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恋に恋する

以前 twitter でつぶやいた内容をここにメモしておきたい. 少し前になるが,はてなブログで,恋に恋するお年ごろといった内容のエントリを読んだ.それでいろいろと思うようなところがあったので,コメントするような内容のエントリを書こうかとも思ったのだけど,考えてみれば,それは私の柄ではない. その代わりといっては何だが,twitter でつぶやいたように,「恋に恋する」という人口に膾炙したフレーズを最初に言い出したのは誰だろうか,ということを考えた.いろいろと検索してみたのだが,どうもよく分からない.有名なところでは,国木田独歩の小説と萩原朔太郎の詩(「月に吠える」所収)に,「恋を恋する人」という同名の作品がある.年代を考えれば,国木田独歩の作品が初出ということになるだろうか.なお,芥川龍之介の小説(未完)に「大導寺信輔の半生 ――ある精神的風景画――」があるが,その中にも,「独歩は恋を恋すと言へり.予は憎悪を憎悪せんとす.貧困に対する,虚偽に対する,あらゆる憎悪を憎悪せんとす」とあるので,やはり独歩が初出ではないだろうか. 私は,十代のころ,独歩と朔太郎の「恋を恋する人」を読んだ記憶があり,今回あらためて読み直してみて,その感慨を新たにした.特に後者については,高校のときの国語教師が萩原朔太郎のファンで,この詩について熱心に解説したことを思い出す. それはともかく,「恋を恋する」という表現は,外国語の直訳調で,当時としてもインパクトが大きかったのではなかろうか.そもそも,恋愛という概念は明治以前と以降では大きな違いがあるようで( Wikipedia の恋愛の項 参照),その観点からも,斬新な表現であったことだろう.そして,「恋を恋する」が現在のように「恋に恋する」という表現に変わっていった過程も,文法の歴史的な観点からすれば,興味深いかもしれない. さらに,「恋に恋する」といういわゆる少女趣味的な表現から,私は,自分とその運命の人(異性)とは,小指と小指が赤い糸で結ばれているといった,俗信のことを連想した.これについては,twitter でツイートしたとおり,長い間私はその初出を太宰だと思っていた. 太宰の「思い出」という作品に,以下の記述がある(なお,太宰の「津軽」でもこの部分は引用されている): 秋のはじめのある月のない夜に,私たちは港の桟橋へ出て,海峡を渡っ

STAP細胞報道に関するささやかな感想

ここしばらく話題(あるいは問題)になっている,STAP細胞に対する報道姿勢であるが,自分がささやかながら思ったことをここに記録しておきたい. 寺田寅彦の「雑感」という小品については以前本ブログでも触れたが(参照: 「博士号取得者が高校教師になるということ」 ),それに,以下のような記述がある.青空文庫から引用する.この文章の初出は,1928年である.  日本の科学雑誌が色々ある、中には科学の抜殻だけを満載して中実(なかみ)は空虚なのもあるようである。そういうような雑誌で西洋人の研究発見発明などは下らぬものまで紹介しているが、日本の学者の面白い研究が正当に紹介される事は極めて稀である。たまたま紹介されると、それは新聞の三面記事のようなジャーナリズムの臭味の強烈なものであって、紹介された学者を赤面させるようなものである。 さすがに近年は,「日本の学者の面白い研究が正当に紹介される事は極めて稀」ということはないだろう.しかし,現在の日本のジャーナリズムはどうであろうか.ごく控えめに言っても,上記のような90年近く前の状況と比べて,大きな進歩を遂げたといえるかどうか,疑問に思うことは多々あるのである. なお,寺田寅彦の熱心な読者からは,どうせ紹介するなら寅彦の「ジャーナリズム雑感」にすべきだとお叱りを受けることだろう.それについては,また今後機会があればこのブログで触れてみたい.