今日の一枚 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ - 10/18/2010 07:02:00 午後 The Disappearing Nation In Russia - the Mari People で見かけた写真だが、私の母方の祖母によく似ている.もう亡くなったのだが.心配をかけるばかりで,私はあまりいい孫ではなかった.そう思えば申し訳ない気がする.今から言っても仕方のないことだけれど. リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
LaTeX メモ - 数式における「|」 (縦線, vertical bar)の扱い(その2) - 11/12/2008 08:53:00 午後 このエントリは,以前書いたもの( LaTeX メモ - 数式における「|」 (縦線,vertical bar)の扱い(その1) )の続きである.すぐに書こうと思っていたのに,もう4ヵ月近くもたってしまった. Microsoft の Word のような WYSIWYG エディタとは異なり,LaTeX は,文書の論理的な構造を記述するシステムである( 脚注1 ).つまり,文書の作成者は,その文書の論理構造に注力すべきであって,その文書の書式はクラスファイルやスタイルファイルにまかせるべきと考えられている. ところが,LaTeX を使い始めの人は,見栄えを調整しようとして, \hspace , \vspace , \medskip , \bigskip , \\ などを駆使し,とにかく見た目だけを考えた原稿を書いてくる.論文の原稿などは再利用されることが多いのに,これでは再利用性が損なわれることおびただしい. しかしながら,そうはいっても,文書を美しく整形するためには,文書作成者自身が見栄えを考えなければならないことは多々ある.たとえば,数式における「|」 (縦線,vertical bar)の扱いなどもそうであり,今回はそれについて書いてみたい.なお,いつもと同様,このエントリでは AMS LaTeX パッケージを利用するものとする. 集合表現 以前の記事( LaTeX メモ - 数式における「|」 (縦線,vertical bar)の扱い(その1) )にも書いたが,数式における縦線「|」には多義性があり,適切な文書整形が難しい.その一つの例として,集合の記述がある.たとえば,普通に \{x | P(x) = 0 \} と書いたとすると,区切りの縦線の両隣のスペースが詰まる結果になる(図1参照). 図1 これを回避するために,いくつかの方法がある.たとえば, 「 \, 」「 \: 」「 \; 」を使って縦線の隣に少しスペースを空ける, \mid を使う, braket.sty の \set , \Set を使う などである.これらの場合について,図2にフォーマット結果を示す. 図2 いろいろと意見はあるかもしれないが,個人的にはやはり \mid を使ったものが最も簡便で見栄えもいいように思う. ただ, \set を使う必要はほとんどないと思われるものの, \ 続きを読む
人間はどんなところでも,どんな時でも何歳からでも学ぶことができる - 8/03/2007 02:38:00 午前 このブログは2005年の7月に始めたものなので,ちょうど丸2年になる.過疎ブログであってもブログを書くことは大変楽しく,頻繁には無理にしても,細々とは定期的に更新しようと考えていた.ところが,とうとう先月は一つもエントリを書かなかった.このブログの最初に,「 ブログを始めるにあたって - 継続は力 」などという偉そうなエントリを書いたことが恥ずかしく感じられるほどである.気持ちを改めて,できるかぎりの更新を心がけるようにしたい. また無意味に前置きが長くなってしまったが,今回,ロイターの記事に大変勇気づけられる記事があったので,それについて書いてみたい. Australian granny, 94, becomes world's oldest master http://www.reuters.com/article/lifestyleMolt/idUSSYD3300820070802 この記事によれば,オーストラリアの94歳の女性が,medical science の分野で修士の学位を取得したという.世界最高齢での修士学位取得ではないかということである.彼女は,父親が去って行った12歳の時に,兄弟を世話する母親を助けるために,小学校を去った.それから60年後,人類学を学ぶためにアデレード大学に進学.90歳の時に修士に進み,5年かけてとうとう修士学位を取得した.その間,毎朝5時に起きて,研究と勉学に勤しんでいたということである. だが,日本も負けてはいない.今年の3月に,下記のような記事があった. 河北新報ニュース 定年退職後に数学博士号 大阪大の71歳男性 http://www.kahoku.co.jp/news/2007/03/2007031001000102.htm この記事は残念ながら現在リンク切れとなっているようである.そこで,Google などで検索すると,以下の記事が見つかった.こちらの方が詳しいようだ. あっぱれ71歳数学博士 金子さん阪大大学院を卒業 http://www.sankei.co.jp/seikatsu/trend/070323/trd070323000.htm この記事にあるように,金子さんは定年後に数学を学び始め,修士課程を経て博士課程に進学,69歳で最初の学術論文を発表し,71歳で見事数学の博士学位を取得したとのことで 続きを読む
ブログを始めるにあたって - 継続は力 - 7/11/2005 10:06:00 午後 ブログ を始めるつもりになったのは,いくつかの理由がある.一つめはもちろん,ブログに関する話題をいろいろなところで目にすることが多くなったということだ.ミーハーと言われようが流行に流され ると言われようが,それがよいものであれば貪欲に試していきたい.人生は一度しかないのだし,できることは何でもやっておきたい. もう一つの理由は,英語その他の勉強,あるいは何かのよい習慣を継続するために,備忘録として利用しようということだ.継続は力なりという諺は真実である.何でもよい,10年間やり続ければ,大抵の分野で一人前になれるだろう.どんな人のまわりでも,10年間こつこつと何かをやり続けた人はいるだろう.もちろん,あなた自身がそうであるかもしれない.そのような人のことを考えてみる,あるいはその人と話してみれば,10年間続けるということの重みや迫力ということが実感いただけるのではなかろうか. 継続は力なりという言葉で思い出すのは,井上ひさしの「本の枕草子」にある,以下のようなエピソードである.日本語の辞典として代表的なものの一つに,松井簡治の大日本国語辞典がある.彼は学習院大学の教授であったが,この辞典を完成させるために,1年に1万語 (1日あたり28語弱) のペースで語釈を書き続けた.ここで想像していただきたいのであるが,1年365日,毎日28語のペースで語釈をするというのは超人的なペースである.松井は,毎朝3時に起き,出勤前の5時間を語釈にあてた.しかし,これでも上記の平均ペースを保つのは困難である.解釈の難しい言葉に出くわせば,1語で数日かかってしまう.そこで彼は,休日は18時間も机に向かったということである.さらに驚くべきことは,彼はこのような生活を20年間続けたというのである.そして,とうとう20万語からなる辞典を完成するという大偉業をなし遂げた.彼は20年間ただの一度も酒を飲まなかったという.さらに,松井はこの辞典が完成してもなお改訂増補に執念を燃やし,45年の歳月を費やしたというのである. 非凡の人が非凡の努力を長い間継続して成し遂げた大事業.このエピソードを始めて読んだのは高校生くらいのときだったと思うが,震えるような思いがしたのを覚えている. それから年齢を重ね,今までの自分が費やした年月を考えてみれば,正直な話,後悔や恥ずかしさを感じるところはある.しかし,高校 続きを読む
へんろう宿 (井伏鱒二) - 5/07/2016 05:41:00 午後 以前,といってももう2か月も前になるが, 私の note で,井伏鱒二について触れた.今回のエントリでは,その作品について,もう少し書いてみたい. 井伏鱒二の作品としては,「黒い雨」や,教科書にもよく載る「山椒魚」の二つが最も有名だろう.しかしながら,私がまず思いつくのは,「駅前旅館」や「へんろう宿」という,二つの小説である.この記事では,後者について書いてみたい. 「へんろう宿」は,非常に短い作品である.ドラマチックな展開もない.しかし,この掌編は,しみじみ私の記憶に残っている. この作品のストーリーは,以下のようなものだ.著者である「私」は,所用で土佐を訪れ,遍路岬で宿をとる.その土地では,遍路のことを,「へんろう」と云うのであった.そして,「私」が泊まった「へんろう宿」には,奇妙な風習があったのである. このへんろう宿は,宿屋としては貧弱であるが,5人も女中がいた.3人のお婆さんと,2人の女の子である.そして,その日の夜遅く,「私」の泊まっている隣の部屋で,一人の宿泊客と,この宿の一人のお婆さんが,酒を飲みながら話をしているのである.「私」はそのとき眠っていたのだが,二人の話し声で,目を覚ましてしまった.そのお婆さんは,へんろう宿の女中のこれまでの人生について語っているのであった. 「(中略)一ばん年上のお婆さんがオカネ婆さん,二番目のがオギン婆さん,わたしはオクラ婆さんと言います.三人とも,嬰児(あかご)のときこの宿に放(ほ)っちょかれて行かれましたきに,この宿に泊まった客が棄(す)てて行ったがです.いうたら棄て児(ご)ですらあ」 ひょうひょうとした御婆さんの口ぶりであるが,内容は衝撃的である.なんと,この宿の5人の女中は,全員,もともとは捨て子だったのである.幼い赤子をかかえた親が,遍路岬を道中する途中,その赤子を持て余し,へんろう宿に捨て子をする.へんろう宿には,そんな奇妙な風習があったのだ. お婆さんの話を聞いた宿泊客は,捨て子をする親の料簡を不審がる.そして,お婆さんと客の会話は続いていく. 「戸籍面はなんとするのやね.女の子でも戸籍だけは届けるやろう.嫁にも行かんならんやろう」 「いんや,この家で育ててもろうた恩がえしに,初めから後家のつもりで嫁に行きません.また,浮気のようなことは,どうしてもしません」 「はてなあ,よくそれで我慢が続いてきたも 続きを読む
イエスは地面に何を書いていたか - 4/29/2023 08:22:00 午後 しばらく間があいてしまったが、本ブログのエントリ「 ChatGPT とヨハネによる福音書 」の続きを書いてみたい。 先のエントリ に書いたように、ヨハネによる福音書に、イエスが地面に何かを書いていたという場面がある。しかし今となっては、イエスが書いたその内容は知られていない。現在、その内容についてはいくつかの説があるのだが、私は、それらの説にしっくりこない気持ちを抱いていた。一方で、私なりに思うところもあるので、改めて自分の思いをエントリにまとめてみたい。それは、識者にとって失笑される内容かもしれないが、恥をかくのを気にしていたらブログなどとても書けない。ので、気にしないことにする。 前置きが長くなったが、最初に、イエスが地面に書いていた場面を簡単に説明しよう。以下では手抜きだが、ChatGPT による説明を再掲することにする: この場面は、ファリサイ人たちが罪を犯した女性を持ってイエスの前に連れてきて、イエスに「この女性は、姦淫の現場で捕まりました。モーセは、このような女は石打ちにして殺せと命じていますが、あなたはどう思いますか?」と問いかけたときに起こりました。イエスは、何も言わずに地面に指で何かを書き始めました。その後、ファリサイ人たちがイエスに対して質問を繰り返すと、イエスは「あなたがたの中で罪のない者が最初に石を投げるがよい」と答えたとされています。 この後、イエスは「そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた」(ヨハネ8:8) この場面では、ファリサイ人が、イエスを陥れようとしているのである(ヨハネ8:6)。当時、この女を石打ちにすることもしないことも、イエスにとっては困難な状況であった。そしてイエスは、ファリサイ人の問いには答えず、地面に何かを書いて、その間に上記の有名な言葉を語ったのであった。 ここで印象的なのは、やはり地面に何かを書いていたイエスの振舞いである。あまりに奇妙で、唐突ではないだろうか。単に上記のセリフ(「あなたがたの中で罪のない者が最初に石を投げるがよい」)を言うだけでこのエピソードは完結するのに、なぜわざわざ地面に何かを書く必要があったのか。そして、イエスは何を書いたのか。 当然、イエスは、自らを陥れようとしたファリサイ人の悪意を完全に見抜いていただろう。そこで、もしイエスが私のような凡夫であれば、世の中馬鹿ばかりと絶望して 続きを読む
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