平成の終わり
先日のエントリ( 平成30年の出来事 )に書いたように、立て続けに大きな出来事が、平成の終わりとなる今年に起きている。そこで、平成という時代に思いを馳せざるを得なかった。 私は、平成という時代には、万感の思いがある。そこで、まとまりのない内容ではあるが、エントリにしてみたい。いろいろ差し障りのあることは書けないので、漠然となるのはご容赦ください。しかし私には分かるので、私にとっては備忘録のようなものである。 改めて、私にとって平成とは何だったか。 ぱっと脳裏に浮かぶのは、青春という言葉である。豪雨災害があったときに不謹慎かもしれないが、全体で考えると、私にとって平成とは、人生において最も多感な時代であり、青春という言葉が思い浮かぶ。 私も、学生時代にはいろいろあった。しかしそれをここに書いたとしても、興味深くはないだろう。我ながら、凡庸な学生時代だったとしか言いようがない。 ただ、社会人となってからのプライベートについては、多少波乱万丈なところもあり、面白いと思ってもらえるかもしれない。特に、臆面も無く言えば、長い間かけて、愛というものを知った。そして、それが自分の中で確固としたものとして存在するまで、ある程度の時間がどうしても必要だった。 これには私の誤解もあるかもしれない。だが、そのありうる誤解も含めて、私の人生だと思っている。 こうした、いわば愛をめぐる機微については、実は折に触れてブログに書いてきた。読者の皆さんには伝わっていないかもしれない。それでも、今後とも書いていくだろう。 そして、私にとっての平成を彩るもう一つの要素として、仕事がある。ただ、仕事については、その結果について、まだ納得はしていない。まだまだやってないこと、やるべきことが山積している。しかし、それについては基本的には実名が出るところで書きたいと思っているので、このブログで書くことはあまりないだろう。 もちろん、この間、世界では様々なことが起きた。しかしこのエントリでは自身のことに限定したい。 そうすると、上に書いたようなことが、私にとっての平成だった。今から思えばそれは、青くて、未熟だった。それは一言で表すとすれば、青春としか言いようがない。 もちろん客観的に見れば、私のようないい年をしたおっさんが、青春なんてよくも恥ずかしげもなく言えるなとは思う。ご指摘まことにごもっともではある。私も...