美しい星 (三島由紀夫)

人から本や音楽を薦められて,それがその人の意気込みほどには面白くなく,困惑することがある.先日も,ある(現代の)人気作家の作品を薦められて読んでみたのだが,とても面白いとは思えないということがあった.最初の何章かで展開が読めてしまい,結末まで予想どおりだったのである.Amazon のレビューなどでも評価は二分しているようだ.その後,感想を聞かれたときも,退屈だったと答えるわけにもいかず,お茶を濁さざるを得なかった.こういうときは,自分が悪いわけではないと思いつつも,やはり自己嫌悪を感じる.感動したと答えられたら,一緒になってその本のことを楽しく話せたら,どんなにいいだろうと思ってしまう.


そこで,他人からすすめられて面白かった本をいくつか紹介したい.最初に,三島由紀夫「美しい星」(新潮文庫)について書いてみることにする.今年最後のエントリである.


「美しい星」は,三島由紀夫文学の中でもひときわ異彩を放つ作品である.この作品は,1962年の1月から雑誌「新潮」に連載されたのだが,この前年には(旧)東西ドイツの間にいわゆるベルリンの壁が築かれるなど,世界は冷戦の状態にあった.そして1962年の10月にはキューバ危機が起き,世界は核戦争の危機に瀕していた.このような時代背景が,この作品の成立に強く影響を及ぼしている.


「美しい星」の主人公大杉重一郎は,天上のある声に導かれ空飛ぶ円盤を見てから,唐突に自分が宇宙人であることを自覚した.また,その家族も同様にして宇宙人の意識を覚える.ここでいう宇宙人は,地球人に優越する存在である.大杉一家は,核の危機に直面する人類を救済するという使命感に目覚める.そして,ソ連(当時)第一書記のフルシチョフに核実験中止を願う手紙を出し,また「世界友朋会」(友朋はUFOのもじりといわれている)を設立するなどして,人類救済のための活動に乗り出す.


一方で,仙台に住む羽黒ら三人が,円盤を目撃して宇宙人としての意識に覚醒した.それまで彼らは,三様の鬱屈した思いを抱え,すべての人間を憎悪していた.彼等は,宇宙人であると自覚したとき,その理由を直ちに悟ったのである.すなわち,彼等の使命は,人類を滅亡させることであった.それ故に,彼等三人は人類を憎悪していたのである.そのうちに,世界友朋会の活動を知った彼等は,重一郎らが宇宙人であることを確信し,敵愾心を持つようになる.


その後,羽黒ら3人は,大杉家を訪問する.羽黒らと重一郎は,人類を救済すべきか否かについて議論を戦わせる.この論争が,この小説のクライマックスである.羽黒は,人類には三つの宿痾,「事物への関心(ゾルゲ)」「人間への関心」「神への関心」があると主張する.そして,これらのために,人類は水素爆弾によって破滅せざるを得ないと結論づける.この羽黒の主張が,この作品の中で最も強い光彩を放っているといってよいのではないか.


重一郎は,羽黒の議論を全面的に退けることができず,苦悶する.それでも彼は,人類を救うための理由として,その五つの美点を挙げる.これは,彼が考えた以下の墓碑銘に見事にまとめられている.

 

地球なる一惑星に住める

  人間なる一種族ここに眠る.

彼らは嘘をつきっぱなしについた.

彼らは吉凶につけて花を飾った.

彼らはよく小鳥を飼った.

彼らは約束の時間にしばしば遅れた.

そして彼らはよく笑った.

  ねがわくはとこしなえなる眠りの安らかならんことを

 

はかなく,そして絵のように美しい碑文である.

結局,論争に敗れた重一郎は,憔悴しきって倒れてしまう.その後,重一郎は,末期胃がんであると診察されるのであった.それから,物語は象徴的な結末を迎える.


人から薦められて初めてこの本を読んだときに感じたのは,三島由紀夫がこのような小説を書くのか,という軽い衝撃と,心の中にわだかまりのように残る違和感であった.三島はなぜこのような小説を書いたのだろうか.もちろん,上にも記したように,核戦争の危機に瀕した時代背景というものもあるだろう.しかしながら,本質的なのは,水爆そのものの存在ではないだろうか.この作品の中で,三島は羽黒の口を借り,水素爆弾(あるいは,羽黒が考える理想的な人間像)について以下のように述べている.


・・・それは孤独で,英雄的で,巨大で,底しれぬ腕力をもち,もっともモダンで知的で,簡素な唯一の目的(すなわち破壊)をしか持たず,しかも刻々の現在だけに生き,過去にも未来にも属さず,一等重要なことは,花火のように美しくはかない,これ以上理想的な「人間」の幻影は一寸見つかりそうもない,その目的は自他の破壊だけ.・・・


その発射ボタン一つを押すだけで,人類を滅ぼす圧倒的な力を持つ存在.水素爆弾は,人類が史上持ち得なかった,想像の埒外にある力である.そしてそれは,人類が作り出したものが人類を滅ぼすという,明らかな矛盾を最もよく体現するものではないだろうか.人類の作り出した矛盾が,人類と地球を美しくならしめるという,アイロニカルな存在である.そして,水爆は,人類の文明が行き着くところまで行き着いてしまったということ,さらに,人類の破滅という終末とを強く予感させる象徴的な存在である.このような力と,理論的・文学的・精神的にどのように対峙すべきであろうか.三島由紀夫は,水爆の本質的な意味を理解し,震えおののいたのではないだろうか.あるいは,水爆の持つ魔性にとりつかれたようになったのかもしれない.上記の羽黒の言葉にそれを感じてしまう.


三島由紀夫は,人類への危機感をもともと痛切に感じていたのだろう.三島にとって,人類と地球は,「美しくない人類」であり「美しくない星」であったに違いない.そして,自身のそういう思いを共有しない人類に焦燥し,危機感を感じていたように思えてならない.三島由紀夫はあくまで孤独であった.そのようなときに,水爆という,桁違いの暴力の実在を目の当たりにしたのである.


そのように考えると,三島が,宇宙人という,地球人に優越する存在の視点を利用してこの小説を書いたということは,当然の帰結であったのかもしれない.以前このブログで三島由紀夫の「イカロス」について書いたが,この作品「美しい星」も,イカロスに通じるところがある.そして,このように考えてきたとき,宇宙人同士の戦いで,人類を救おうとする重一郎が論争に敗れるということは,極めて示唆に富んでいる.


「美しい星」を傑作といえるかどうかについては,評価は分かれるのかもしれない.三島の意気込みや意図も,空回りしているところがあるように思える.しかし,私にとっては衝撃的で,この本を薦められた状況とあわせて,強く印象に残る作品となっている.


追記 (2006年1月2日)

「美しい星」 (三島由紀夫) に見る金沢の風景






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