投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

クリスマス・キャロル (チャールズ・ディケンズ)

いよいよ明日、元号が平成から令和に変わる。元号に意味はないと考えることもできるが、それでも一つの時代の区切りを表すものなのではないか。するとその移り変わりは、いわば生まれ変わりを連想させずにはおかない。そう考えるといろいろな物語のことが思い浮かぶが、このエントリでは、ディケンズによるクリスマス・キャロルについて書いてみたい。 と言っても、クリスマス・キャロルはあまりにも有名な小説で、今さら私などがブログに書くのも躊躇してしまう。私自身何度も読んだし、映画化も何度もされている。主人公のスクルージは、守銭奴の代名詞として英単語になっているほどだ ( https://en.wiktionary.org/wiki/scrooge )。しかし、屋上屋を架すのもブログの醍醐味であり、臆面もなくエントリにしたいと思う。 クリスマス・キャロルは、スクルージという老いた商人の改心の物語である。スクルージは、単純に言えば守銭奴で、無慈悲で冷酷な男である。造形としては、現代では典型的なキャラクターに思われるだろう。そのスクルージのもとに、過去・現在・未来を表す三人の精霊(幽霊と訳すこともある)が現れ、それをきっかけとして、スクルージは生まれ変わったかのようになるのであった。 この物語は、クリスマスがどんな意味を持つかが分からないと、真に理解できないのかもしれない。したがって、非キリスト者てある私が、クリスマス・キャロルを語ることについては、ある種の後ろめたさを感じる。それでもあえて言うならば、私は、この物語を読むとき、イエスのあの有名な言葉をいつも思うのだ: この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。 (マタイによる福音書 4:17) しかし、クリスマス・キャロルは、単にスクルージの悔恨と改心の物語ではないのではないか。三人の精霊が訪れたのち、スクルージは実質的に死んだ。そして、再び新たな生を生きた。むしろそれは、再生というより新生という言葉がふさわしい。つまりスクルージは、復活したイエスを想起させる存在なのかもしれない。そう考えると、スクルージは生まれながらの守銭奴ではなく、生きてきた環境によってそうならざるを得なかったという見方もできるだろう。 いずれにせよ、クリスマス・キャロルは、死と生の物語である。そして死に続くその生は、永遠に続くのである。 一