌「When you wish upon a star」 (邦題: 星に願いを) が名曲で,さまざまなカバーがあるが,以下は,私の好きなルイ・アームストロングのバージョンである. 今年は本当にいろいろなことがありましたが,これが今年最後のエントリです.本ブログを読んで下さった皆さんに感謝したいと思います.皆さんにとって,来年が実りあるものでありますように.

人生と愛について(雑感)

我ながら,気恥ずかしいタイトルになってしまった.まあ,ブログを書くということは恥をかくということでもあるから,開き直ってエントリを書いてみたい. 11月,12月と非常に忙しいのだが,相変わらず facebook はぼちぼちと続けている.特に,高校のときの同級生のグループでのやりとりはとても楽しい.そこでのやりとりの中で,友人が夫婦喧嘩をして,女房も分かってくれないといった愚痴をこぼしていて,思わず苦笑したことがあった.そして,いろいろと考えているうちに,今年起こったさまざまなことについて,思いをはせた.そのとき思ったことが,今回のエントリの動機である. 人と人はどれくらい分かりあえるものだろうか.この問いによって,我々は,自分自身が持つ孤独というものに向き合わざるを得ない.このことは古来さまざまな文学のテーマとなったが,私がその孤独ということについてときどき思い出すのは,太宰治の「駈込み訴え」という小説( 本ブログのエントリ )の次の一節である. あの人(注: イエスのこと)が,春の海辺をぶらぶら歩きながら,ふと,私(注: イスカリオテのユダのこと)の名を呼び,「おまえにも,お世話になるね.おまえの寂しさは,分かっている.けれども,そんなにいつも不機嫌な顔をしていてはいけない.寂しいときに,寂しそうな面容(おももち)をするのは,それは偽善者のすることなのだ.寂しさを人にわかって貰おうとして,ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ.まことに神を信じているならば,おまえは,寂しいときでも素知らぬふりして顔を綺麗に洗い,頭に膏(あぶら)を塗り,微笑んでいるがよい.わからないかね.寂しさを,人に分かって貰わなくても,どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが,わかっていて下さったなら,それでよいではないか.そうではないかね.寂しさは,誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて,私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり,いいえ,私は天の父にわかって戴かなくても,また世間の者に知られなくても,ただ,あなたお一人さえ,おわかりになっていて下さったら,それでもうよいのです.私はあなたを愛しています.ほかの弟子たちが,どんなに深くあなたを愛していたって,それとは較べものにならないほどに愛しています.誰よりも愛しています. 聖書の有名なエピソードを上記のように解釈しなお