投稿

9月, 2023の投稿を表示しています

よい教師とは

ブックマークを整理しているときに、良い教師について、ふと考えた。そのきっかけは、以下の記事(2023年5月20日)である。 教授時代の学生の評価は「最低」 日銀総裁が語った「伝える難しさ」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR5M7642R5MULFA02V.html     日本銀行の植田和男総裁が19日、東京都内で講演し、総裁就任前に教授を務めていた共立女子大(東京都)で、学生からの評価が「最低」だったと明かした。そのうえで、複雑さを増している日銀の金融政策や経済環境を念頭に、「それぐらい分かりやすく伝えることは難しい」と語った。 (中略)  19日の講演で植田氏は、共立女子大での自分の講義に対する学生の評価を紹介した。「ダラダラ話しているばかりで何も分からない」という声のほか、「授業料を返してほしい」といった厳しいものもあったという。 植田氏は東大教授等を歴任していることから、研究上では大きな業績を上げたのだと思われる。しかしそれでもその講義は、学生からの評判は必ずしも芳しくはなかったようだ。 その一つの理由として、よい研究者はよい教師とは限らないということが挙げられるだろう。 そうした点については、以前以下のようなエントリを書いた: 博士号取得者が高校教師になるということ https://dayinthelife-web.blogspot.com/2013/03/blog-post_27.html 今日のエントリは、もう上記エントリで言いつくした内容の焼き直しである。それでもあえて屋上屋を架してみたい。 世間一般では、学問について誤解があるようだ。その背景にあるのは、普通の人が学問についてイメージする内容が、高校レベルで止まっているということである。大学進学率が50%を超えた現在になってもそれは変わらない。 高校まで学ぶ内容については、文科省が学習指導要領を定めている。その結果、検定を受けた教科書があり、 教師用指導教本・資料がある。そして大学入試まで、その指導要領に基づいた試験が行われる。いわば舗装された道ができているのである。 一方で、大学以降の学問には、そのような統一的な道はない。そこにあるのは多様性であり、時として無秩序である。なぜならば、世界と人生がそうだからである。本来我々はその混沌を受け入れなけ