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ブログ20周年最後の日の更新

今年は、本ブログが開設してから 20 周年である(本ブログが開設したのは2005年7月くらいであるから、正確に言うと、2025年6月くらいで20周年で、今はもう20年と半年くらい)。しかし、20周年にも関わらず、忙しさのあまりに、本ブログはまったく更新していない。開店休業状態。今年はさすがに恒例の20周年記念エントリを書こうと思っていたのだが、それすらできなかった。 とにかく時間がないのである。もはや、facebook, twitter(現X)、note ですらまともに更新できていない。うーむ。 しかし20周年なのにまったく更新できないのもさびしい気もするので、アリバイがわりに、メモのような内容を一つエントリにしてみたい。 以下のようなエントリがあり、思うところがあった: 昔ひどいイジメをしていた人が家庭を持って、職場では評価されているのを見ると、神様なんていないんだなって思う話→「人生不公平しかない」「必ず報いがある」 - posfie https://posfie.com/@taimport/p/K1eDB8k そのコメント↓ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@taimport/p/K1eDB8k そして、上記エントリとは趣旨が違うかもしれないが、私も同じように悩むことはあるのである。それを簡単にいえば、以下のようになるだろうか。 我ながら、随分と馬齢を重ねてきた。そして、だからこそしみじみ分かるのだが、世の中は、予想もできない理由で、うまくいかないことが本当に多い。なんでかなあ。ため息がでてくる。 自分としては、必死にやってきたつもりだった。しかし、目標からだいぶずれ、いつのまにかこの年になってしまったというのが正直なところだ。 結論として言えるのは、人生は生きづらかったということだ。むしろ生きづらいことこそ人生の常態といえるのかもしれない。 ましてや昨今の世界情勢は、不安定さを増すばかりである。また日本に限っても、大地震の恐怖は消えることはない。そして、ここには書けないが、私にはプライベートでの悩みは尽きない。とにかく不安と二人三脚で、生きてきたといえば大げさだろうか。 私の悩みなど大したことはないかもしれないが、それでもこのようにして生きていれば、頭をもたげてくる思いはある。つまり、神はいるのか、いないの...

人を好きになる経験について

以下の記事を読んで、思うことがあったので、エントリにしてみたい。 人を好きになる経験がないと何がいけないのか https://anond.hatelabo.jp/20240509105701 そのコメントは以下↓ [B! 増田] 人を好きになる経験がないと何がいけないのか https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240509105701 人を好きになるということだが、好きになる対象は物でも動物でもかまわない。そこで以下では、「人」と書いてあっても適宜読み替えていただきたい。 さてここで本題だが、人を好きになるとはどういうことか。 人を好きになるということの本質を、言葉で正確に定義することは難しい。そこで凡百の言説を含め、今までさまざまなことが言い尽くされてきた。 このような、いわば議論百出のような状況になっているのは、人を好きになるということが、人生の歩みに基づいた行為だからではないだろうか。人が生きるという有りようがさまざまであるからこそ、人が好きになるという営為もさまざまでありうる。 そうであるとすれば、私にとって、人を好きになるということとはどういうことか、それを書いてみるのも意味があるのかもしれない。 私にとって、人を好きになるということは、説明しがたい、不思議な体験である。別の言葉で言えば、その体験は、どうも人間離れしているようにしか思えないのである。 もちろん、人を好きになるときの高揚感、興奮状態というのは、普段と違う状態ではある。だが私はそういうことを言っているわけではない。 どうも我ながら言語化が下手でもどかしいのであるが、自分の思いをまとまりなく書いてみると、以下のようになるだろうか。 私はときどき思うのである。この薄汚れた灰色の世界、時には地獄としか思えないこの世の中で、私は何ができるだろうか。究極的には、何もできない。そしていろいろなものに蓋をして、絶望すらごまかしながら、生きていくしかない。そうして人生というものがいつかは終わるのだろう。 そのような世界で、人を好きになることこそ、人にできる最後の祈りでないだろうか。そしてそれは、神からの祝福であるように思えるのである。だからこそ、人を好きになる、人を愛するときのみ、人は神になることができるのではないだろうか。 そのように考えてきた...

ブログ開設18周年と、たゆまず歩いていくということ

年末なので、恒例のブログ開設記念エントリを書いてみたいと思います。やはり一年に一度はこのエントリを書かないと、どうも落ち着かないので。まあこの手のエントリを書くのは Blogger では初めてなので、ご容赦ください。と言っても、来年以降も書くつもりですが(苦笑) それで本題ですが、このブログは、(今はない)ウェブリブログに 2005 年 7 月に開設し、そのウェブリブログの廃止にともなって、2022 年 8 月に Blogger に移転しました。ほとんど更新できていませんが、まだ今でも続いていると強弁することにすれば、かれこれ 18 年続いていることになります。 18 年。18 年か―。 民法改正があったので、18 歳は成年年齢になります。このブログが始まった年に生まれた人は、もう立派な大人なのです( 法務省:民法(成年年齢関係)改正 Q&A )。18 年という時間は、十分に長いということが言えるでしょう。 それくらい長い間なのだから、この 18 年、私にもいろんなことがありました。個人的のことはネットに(なるべく)書かないようにしているので、読者の方には意味不明でしょう。しかし私には、いろいろあった当時のエントリを読むと、胸をつかれることもあるのです。 それやこれやでこの 18 年を思い返してみると、どうしても人生ということに思いをはせてしまいます。人が生きていると、本当に、いろいろなしがらみや悩みが増えていきます。生きていくことは大変なことだと痛感することも少なくありません。そういうとき、太宰治の文章をよく思い出すのです。 鎖につながれたら、鎖のまま歩く。十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く。笑ってはいけない。私たち、これより他に生きるみちがなくなっている。                  「一日の労苦」(太宰治) 重りを体に鎖でつけられ、それを引きずりながら生きていく。それが人生ということなのでしょう。 そしてまた、漱石の手紙を思い出すのです。 牛になることはどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾(ろうかい)なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕(はら)める事ある相の子位な程度のものです。あせっては不可(いけま)せん。頭を悪く...

40, 50 代の趣味

 こんな記事があった: 40.50代の人の趣味ってなに? https://anond.hatelabo.jp/20231207095703 その記事に対する、はてなブックマークのコメント: [B! 趣味] 40.50代の人の趣味ってなに? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231207095703 私がちょうどこの世代なので、考えさせられる。 私も以前は、時間があれば、仕事以外の分野の勉強(歴史、文学)、音楽(ピアノ、ギター)、料理、旅行、映画、等々を趣味にしたいと考えたことがあった。しかし今は、そんなことは考えていない。 私に今あるのは、時間がないことに対する、ひりつくような焦燥感である。それは、何をしてても頭をはなれることはない。したがって、趣味に没頭することが難しいのである。 これは私と同世代の人間なら共感してくれると思うのだが、この年齢になると、そろそろ人生の終わりが視界の遠くに入ってくる。人生の残り時間を、意識するようになってくるのである。 そうして、今まで私が過ごしてきた時間と、成し遂げた業績を考え、残りの人生でどれくらいのことができるのか想像してしまうのだ。 残念ながら、私は天才ではなかった。そして、残りの人生で、過去の天才が成し遂げてきた業績と同様のものを成し遂げるのも難しいだろう。では、私はどこまでできるのだろうか。 まあ、そうした思いは、典型的な 中年の危機 の一種なのだろう。我ながら、凡庸であることに苦笑せざるを得ない。 しかしながら、目標達成にむけて、私なりに進歩しているのは実感している。特にここ4年くらいは、コロナ禍のせいで、(普段の仕事はあるが)自分の目標達成に専念することができた。私は引き続き、まっすぐに進んでいきたいのである。言い換えると、私の人生をかけるつもりなのである。そこで、私は、上に書いたような趣味を新たに始めることを、あきらめることにした。 正直言えば未練のような思いはあるが、人生の残り時間が限られていることを思えば、何かを捨てるということは避けられないだろう。 そして、時間さえあれば、自分の目標達成に専念していきたい。もう私には時間はないし、自分の人生に後悔したくはない。 また、この目標は、私の仕事の一環でもある。その仕事には定年があるが、定年後も...

よい教師とは

ブックマークを整理しているときに、良い教師について、ふと考えた。そのきっかけは、以下の記事(2023年5月20日)である。 教授時代の学生の評価は「最低」 日銀総裁が語った「伝える難しさ」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR5M7642R5MULFA02V.html     日本銀行の植田和男総裁が19日、東京都内で講演し、総裁就任前に教授を務めていた共立女子大(東京都)で、学生からの評価が「最低」だったと明かした。そのうえで、複雑さを増している日銀の金融政策や経済環境を念頭に、「それぐらい分かりやすく伝えることは難しい」と語った。 (中略)  19日の講演で植田氏は、共立女子大での自分の講義に対する学生の評価を紹介した。「ダラダラ話しているばかりで何も分からない」という声のほか、「授業料を返してほしい」といった厳しいものもあったという。 植田氏は東大教授等を歴任していることから、研究上では大きな業績を上げたのだと思われる。しかしそれでもその講義は、学生からの評判は必ずしも芳しくはなかったようだ。 その一つの理由として、よい研究者はよい教師とは限らないということが挙げられるだろう。 そうした点については、以前以下のようなエントリを書いた: 博士号取得者が高校教師になるということ https://dayinthelife-web.blogspot.com/2013/03/blog-post_27.html 今日のエントリは、もう上記エントリで言いつくした内容の焼き直しである。それでもあえて屋上屋を架してみたい。 世間一般では、学問について誤解があるようだ。その背景にあるのは、普通の人が学問についてイメージする内容が、高校レベルで止まっているということである。大学進学率が50%を超えた現在になってもそれは変わらない。 高校まで学ぶ内容については、文科省が学習指導要領を定めている。その結果、検定を受けた教科書があり、 教師用指導教本・資料がある。そして大学入試まで、その指導要領に基づいた試験が行われる。いわば舗装された道ができているのである。 一方で、大学以降の学問には、そのような統一的な道はない。そこにあるのは多様性であり、時として無秩序である。なぜならば、世界と人生がそうだからである。本来我々はその...

Twitter の終わり

twitter が休眠アカウントを削除するという報道があった。 マスク氏 ツイッター “休眠アカウント” 削除進めると表明 | NHK | IT・ネット Twitter to remove idle accounts, archive them | Reuters twitter は民間企業なので、休眠アカウントを維持していくコストを無視できないという事情はあるだろう。私はそれを責めるつもりはない。私はツイッターに何か課金をしているわけでもないので、その資格もない。 しかし、結果として、もう亡くなった方のアカウントも削除されていくだろう。そういうアカウントは、亡くなった方の生きていた証として大事に思われていたことも多かったのではないか。 私自身、もう亡くなったある方と相互フォローをしていて、それが私にとっても大切な思い出となっていた。また、それが、私が twitter を続けている理由の一つでもある。 もう15年くらいになる。相互フォローになったのは、私が twitter を始めた年だった。そしてそのアカウントも、休眠アカウントとして削除されるのだろう。 少ないながらも、私と10年以上相互フォローしてくださる方もいらっしゃり、それは非常にありがたく思っている。どうもありがとうございます。一方で、休眠アカウントの削除が実施されたときは、心に穴が開いたような気持になることだろう。

大江健三郎死去

もう3週間前のニュースになってしまったが、時代の記録としてエントリにしておきたい。 大江健三郎が、今年3月の初めに亡くなった。 ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 | NHK | 訃報 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html 私も、以前大江健三郎についてエントリを書いたことがある。もう10年前になるのか。 大江健三郎について https://dayinthelife-web.blogspot.com/2012/08/blog-post.html 上記エントリでは、大江健三郎の作品の書評をいつか書いてみたいなどと偉そうなことを書いていたが、忙しさにかまけて結局できなかった。このブログでは、そんなことばかりであるけれども。 大江健三郎の傑作としてネットで挙げられているのは、「万延元年のフットボール」が多かったようだ。しかし私は、本ブログのエントリとしては、やはり「静かな生活」について書いてみたい。ただ軽い気持ちではエントリにできないため、時間が経つままになってしまっていた。 私の知識では、大江健三郎の作品を深く論じることはとてもできない。しかしそのいくつかの作品は、私の読書の経験の中で、かけがえのない存在となっている。 あらためて、お悔やみを申し上げます。

人類が滅びるとき

以下のような記事があった: 人類史、迫る初の人口減少 繁栄の方程式問い直す 人類の爆発的な膨張が終わり、人口が初めて下り坂に入る。経済発展や女性の社会進出で、世界が低出生社会に転換しつつある。(以下略) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021H00S1A600C2000000/ 上の記事から引用: 世界人口は2064年の97億人をピークに減少する――。米ワシントン大は20年7月、衝撃的な予測を発表した。 50年までに世界195カ国・地域のうち151が人口を維持できなくなる。国連は「2100年に109億人となるまで増え続ける」と試算していたが、出生率が想定以上に落ち込む見通しだ。 こういう記事を読むと、いつも考えてしまうことがある。 人類が滅びるのは、戦争とか災害などが原因ではなく、少子高齢化のせいかもしれない。それは分からない。そして今の人類が滅びた後は、また新たな人類が誕生し、文明が発展していくが、いつかは滅びていく。宇宙の気も遠くなるような時間の中では、このようなことが繰り返されているのかもしれない。 そのように考えていくと、いつも思うのだ。一人の人生とは、何とちっぽけなものなのだろう。 それでも人は生きていかなければならない。そして人生とは、つまるところ、自分が納得できるかどうかなのではないか。 いずれにせよ、人類が滅びようが滅びまいが、それに比べれば一人の寿命ははるかに短い。そして、人間という存在がささやかなものであるからこそ、祝福されており、また、神の恵みがあるようにも思えるのである。

答のない問いに答えるということ

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ブログのリハビリ期間である。 二カ月以上前に、以下のような記事があった: WEB特集 “答えのない教科書” のぞいてみませんか? | 教育 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210401/k10012949721000.html それで思うところがあったのでブログを書こうと思ったのだが、バタバタしているうちに時間も過ぎてしまい、エントリを書く気力も失せてしまった。ブログに限らず、鉄は熱いうちに打てということを痛感する。 そのエントリを書く気がなくなったが、せっかくなので簡単にまとめておくと、答のない問いに答えるということは、結局、人生を選択するということと同じ意味を持つのである。 T2 Trainspotting (2017) - Choose Life Scene (6/10) | Movieclips - YouTube 選択ということについては、次のエントリでまとめて書いてみたい。

人と人に架ける橋

以下のエントリを読んで、興味深く思った。 株式会社ゼンリンさん発案!思わずなんじゃと言いたくなる「びっくり道路選手権」タグ抜粋まとめ - Togetter https://togetter.com/li/1639403 上記エントリを読んで特に思いをはせてしまったのは、橋についてである。橋とは、一体何であろうか。 もちろん辞書的に言えば、橋は、対岸へ渡ることを目的とする建築物のことである。しかし、橋は、人にとって、その語義を超えた意味を持つように思うのだ。 橋というものを考えるとき、いつも私の頭に浮かぶのは、水上勉の文章である。 水上勉は大正8年、福井県に生まれた。その父は寺社大工といっても貧しく、水上は9歳から家を出され、瑞春院(京都)の徒弟となった。このような背景は、後の水上作品にたびたび描かれている。 たとえばその一つに、「生きるということ」という作品(新書)がある。そのエッセイにある以下の文章は、水上の生い立ちとともに、橋というものを語り、読むものの心をしみじみ揺さぶるのである:  小さいころ、母はよく、谷の奥に私をつれていって、蓑(みの)一枚ぐらいしかない小さな田の畦(あぜ)にすわらせ、自分は胸までつかる汁田(しるた)で苗を植えていた。この谷は暗くて、一日に陽が三時間ほどしか射さなかった。村でもきわめて貧しい谷であった。そんな谷の口に私たちの家があった。谷には畑もあった。そこで、母は芋や大根をつくった。ここへゆくのに、深い川が一つあった。木橋がかかっていたが、大水のたびによく流失したので、母はよく橋普請した。(中略)母は、自分一家の収穫のための谷田へわたされた橋を、その生涯に何度架けただろう。(中略)  私は、九歳でこの母に別れた。京都の寺へ小僧に出たからだが、故郷のことを思うと、母の架けていた橋が瞼(まぶた)にうかんだ。今日も、それはうかぶ。旅をしていて、汽車が、似たような山の谷をすぎると必ずうかぶ。ああ、日本という国は、どうして、こんなに似た谷や山が多いのか。青森でも、四国でも、九州でも、わが在所の谷と似た谷をみた。それらのいずれの谷にも、奥へゆくと、小さな橋が架かっているだろう、と私は思ったものだ。 同書でさらに水上は、続けて、名古屋市熱田にあった、裁断橋(さいだんばし)の擬宝珠(ぎぼし)に書いてある碑文を紹介する。それによれば、豊臣秀吉の小田原の陣...

ブログ開設15周年と赤毛のアン

某所ですでに書いたことであるが、ウェブリブログは開設お祝いメールを毎年送っていたのだが、今年から送らなくなったようだ。そういえば、去年の14周年のときにはお祝いメールが送られてきたのだが、すっかり忘れていた。そんな体たらくなので説得力はないが、残念には思っている。 このブログでは、これまで開設メールが届くたび、その時の所感をエントリにしてきた。その習慣(というほどでもないが)が途切れるのも気持ち悪いので、今後は一年に一回、個人的にブログ開設記念エントリを書くようにしたい。自意識過剰とお叱りを受けるかもしれないが、まあブログなんて、自意識過剰の結果書くものである。というわけで、以下、恒例のブログ開設記念エントリである。 最初に、記録として書いておくと、このブログは今年の6月20日で15周年を迎え、PVは 677,302 くらいである。14周年では、PVは 586,026 だった。 それにしても、15年か――。綱渡りといえば大げさだが、なんとか生きてこられたというのが正直な実感である。 その間、自分の考え方も、年齢相応に変わってきた。それはさまざまな機会に感じることなのだが、たとえば、昨年ふとしたきっかけで、「赤毛のアン」を読むことがあった。そのときに、自分の変化を痛感したのである。なお、最近NHKでアンの外国ドラマの放送かあったようだが、偶然で、私は未見である。 私が新潮文庫の赤毛のアンを最初に読んだのは、中学生のときだっただろうか。そのときは、この小説がなぜ名作なのか分からなかった。端的に言えば、退屈にしか思えなかった。 そんな記憶があったので、赤毛のアンを再読したときも、期待はしてなかった。ところが、読了後の感想は、我ながら予想外だった。率直に言うと、ひどく感動してしまったのである。 たとえば、以下のような場面がある。マシュウとマリラの兄妹は、孤児院から男の子を一人引き受けることになった。しかし、マシュウが駅に迎えに行ったとき、実際にやってきたのはアンだったのである。事情を知らないアンは、孤児院から出る今後の生活に期待して、喜びに胸を膨らませる。しかし、家に連れて帰ったとき、アンは歓迎されなかった。マリラは、男の子を期待していたからである。アンは、マシュウとマリラが話すのを、黙って見つめるしかなかった。  この話がとりかわされている間、こども(注: アンのこと)は...

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス)

私が本書「アルジャーノンに花束を」を初めて読んだのは、随分前になる。本書は何年か前に新版となったのだが、しばらく前に、改めて読みなおしてみた。そしてそのとき、以前読んだとは違う思いをしみじみ感じた。 今から思えば、前回この小説を読んだときは、人生の喜びも悲しみも分かっていなかった。もちろんそれは、今でも分かっていないのかもしれないし、それどころか一生分からないかもしれない。いずれにせよ、その思いをエントリにしてみたい。 「アルジャーノンに花束を」の主人公は、チャーリイという知的障害を持った青年である。この物語で描かれるチャーリイの姿は、その知的障害の故に、世界にある苦しみと悲しみとを意図せずに浮き彫りにする。 チャーリイは、ストラウス博士の手術を受ける前は、社会が自分に向けてくる嘲笑や侮蔑に対して、気づくことができなかった。また、自分のせいで、両親が罪悪感や苦悩・恥辱を感じ、互いにいがみ合っていることも、チャーリイには分からなかった。しかし、チャーリイは、無意識にそれらを感じているのである。それは、普段はチャーリイの心に澱(おり)のようにたまって動かないのだが、ふとしたはずみで顔を覗かせるのだ。 それは、たとえば以下のようなときである。ニーマー教授とストラウス博士から今後の手術について問われたとき、チャーリイは、こう応じるのである(知的障害を持ったチャーリイが書き記したものなので、読みづらい): キニアン先生(註: アリスのこと)もそういっていましたけれどもぼくわ痛い目にあってもかまわないのですぼくわじょおぶだしいしょけんめやるつもりですからとぼくわいった。かしこくしてくれるならかしこくなりたいのです。 私は、チャーリイのこの言葉に、涙を抑えることができなかった。チャーリイは、自分がもし賢かったら、より愛されるだろうと無邪気に思うだけである。しかしその思いは、出てくる言葉ほどには単純ではない。そこでは、チャーリイの声にならない叫びが聞こえてくるのである。それどころか、涙が、あまつさえ血が流れているのである。 そしてさらに、私にはある思いが浮かび上がってくる。チャーリイが求めているのは、救済である。しかし、この物語では、チャーリイにとって救いとは何なのだろうか? ストラウス博士の手術は成功し、チャーリイは、高い知性を持つようになる。それは、読者にとっても分かりやすい、...

クリスマス・キャロル (チャールズ・ディケンズ)

いよいよ明日、元号が平成から令和に変わる。元号に意味はないと考えることもできるが、それでも一つの時代の区切りを表すものなのではないか。するとその移り変わりは、いわば生まれ変わりを連想させずにはおかない。そう考えるといろいろな物語のことが思い浮かぶが、このエントリでは、ディケンズによるクリスマス・キャロルについて書いてみたい。 と言っても、クリスマス・キャロルはあまりにも有名な小説で、今さら私などがブログに書くのも躊躇してしまう。私自身何度も読んだし、映画化も何度もされている。主人公のスクルージは、守銭奴の代名詞として英単語になっているほどだ ( https://en.wiktionary.org/wiki/scrooge )。しかし、屋上屋を架すのもブログの醍醐味であり、臆面もなくエントリにしたいと思う。 クリスマス・キャロルは、スクルージという老いた商人の改心の物語である。スクルージは、単純に言えば守銭奴で、無慈悲で冷酷な男である。造形としては、現代では典型的なキャラクターに思われるだろう。そのスクルージのもとに、過去・現在・未来を表す三人の精霊(幽霊と訳すこともある)が現れ、それをきっかけとして、スクルージは生まれ変わったかのようになるのであった。 この物語は、クリスマスがどんな意味を持つかが分からないと、真に理解できないのかもしれない。したがって、非キリスト者てある私が、クリスマス・キャロルを語ることについては、ある種の後ろめたさを感じる。それでもあえて言うならば、私は、この物語を読むとき、イエスのあの有名な言葉をいつも思うのだ: この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。 (マタイによる福音書 4:17) しかし、クリスマス・キャロルは、単にスクルージの悔恨と改心の物語ではないのではないか。三人の精霊が訪れたのち、スクルージは実質的に死んだ。そして、再び新たな生を生きた。むしろそれは、再生というより新生という言葉がふさわしい。つまりスクルージは、復活したイエスを想起させる存在なのかもしれない。そう考えると、スクルージは生まれながらの守銭奴ではなく、生きてきた環境によってそうならざるを得なかったという見方もできるだろう。 いずれにせよ、クリスマス・キャロルは、死と生の物語である。そして死に続くその生は、永遠に続くのである。 一...

ブログが終わりつつある時代に

もう旧聞に属するかもしれないが、ブログのエントリにしておきたい。 今年の2月28日に、Yahoo!ブログの終了がアナウンスされた: Yahoo!ブログ サービス終了のお知らせ https://promo-blog.yahoo.co.jp/close/index.html Yahoo! Geocities も、この3月末で終わる: サービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ https://info-geocities.yahoo.co.jp/close/ これらのアナウンスを読むと、いろいろな思いが去来する。ブログは冬の時代と言われて久しいが、最早それも過ぎて、いよいよブログも終わりのフェーズに入ったということだろうか。長かった平成もこの四月で終わることを思えば、ブログが終わりつつあるという感慨もますます強くなる。 実際、note などのごく少ない例外を除けば、ブログを書く人は本当に減った(note は、古い意味でのブログとはまた違うような気がする。それはむしろいいことなのかもしれないが)。 昨今の状況を見てみると、本ブログをホストしているウェブリブログも、いつ閉鎖するか分からない。しかし、ウェブリログは、むしろよく頑張ってサービスを提供してくれたと言えるのではないか。仮に今サービスが終了するとしても、感謝の念しかない。 こうした、ブログを取り巻く状況に思いを巡らせると、私も、ブログに対する姿勢を変えなければと思うようになってきた。より具体的には、なりふり構っていられない、書きたいことはなんでも書かねばという、いわば焦りにも似たような思いである。現在は、ウェブリブログに限らず、どんなブログサービスも、いつ終了してもおかしくないというような状況である。今書かなければ、その機会は失われてしまうかもしれない。 たとえば、私は、ブログに書かないと決めたテーマがある。ネガティブなこと、より広く言えば、人間の闇に関することなどだ。これらは、人間というものの一つの真実であり、文学のテーマでもある。しかし、こうした内容については、このブログで触れることを意図的に避けてきた。それは、誤解を招くのを恐れず言えば、私がこのブログで扱っていきたいテーマとはそぐわないからである(これついてはたびたび書いてきたが、たとえば「 ブログ開設12周年と,今後ブログに書いていきたいこと 」...

人生論ノート (三木清)

「人生論ノート」を初めて読んだのは、高校生くらいのときだったろうか。おそらく、ある世代には本書が必読書とされていたという、そんな話を小耳にはさんだのが、読むきっかけだったように思う。 しかし、ここに書いてある思想は、当時の未熟な私には響いてこなかった。必読書という言葉の押しつけがましさにも、反感を覚えたような記憶がある。 そんな記憶さえおぼろげになるくらい、昔の話である。時間がたつのは早いものだ。当時と比べれば、私は成熟したところもあれば、衰えたところもあるだろう。少なくとも言えることは、今の私は、長く世間の塵埃にまみれてきたということだ。そのせいなのか、改めて「人生論ノート」を読み返してみると、琴線に触れることが多くある。それは、若いころの私には思いもつかないことであった。 たとえば、「希望について」という章がある。そこには、以下のような文章がある:  人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は、運命と称している。もし一切が必然であるなら、運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら、運命というものはまた考えられないであろう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっているゆえに、人生は運命なのである。  希望は運命のごときものである。それはいわば運命というものの符号を逆にしたものである。もし一切が必然であるなら、希望というものはあり得ないであろう。しかし一切が偶然であるなら、希望というものはまたあり得ないであろう。  人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって、生きていることは、希望を持っていることである。 私は、戦慄しながらこの文章に共感する。 我々は、成功したときは自らの実力を誇るだろう。一方で、失敗したときは、その原因を不運に帰するものである。しかし、ありていに言えば、いずれの場合も運によるところが大きいのだ。そして、そのような積み重ねが運命である。我々は、こうして運命の下で生きていくしかないのである。 では、我々は、計り知れない運命に翻弄されながら生きていくしかないのか。人間とは、暴力と見まがうほどの運命の前では無力な存在でしかないのか。 私は、この問いに対して、そのとおりとしか言えない。しかし、荒れ狂う運命の波間に、希望というものが確かに存在...

ブログ開設13周年と「懶惰の歌留多」

もう半年も前の話になるが、今年の6月に、以下のような毎年恒例のメールが来た。 日付: 2018/06/18 8:04 件名: 祝ブログ開設13周年! ○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●  ブログを開設してから、もうすぐ13周年!! ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○ ウェブリブログに登録してから、あと2日で13周年になります。 ウェブリブログ事務局のまーさです。 ご利用いただき、ありがとうございます!     A Day in the Life       http://dayinthelife.at.webry.info/ この13年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・     530733 件 になります。 時機を失した感はあるが、本ブログの一年の区切りに、なぜ私はブログを書くのかといったエントリをまとめるのが恒例であった。しかし、大したブログでもないのに、そんなエントリを書くのも滑稽である。そこで、もっと気楽にエントリを書いてみたい。 すると、年末ということもあり、今年一年のことが胸に去来する。今年は本当にいろいろあった。私の人生でも強く印象に残る一年になるだろう。その結果、仕事の成果を残したいという渇きにも似た思いが胸に刻まれることにもなった。 このような思いを感じるとき、太宰治の「懶惰の歌留多」という作品のことを思い出す。 「懶惰の歌留多」は、文学的には評価されていないだろう。文中にあるように、締め切り間際に書き上げた、駄文と言えないこともない。しかし、そこには、太宰の小説家としての苦闘や苦悩を、窺わせるものが確かに存在するのである。 たとえば、以下のような文章がある。 苦しさだの、高邁だの、純潔だの、素直だの、もうそんなことは聞きたくない。書け。落語でも、一口噺でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。おろかな、おろかな、盲信である。人は、自分以上の仕事もできないし、自分以下の仕事もできない。働かないものには、権利がない。人間失格、あたりまえのことである。 文章を紡ぎだすときの身悶えするような悪戦苦闘の中で、自らを奮い立たせようとする。それはまさに、創造の苦しみに他ならない。 そして、創造の煩悶ののちに、太宰はある境地に達したかのように見える 戦争...

さくらももこ氏死去

さくらももこ氏が亡くなりました: さくらももこ 公式ブログ - さくらプロダクションからお知らせです。 - Powered by LINE https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67300025.html 「ちびまる子ちゃん」は個人的に思い入れのある作品でした。 それにしても、亡くなったのが53歳、しかも乳がんとか、まったく他人事には思えません。個人的に、大きなショックを受けています。 心からお悔やみ申し上げます。

平成の終わり

先日のエントリ( 平成30年の出来事 )に書いたように、立て続けに大きな出来事が、平成の終わりとなる今年に起きている。そこで、平成という時代に思いを馳せざるを得なかった。 私は、平成という時代には、万感の思いがある。そこで、まとまりのない内容ではあるが、エントリにしてみたい。いろいろ差し障りのあることは書けないので、漠然となるのはご容赦ください。しかし私には分かるので、私にとっては備忘録のようなものである。 改めて、私にとって平成とは何だったか。 ぱっと脳裏に浮かぶのは、青春という言葉である。豪雨災害があったときに不謹慎かもしれないが、全体で考えると、私にとって平成とは、人生において最も多感な時代であり、青春という言葉が思い浮かぶ。 私も、学生時代にはいろいろあった。しかしそれをここに書いたとしても、興味深くはないだろう。我ながら、凡庸な学生時代だったとしか言いようがない。 ただ、社会人となってからのプライベートについては、多少波乱万丈なところもあり、面白いと思ってもらえるかもしれない。特に、臆面も無く言えば、長い間かけて、愛というものを知った。そして、それが自分の中で確固としたものとして存在するまで、ある程度の時間がどうしても必要だった。 これには私の誤解もあるかもしれない。だが、そのありうる誤解も含めて、私の人生だと思っている。 こうした、いわば愛をめぐる機微については、実は折に触れてブログに書いてきた。読者の皆さんには伝わっていないかもしれない。それでも、今後とも書いていくだろう。 そして、私にとっての平成を彩るもう一つの要素として、仕事がある。ただ、仕事については、その結果について、まだ納得はしていない。まだまだやってないこと、やるべきことが山積している。しかし、それについては基本的には実名が出るところで書きたいと思っているので、このブログで書くことはあまりないだろう。 もちろん、この間、世界では様々なことが起きた。しかしこのエントリでは自身のことに限定したい。 そうすると、上に書いたようなことが、私にとっての平成だった。今から思えばそれは、青くて、未熟だった。それは一言で表すとすれば、青春としか言いようがない。 もちろん客観的に見れば、私のようないい年をしたおっさんが、青春なんてよくも恥ずかしげもなく言えるなとは思う。ご指摘まことにごもっともではある。私も...

「痴呆老人」は何を見ているか (大井玄)

単純にいえば、認知症とは、知力、記憶力等のいわゆる認知的な能力が衰える症状である。しかし同時に、認知症は、人間とは何かという根元的な問題を、我々に問いかける存在でもある。 本書は、終末期医療の専門家である著者による認知症の入門書である。出版の経緯から、本書は、平易ではあるものの、類書より哲学的アプローチも試みられている。 この本で印象的なのは、まず、著者が認知症医療に始めて取り組んだときのエピソードである。著者は、長野県佐久市で、認知症の老人を診断する事業に参加した。だが、その宅診は決して容易ではなかった。 そこで見た半身不随の老爺やしょんぼり座っている認知症の老婆の姿は、老いというものを残酷なまでに著者に見せつける。そしてそれらの老人の姿は、著者の当時の能力主義的価値観の対極に存在するものであり、かつ、有効な治療法がないことから、自らの無力をかみ締めさせる。 結局著者は、アルコールに逃げるまでになり、ついには急性の抑うつ反応を呈するまでになる。 しかし、このような著者に救済の可能性を示したのも、認知症の老人たちであった。著者は、宅診のとき、ある老女に出会う。 ある時、着物姿の認知症の老女がぽつねんと薄暗い小部屋に坐っている姿があまりに哀れで、思わず彼女の横に坐り肩を抱きました。すると、彼女の目から、大粒の泪がとめどもなく溢れ出てきます。孤独を言葉で慰めるのが不可能なことは、部外者のわたしでさえ理解できました。彼女のような反応を示す認知能力の衰えた女性にその後何人も出会い、こじれた人間関係の最果てを見る想いがつのりました。 この時に肩を抱いた行為は、何も問題を解決しないどころか、著者の絶望を深めるだけだったかのように思える。しかし、その行為こそが、後の救いのきっかけだったのではないだろうか。 本書では、認知症について様々な視野から思索が積み重ねられる。たとえば、認知症老人には、意図的ではなくても彼らなりに生きようとする働きがある。著者はそれを「いのち」を維持するためと考える。つまり、世界や人格、世界との関係を認知症の老人が仮構するのも、いのちを維持するための一環である。このような考察も重要な示唆に富んでいると思われる。 しかし、この種の本で特に読者が知りたいと思われるのが、認知症の対処ではないだろうか。 たとえば、現在いわゆる「老老介護」が一般的になりつつある。介護...

私をとりこにした三人の「女王さま」(宮尾登美子)

「心に灯(ひ)がつく人生の話」(以下、本講演集と呼ぶ)は、端的に言えば著名人の講演集である。もともとは、文藝春秋で行われた講演の中から選ばれたものが、単行本として出版された。また、文庫化の際、いくつかの講演が追加された。 そして、本講演集を読みなおしているうちに、所収の宮尾登美子の講演について、ブログを書いてみたくなった。 作家として、宮尾登美子の名前を聞いたことがない人は少ないのではないか。10年ほど前、宮尾登美子原作による大河ドラマ「篤姫」がヒットしたことは記憶に新しい(原作は正確には「天璋院篤姫」)。 また、年配の女性には、宮尾登美子のファンがそれなりにいるような印象がある。かくいう私の母も、宮尾登美子の愛読者である。そこで実家には、宮尾登美子の小説がそろっていて、私もいろいろ読んだことがあった。これについては後で簡単に触れてみたい。 さて話を戻すと、本講演集には、1997年山形グランドホテルで行われた宮尾登美子の講演「私をとりこにした三人の「女王さま」」が収められている。深く掘り下げてはいないものの、宮尾登美子の生涯や、その文学活動について本人が語っており、興味深い。本講演集のその他の講演同様、宮尾も講演巧者で、聴衆の満足度も高かったと思われる。 たとえば、この講演は以下のように始まる。  みなさん、こんばんは。  私、この山形は大好きな土地で、ちょくちょく伺っております。いちばん最初は三、四十年昔じゃなかったかと思うんですけど、この山形の方から「ここは雨が真っ直ぐに降る土地です」と聞かされてとっても嬉しくなり、それから大好きになったんです。  私の故郷の土佐は、雨は真っ直ぐには降りません。ぜんぶ横なぐりです。海を前にしておりますから台風も来るし、災害も多い。ところがここでは雨が真っ直ぐに降るせいか、とっても穏やかな人が多いし、それにお付き合いが長く長くつづきますね。ふつう、ファンレターをいただいたり、何かのきっかけでお友だちになっても、途中で途切れてしまうケースが多いんですけど、山形のお友達は、今でもつづいてますの。 さすがに実にうまい導入である。私がもし山形県民なら、これだけで夢中になって講演を聴くことだろう。 宮尾登美子は、第二次世界大戦時に満州に渡り、その引き上げの際などに辛酸をなめた。そのときの苦労があるから小説を書いてるし、生きていると宮尾自身が...