青が散る (宮本輝)

以前のエントリ (「蛍川」) に引き続き,宮本輝の作品について.宮本輝の作品には思い入れがあるものが多く,このブログで次にどれを取り上げようかと考えるとき,いろいろと迷ってしまう.そんな中でも,今回は宮本輝の「青が散る」(文春文庫)について書く.


「青が散る」は,大阪郊外の新設私立大学を舞台とした,椎名燎平とその仲間たちの青春小説である.この大学は,宮本輝が卒業した追手門学院大学がモデルと思われる.しかしながら,作者自身によるあとがきによれば,「青が散る」は自伝小説ではなく,「青春という舞台の上に私が思いつくまま作り上げた虚構」であるとのことである.ただ,そのあとがきにもあるように,宮本輝は大学の4年間,来る日も来る日もテニスに打ち込んでいたとのことであり,その経験に裏打ちされたところはあるだろう.


主人公の椎名燎平は,ひょんなきっかけでテニスを始めることになる.燎平とその友人は,来る日も来る日もテニスに打ち込む.そんなテニスに明け暮れる毎日での,燎平と男友達の,夏子や裕子をめぐる恋.特に,夏子に対する燎平の思いは,歯がゆいくらいに一途で,不器用である.このような燎平の人となりは,辰巳教授が燎平に与えた2枚の色紙に書かれた言葉,「潔癖」と「王道」によって見事に表されている.


このような,「若さという不思議な力」に満ち溢れた,あざやかな「青春の光芒」を象徴的に表すのが,燎平が初めて会ったころの夏子の瞳の色であろう.燎平の友人金子は,夏子に初めて会ったとき,その瞳の色を興奮気味にこう語る.


・・・

金子はそれに答えず,

「あいつの目,緑色やったぞォ.」

と言った.

「緑色?」

「うん,何や黒いような青いような,けったいな目をしてた.あの目にじっと見られてるうちに,頭がかあっとしてきたんや」

・・・



しかし,燎平とその仲間達の生活は,無邪気に明るいばかりのものでは決してなかった.この物語の登場人物は皆,心の奥底に,決して消し去ることのできない哀しみを抱えている.若さと輝きが溢れる青春時代にも,その暗い影は折に触れて頭をもたげてくる.その最も端的な人物造形が,安斎克己であろう.安斎は天才的なテニスの才能に恵まれながら,自分の血に流れる狂気の予感を抑えることができない.ついには,発狂の恐怖に耐えられず,自殺してしまうのである (話はそれるが,私はこの挿話に夏目漱石的なものを感じずにはいられなかった).


もちろん,燎平やその友人達も例外ではない.燎平らは,皆何らかの形で挫折し,大切にしていたものをなくしてしまう.見方を変えれば,「青が散る」は,青春における喪失の物語といえるかもしれない.このような喪失は,やはり夏子の緑色の目によって象徴的に語られる.結末近くで燎平は,夏子と話しているとき,その瞳についてあることに気づく.このとき,燎平は夏子に対するすべてを完全に喪失するのである.


しかしながら,「青が散る」は,喪失の物語であるものの,胸が熱くなるような感動を読者に与えずにはおかない.これは,燎平たちの青春時代の喪失の過程で,何かを失うかわりに,他の大事な何かを得たということを我々が確信させられるからであろう.人は,何かを失うことなく,大切ななにものかを得ることはできないのかもしれない.また,人生における哀しみからは,青春時代ですら逃れることはできない.青春の輝きゆえに,その哀しさとの対照は鮮烈なものにならざるを得ない.我々は,自らの青春に散ったものを思い起こし,この小説に共感するのである.


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