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MENSURA ZOILI (芥川龍之介)

POP*POPというブログを楽しみに読んでいるのだが,そのブログに以下のような記事があった: 芸術の価値を算出する?!MITの発明、『ART-O-METER』 ART-O-METER は,MITで発明されたガジェットで,芸術作品の評価をしてくれるという.ただ,その原理は簡単なもので,芸術作品の前で人々が立ち止まった時間を測定し,それが長いほどよい作品と判断するということだ.どこまで本気なのか分からないが,大変興味深く感じた. そして,この記事を読んで,芥川龍之介のMENSURA ZOILI という短編小説を思い出した. この小説では,芥川は,ZOILIA (ゾイリア) という架空の国へ向かう船の上の人である.このとき,その船の乗客の一人が,芥川に,ゾイリアで発明された「価値測定器」について話を始めるのである. 「価値測定器というのはなんです」 「文字通り,価値を測定する器械です.もっとも主として,小説とか絵とかの価値を,測定するのに,使用されるようですが」 「どんな価値を」 「主として,芸術的な価値をです.むろんまだその他の価値も,測定できますがね.ゾイリアでは,それを祖先の名誉のために MENSURA ZOILI と名をつけたそうです」 ゾイリアの人間がなぜこのような価値測定器を考案したかというと,「外国から輸入される書物や絵を,いちいちこれにかけて見て,無価値なものは,絶対に輸入を禁止する」ためであるという.芥川はこの価値測定器にかこつけて,友人や自分の作品についてちょっとした皮肉をいうのだが,単にそれだけの小品である. それにしても,MENSURA ZOILI や,上記のART-O-METERの記事で興味深く思ったのは,芸術や小説などを誰にでも分かる尺度で評価したいという願望を,古今東西の誰しもが抱くものなのだという点である.おそらく,この手のものはこれからも様々なものが発明されることだろう(今でも,たとえば,ウェブサイトの価値を評価するツールなどは山ほどある).だが,満足できるものは,今後も出てはこないのではないだろうか.芸術や人生は,そんな単純なものではないと思われる.そして,だからこそ人生の醍醐味があるような気がするのである.

Doorganizer - ドアノブポーチ

以前, Lifehacker の記事を基にして,「 "Do Not Forget” ドアハンガー 」という記事を書いた.先日またLifehackerに,それに関連するような面白そうなアイテムの記事 ( Stuff We Like: The Doorganizer ) があったので,ここにメモしておきたい. Doorganizer http://www.containerstore.com/browse/Product.jhtml?PRODID=10015871 リンク先の画像を御覧頂ければ一目瞭然なのだが,Doorganizerは,ドアノブにかけるポーチである.携帯電話,財布,鍵等々,外出時に持って行く必要のあるものを入れておくことができる.もちろん,Doorganizer という言葉は,door と organizer を組み合わせた造語だろう. ただ,携帯などを毎日出し入れするよりも,次の日にやらなければならないことのリマインダとして使う方が有用かもしれない.たとえば,次の日に葉書を出さなければならないときに,前日にその葉書を入れておく等の使い方が考えられるのではないだろうか. いずれにしても,購買欲をそそるガジェットである.

食卓の情景 (池波正太郎)

早くも2007年である.本当に早いもので,このブログも開始から1年半以上が経過した.だが,記事数はまだ100件にもならない.感銘を受けた本の書評についてもほとんど書けていない.それでも,ブログを書くのは楽しい作業である.マイペースで細く長く続けていければと思っている. 今回は,池波正太郎の「食卓の情景」(新潮文庫)について書いてみたい. 私は「仕掛人・藤枝梅安」のシリーズを何冊か読んだことがあるくらいで,池波正太郎の作品はほとんど読んだことがない.そういう意味では,申し訳ないのだが,池波作品の熱心な読者とはいえないだろう.しかしこの「食卓の情景」は好きで,繰り返し読んだ本である. 「食卓の情景」は,一言で言えば,食にまつわるエッセイということになるだろうか.昭和47, 48年にかけて週刊朝日に連載されたものだという.そこで,本書で語られる内容は,当時の時代背景を色濃く反映したものが多い.たとえば,この作品で描写される著者の姿は,家父長制における典型的な家長に近いものがある.今の時代では,違和感を感じるというよりも,微笑ましくも感じられる姿かもしれない. この「食卓の情景」(または池波正太郎作品)の特徴としてよく挙げられるのは,食の描写である.実際この本における料理の記述は,読む者の食欲を喉が鳴るほどそそるものが多い.だが,「食卓の情景」が普通の食のエッセイと一線を画しているのは,むしろ,人生と古きよき時代の日本への郷愁とを,食を通して生き生きとした形で実感できるという点であろう. ここで,二つののエピソードを引用しておきたい. 最初のエピソードは,著者の母の大好物である寿司の話である.著者の母は,その夫と離婚し,女手一つで著者兄弟を育てあげた.そのためにはそれこそ「死物狂い」で働かざるを得なかった.後に,当時を思い出しながら,母は著者に述懐する: 「あのころ,私はつとめが終ると,御徒町の蛇の目寿司へ,よく行ったもんだよ」 「ひとりで?」 「そりゃ,ひとりでさ」 「おれは一度も,つれて行ってもらわなかった」 「だれもつれてなんか行かない.それだけのお金がなかったからね.私ひとりで好きなものを食べていたんだ」 「ひどいじゃないか」 「女ひとりで一家を背負っていたんだ.たまに,好きなおすしでも食べなくちゃあ,はたらけるもんじゃないよ.そのころの私は,蛇の目でおすしをつまむ