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10月, 2005の投稿を表示しています

We Reporters GeoNews = Google News + Google Maps

Going My Way (http://kengo.preston-net.com/) というブログの,以下のエントリ: リアルタイムにGoogle NewsをGoogle Maps上に表示するWeReporters GeoNews http://kengo.preston-net.com/archives/002236.shtml により,「WeReporters GeoNews」というサイトを知った. We Reporters GeoNews = GNews + GMaps http://www.wereporters.com/geonews.htm 上記サイトでは,Google News の最新記事の内容と場所を Google Maps 上に表示してくれる.私のような地図好き,Google 好きにはこたえられないサービスである.というわけで早速メモ. ・・・とここまで書いて,Google のさまざまなサービスを日頃からよく利用していることに思い至った.私がよく利用するのは,以下のようなものである: Google - http://www.google.co.jp/ GMail - http://gmail.google.com/ Google News - http://news.google.co.jp/ Google Scholar - http://scholar.google.com/ Google Desktop Google Maps Google Earth Google Alerts Google は他にもいろいろなサービスを提供しているが,特によく利用するものをあげてみた.Google の提供するサービスにはいつもわくわくさせられる.今後の Google の展開も期待している.

大いなる助走 (筒井康隆)

以前,松本清張の「 或る『小倉日記』伝 」について書いた.今回,松本清張のつながり(知る人ぞ知る)で,筒井康隆の「大いなる助走」(新潮文庫)について書いてみたい.私は,筒井康隆の愛読者である.旅行などの際に読みたくなれば,たとえ持っている本でも買ってしまうので,同じ本を何度も買うことも少なくない.私の友人にも筒井康隆の愛読者は多いようだ. 筒井康隆は,3度直木賞の候補となった(「ベトナム観光公社」(第58回),「アフリカの爆弾」(第59回),「家族八景」(第67回))が,いずれも受賞を逃している.その恨みつらみでこの作品「大いなる助走」を書いた…かどうかは知らないが,少なくとも創作のきっかけにはなっているだろう. 「大いなる助走」の主人公,市谷京二は,ある地方の同人誌「焼畑文芸」に作品を発表し,その同人誌仲間と知り合う.彼等は,文学に対する様々な姿勢のもとに,その同人誌に作品を発表し,文学談義を繰り広げる. この作品では,そのような同人誌の周辺の話題,同人誌作家のありさまなどが描かれる.同人誌の世界は,特殊な価値観をもった閉鎖的なものであるから,そこで描かれる同人誌作家の生態も独特である.中央文壇に対する屈折した感情,同人誌仲間や一般社会に対する軽蔑,嫉妬,憎悪.それらが,筒井康隆らしい毒のこもった筆致で描かれる.その描写における筒井の視線は残酷ですらある. こういった同人誌界(中央文壇も含めて)の特殊性や悲喜劇性は,どこから来るのだろうか.この作品の登場人物が自己韜晦気味に語るように,文壇ジャーナリズムなどの評価などお構いなしに,自らの信じる道を突き進むのが文学ではないのか.そういった,いわば孤高の在り方はないのだろうか. これらの疑問に対して,登場人物の一人である牛膝(いのこづち)は,以下のようにまくしたてる: そもそも小説を書く,というのは自分以外の他人に読ませる為に書くのであって,そうでないなら書く必要はありませんね...小説という,自分以外の他人にとって日記以上に分かりやすい形式で書いたというそのことがすでに,他人に読んでほしいという願望のあらわれなのですからこの点で議論の余地はないと思うんです... 以下延々と続くパラノイア的な演説に,毒に当てられたようになって見逃されがちであるが,上記の台詞が本質を突いているように思われる.すなわち,他者からのまなざし

聖書を読む - 創世記読了

少しづつ読み続けている聖書 であるが,ようやく創世記を読了した(2005年9月21日).遅まきながら,このエントリでは,その創世記について思うところを記しておきたい. 2005年9月1日から10月9日現在,ちょくちょくさぼっているものの,39日で121ページ,平均ほぼ3ページ/日といったところであるから,今のところは想定どおりのペースである.文語の聖書であり,その記録をブログにつけることを考えると,大体これくらいのペースが私にはちょうどいいようだ(前のエントリ参照). 創世記は,神エホバが天地を創造してから,ヨセフが死ぬまでの50章にわたる物語である.イスラエル民族が成立し,モーセが誕生する前までの期間に相当する.内容は大変起伏に富んでおり,誰でも一度は聞いたことがあるような有名な挿話が目白押しである.ここでは,その中でも最も印象に残った,アブラハムのエピソードについて書いてみたい. アブラハム(もとはアブラム)は,ノアの10代目の子孫に当たる.ハランで一族と共に住んでいた.あるとき,アブラハムはエホバから啓示を受ける. 1. 爰(こゝ)にエホバ,アブラムに言たまひけるは汝の國を出て汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至れ 2. 我汝を大なる國民(たみ)と成し汝を祝(めぐ)み汝の名を大ならしめん汝は祉福(さいはひ)の基となるべし 3. 我は汝を祝する者を祝し汝を詛(のろ)ふ者を詛はん天下の諸(もろもろ)の宗族(やから)汝によりて福禔(さいはひ)を獲(えん)と (創世記12章) あまりに唐突な,そして無茶といってもよいエホバの言葉である.しかし,アブラハムはその言葉に従い,妻サライ(後のサラ),ロト(アブラハムの弟の子),その他を連れて自らの土地を出発する.しかもこのとき,アブラハムは75歳という高齢であった.だが,アブラハムがエホバの言葉に少しでも疑念をもった様子はない.アブラハムは信仰の人であった. このアブラハムの信仰の深さを物語るエピソードはいくつかあり,その最も有名なのは,エホバの試しに応じて,息子イサクを燔祭に奉げようとするものだろうか(創世記22章).しかし,私が最も感銘を受けたのは以下のような挿話であった. 高齢で子供がいないアブラハムは,もはや子宝に恵まれることはないと思われた.アブラハムはエホバに言う: アブラム言けるは主ヱホバよ何

或る「小倉日記」伝 (松本清張)

昔,小倉 (福岡県北九州市) の近辺(?)に住んでいたことがあった.おととし,小倉に行く機会があり,時間があいたついでに,松本清張記念館を訪れてみた.この記念館は,小倉城のすぐそばにある,瀟洒な建物である.今回は,松本清張の「或る『小倉日記』伝」(新潮文庫)について書いてみたい. 松本清張は,1909年北九州市小倉北区(旧小倉市)に生まれた.41歳で懸賞小説の「西郷札」が入選するまで,様々な職に従事したようだ.清張はその後,1952年に「或る『小倉日記』伝」を三田文学に発表する.この作品は翌年芥川賞を受賞し,これにより松本清張は作家としての地歩を固めた.この年清張は44歳であるから,作家としては遅咲きということになるのかもしれない.いずれにせよ,この作品に,後の清張作品に繰り返されるテーマの多くを見出すことができる. 「或る『小倉日記』伝」は,主人公田上耕作とその母ふじの物語である.耕作は,生まれながらにして障害を持っていた.いわゆる小児麻痺(脳性麻痺)らしい.この症状は,耕作の生涯を通じ,一向に改善することはなかった. 耕作が6歳になったころ,「伝便」屋の老夫婦一家の思い出があった.伝便は小倉独自の風俗で,すぐに手紙を届けたい,あるいはちょっとした品物を気軽に送りたいといった,郵便よりも小回りや融通をきかせたい状況で,それらを送り届けてくれる商売である.耕作は,伝便の爺さんの鈴の音を聞くのが好きだった. じいさんは朝早く家を出ていって,耕作がまだ床の中にいるころ表を通った.ちりんちりんという手の鈴の音はしだいしだいに町を遠ざかり,いつまでも幽かな余韻を耳に残して消えた.耕作は枕にじっと顔をうずめて,耳をすませて,この鈴の音が,かぼそく消えるまでを聞くのが好きだった. 伝便屋のこの哀しい鈴の音が,物語を貫く一つの糸となる. 中学に進学しても耕作の身体の不自由は相変わらずであったが,その頭脳はずば抜けて優秀であった.この,重い障害と明晰な頭脳,それこそが耕作の悲劇的な生涯の根源だったのである. そのころ(昭和13年頃),鴎外全集が出版された.しかし,鴎外の「小倉日記」は散逸していた.それを知った耕作は,小倉時代の鴎外を知る関係者を探して回り,その空白を埋めようと思いたつ.これは,頭脳明晰でありながら,重い障害を持った耕作の,唯一の自己実現と思えたことであろう.耕作とふ

Yahoo! TOEICデイリーミニテスト復活

サーバ障害のために休止というアナウンスがあり,更新がずっとされていなかった「Yahoo!学習情報 TOEICデイリーミニテスト」 (http://edu.yahoo.co.jp/school/test/toeic_daily/) であるが,ようやく再開されたようだ.ちょっとした時間の合間に勉強できるので大変重宝していたのだが (前のエントリ参照),休止の期間が長かったので復旧を待ち望んでいた.とにかく,再開されたのは嬉しいことである.

「聖書を読む」ページ移転

以前のエントリ でも書いたように,少しづつ聖書を読むことを心がけている.最近は忙しくてなかなか読むことができなかったのだが・・・.それはともかく,ようやく時間が取れたので,かねてからの懸案だった聖書通読記録の移転を行った.新しい URL は以下のとおり: 聖書を読む https://readingthebible.blog26.fc2.com/ 以前はアメブロ (http://ameblo.jp/) を使っていた.ところが,そこの利用規約では,「宗教関連の表現・内容」は掲載できないとなっている.他にも聖書関連のブログはあるようだし,別にやましいことをしているわけではないので,文句を言われるまでは続けようかとも思ったのだが,どうも気持ちのすわりが悪いので移転することにした.FC2 ブログ (http://blog.fc2.com/) を選んだのは,無料で,機能が充実しているように思えたからである. 上記のページは個人的な記録のためのものなので,ご覧になる方はあまりいらっしゃらないと思いますが,念のためご報告いたします.お手数をおかけしますが,よろしくお願いします. 関連エントリ: 聖書を読む