ブログ開設18周年と、たゆまず歩いていくということ

年末なので、恒例のブログ開設記念エントリを書いてみたいと思います。やはり一年に一度はこのエントリを書かないと、どうも落ち着かないので。まあこの手のエントリを書くのは Blogger では初めてなので、ご容赦ください。と言っても、来年以降も書くつもりですが(苦笑)


それで本題ですが、このブログは、(今はない)ウェブリブログに 2005 年 7 月に開設し、そのウェブリブログの廃止にともなって、2022 年 8 月に Blogger に移転しました。ほとんど更新できていませんが、まだ今でも続いていると強弁することにすれば、かれこれ 18 年続いていることになります。


18 年。18 年か―。


民法改正があったので、18 歳は成年年齢になります。このブログが始まった年に生まれた人は、もう立派な大人なのです(法務省:民法(成年年齢関係)改正 Q&A)。18 年という時間は、十分に長いということが言えるでしょう。


それくらい長い間なのだから、この 18 年、私にもいろんなことがありました。個人的のことはネットに(なるべく)書かないようにしているので、読者の方には意味不明でしょう。しかし私には、いろいろあった当時のエントリを読むと、胸をつかれることもあるのです。


それやこれやでこの 18 年を思い返してみると、どうしても人生ということに思いをはせてしまいます。人が生きていると、本当に、いろいろなしがらみや悩みが増えていきます。生きていくことは大変なことだと痛感することも少なくありません。そういうとき、太宰治の文章をよく思い出すのです。


鎖につながれたら、鎖のまま歩く。十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く。笑ってはいけない。私たち、これより他に生きるみちがなくなっている。 

                「一日の労苦」(太宰治)


重りを体に鎖でつけられ、それを引きずりながら生きていく。それが人生ということなのでしょう。

そしてまた、漱石の手紙を思い出すのです。


牛になることはどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾(ろうかい)なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕(はら)める事ある相の子位な程度のものです。あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出(い)でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵(こし)らえてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。

       「漱石書簡集(岩波文庫)」(三好行雄著)

あせってはいけない。牛のように、とにかく根気よく押していく。たまには押すことをあきらめ、休むこともあるだろう。それでもしばらくして起き上がり、再び押していく。うんうん死ぬまで押していく。ひょっとしたら、それで人生が終わってしまうかもしれない。それでもあきらめずに、押していく。それが、人間を押していく、生きていくということなのだろう。


……


18 年は、本当に長い時間でした。嬉しいこともありましたが、めげそうになることのほうが多かったような気がします。それでも、このブログを続けてこられたことは、大げさに言えば、私にとって一つの宝物になりました。

引き続き、細々とでもブログを続けていきたいと思っています。次の節目は、20周年でしょうか。よろしくお願い申し上げます。





コメント

このブログの人気の投稿

LaTeX メモ - 数式における「|」 (縦線, vertical bar)の扱い(その2)

人間はどんなところでも,どんな時でも何歳からでも学ぶことができる

ブログを始めるにあたって - 継続は力

イエスは地面に何を書いていたか

へんろう宿 (井伏鱒二)