草ひばり(小泉八雲)
小泉八雲(以下,本名のラフカディオ・ハーンとする)は,多くの日本人が知るところの人物だろう.ギリシャに生まれ,さまざまな国を経た後,明治のころ日本に帰化し,日本の民話や特に怪談を蒐集して外国に紹介した.日本の長い歴史に基づく伝統や文化をこよなく愛したといわれ,それもあって,日本人による人気が高い人物ではないだろうか.私も,ハーンに対しては,ゆかしいような気持ちを持っている.しかしながらそれは,ハーンに対する一般的な理解と異なっているような気もするので,今回はそれを題材にして,エントリを書いてみたい. ハーンは多数の著作を残したが,日本語に訳されているのはごく一部だろう.最も入手しやすいのは文庫本で,その中でも,ハーンの全作品を概観しやすい一冊が,新潮文庫の「小泉八雲集」(上田和夫訳)であると思われる.そして,その「小泉八雲集」に所収されている作品に,「草ひばり」というごく短いエッセーがある.私は,ハーンについて考えるとき,まずこの作品を思い出すのである. 「草ひばり」とは雅な名前であるが,ハーンの言葉を借りれば,「普通の蚊の大きさくらいのこおろぎ」のことである.ハーンはこの草ひばりを,自分の部屋の小さな籠(「高さ二インチ,幅は一インチ半」)に飼い,その鳴き声をこよなく愛していた.その記述を,多少長くなるが,そのままここに引用したい. ところが,いつも日が暮れると,この微小の魂は目を覚ます.すると,部屋じゅう,名状しがたい妙(たえ)なる美しい音楽 ―― この上ない小さな電鈴のような,かすかに,かすかになりひびく音でいっぱいになる.暗闇が深くなるにつれて,その音はますます美しく ―― ときには,家中がその妙なる調べにうち震えるかと思うばかりに高まり ―― ときには,この上なくかすかな音へ消えうすれていく.だが,高かろうと,低かろうと,その不思議な,鋭い音色には変わりはない.夜じゅう,こうしてこの微小なるものは歌いつづける.寺の鐘が明けの刻(とき)を告げるとき,それはようやく,やむのである. さて,このちっぽけな歌は恋の歌である ―― 目に見えぬ,未知のものをそこはかとなく恋い慕う歌なのである.この世の生涯で,こいつが見るとか知るとかいうことは,およそありえない.遠いはるかな先祖たちも,野辺の夜の生活や,恋における歌の価値を知っていたものはない.こいつらは,そこいらの虫屋...