投稿

5月, 2017の投稿を表示しています

道祖問答 (芥川龍之介)

ウェブリブログはいつの間にか,90日間記事を書かないと特別な広告を強制表示するようになったようだ.どうしてもこれを消したいので,久しぶりにエントリを書いてみたい. twitter で,以下のようなツイートを見かけた. テクノ法要想像以上だった…!✨ 地元でこんな素敵なことしてる人いるなんて😆 またお参りさせて頂きます🙏 #テクノ法要 #照恩寺 pic.twitter.com/KnCASjEPA1 — こばん (@mugijuice12_51) May 3, 2017 これには賛否両論あるようだが,もはや日本仏教は妻帯も相続もあるような宗教になっており,それを果たして仏教と称していいのかよく分からない.というわけで,上記のようなサイケな法要もありではないかとは思った.そして,なんとなく芥川龍之介の道祖問答という小品を思い出した. 道祖問答とは,以下のような作品である.天王寺の道命(どうみょう)阿闍梨(あざり)は,「天が下(あめがした)のいろごのみ」とも呼べる男であった.阿闍梨は,ある春宵のころ,和泉式部のもとに忍ぶ.そして情交を終えたのち,一番鶏も鳴かない未明に,ひとり法華経を読誦するのである.このような生活も,阿闍梨にとってはなんの矛盾もなかった. このようなとき,翁の形をした五条西の道祖神(さえのかみ)が,阿闍梨の読経に礼を述べたいとして現れる.阿闍梨が法華経を読むのは今夜に限った話ではないのに,なぜ今宵,道祖神は現れたのか.道祖神は,以下のように話すのである. 「清くて読み奉らるるときには,上(かみ)は梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)より下(しも)は恒河沙(こうがしゃ)の諸仏菩薩まで,ことごとく聴聞(ちょうもん)せらるるものでござる.よって翁は下賤の悲しさに,御身近うまいることもかない申さぬ.今宵は――」といいかけながら,急に皮肉な調子になって,「今宵は,御行水(ごぎょうずい)も遊ばされず,かつ女人の肌に触れられての御誦経(ごずきょう)でござれば,諸々の仏神も不浄を忌(い)んで,このあたりへは現ぜられぬげに見え申した.されば,翁も心安う見参に入り,聴聞の御礼申そう便宜を,得たのでござる」 これに激怒した阿闍梨は,道祖神を激しく叱りつける. 「よう聞けよ.生死即涅槃(しょうじそくねはん)といい,煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)というは,ことごとく己(おの)