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3月, 2009の投稿を表示しています

Mac の設定

ここしばらく,先日購入した MacBook Pro の設定をやっていた.Mac を本格的に使うのは学生時代以来で,もう随分になる.また,仕事の関係上どうしても LaTeX を使う必要があるのだが,LaTeX をインストールするときはいつも同じようなところではまるので(特に ghostscript まわり),後々のため,設定作業ではまったことをメモすることにした.なお,マシンのスペックは,MacBook Pro (Intel Core 2 Duo) + Mac OS X (ver. 10.5.6) である. 以下では,Safari, Mail.app, Finder, トラックパッドの設定を少々,また,今回インストールした,Emacs, LaTeX, ghostscript, gs ビューワ(ghostview, gv 等),X11, 等についてメモしておく. なお,今回,特に以下のサイトの記述が参考になった: MacBookをより使い易くするための基本設定を探る - ザリガニが見ていた...。 How to install X and pLaTeX environments on Mac OS X 以下の記述で,もし間違い等ありましたらご指摘いただければ幸いです. トラックパッドの設定 Dockの「システム環境設定」から,「トラックパッド」→「1本指の操作」の順で,「副ボタンのクリック」の項目をチェックした.これで,トラックパッドにおいて, Windows PC のマウスのような右クリックが可能になった. Safari の設定 デフォルトでは,web ページのリンクのところにマウスオーバーしても,その URL が表示されない.そこで,Safari メニューバーの「表示」から,「ステータスバーを表示」をトグルする.これで,ウィンドウ最下部にステータスバーが表示されるようになる.その結果,たとえばカーソルをリンクにあわせると,その URL がステータスバーに表示される. Firefox のインストール Safari もいいブラウザなのだが,やはり使い慣れた Firefox とそのアドオンの環境は捨てがたいので, Firefox  を改めてインストールした.アドオンはごく基本的なものばかりで,以下のものを使っている: All-in-One Gestures Greasem

夏目漱石先生の追憶 (寺田寅彦)

このブログの左のカラムにある「アクセスの多い記事」というリンク集では,「 こころ (夏目漱石) 」という記事がいつもトップになる.この記事は本当によく読まれ,10000近いユニークアクセス数がある.本ブログには130弱の記事があるが,この記事一つでほぼ一割のユニークアクセス数を集めていることになる.繰り返し読まれている方もいらっしゃるはずで,有難いことだと感謝の念に堪えない思いがする. それにしても,これは,国民的作家としての夏目漱石の人気がいまだに高いことによるのだろう.日本で最も敬愛される作家が漱石なのではないだろうか. このような敬愛される作家としての漱石,また,「こころ」における師弟の関係について考えるとき,私は,寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」という文章をいつも思い出す.今回のエントリでは,それについて書いてみたい. 夏目鏡子(漱石夫人)による「漱石の思い出」を読むとまた違った漱石の一面がうかがえるのだけれども,少なくとも漱石の門下生にとっては,漱石は敬愛すべき対象だったのではないだろうか.漱石の門下生の一人である寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」を読むと,その思いが強くなるのである. 「夏目漱石先生の追憶」では,寺田寅彦が漱石と知り合ってから,その死に至るまで,漱石の思い出が語られる.その際の,漱石の面影を語る寅彦の文章には漱石に対する敬愛の念が溢れ出るかのようなのであるが,特に,漱石の死後,漱石への思いを語る以下の文章には目頭を熱くさせられる.  先生からはいろいろのものを教えられた.俳句の技巧を教わったというだけではなくて,自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった.同じようにまた,人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け,そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた.  しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば,自分にとっては先生が俳句がうまかろうが,まずかろうが,英文学に通じていようがいまいが,そんな事はどうでもよかった.いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが,そんなことは問題にも何もならなかった.むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである.先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである.  いろいろ

勉強する子供たち

以下のニュースを読んで,話は少しずれるかもしれないが,思ったことを書いてみたい. このニュースを見て,少し泣きそうになった.私は,本を読んだり一生懸命勉強したりする子供たちを見るのが好きだ.そこには希望がある. 世界中の子供たちを囲む環境は,日本の我々が想像する以上に苛酷なものもあるだろう.勉強できるだけ余程ましな状況なのかもしれない. だから,子供たちが望むままに勉強できるような世界になる日が,早く来ればいいと思う. 自分の今やっていること,そしてこれからやることが,いささかなりともそういう世の中のために役立てられればと思う. 関連エントリ 人間はどんなところでも,どんな時でも何歳からでも学ぶことができる 勉強する子供たち(2) 勉強する子供たち (3)