聖書を読む - レビ記読了

聖書を,毎日とはいかないが,少しづつ読んでいる.現在,申命記まで読了し (2005年12月31日),ヨシュア記を読んでいる段階である.このエントリでは,遅まきながら,レビ記 (2005年11月11日読了) について感想を書いてみたい.


レビは,ヤコブとレアの第三子(創世記第35章23節)であり,そのレビを始祖とする部族が,祭礼を司るレビ族である.ちなみに,イスラエル民族は,ヤコブの12人の息子をそれぞれ始祖とする12の部族からなる.旧約聖書では,「十二の支派(わかれ)」とよばれている.


レビ記は,エホバが,モーセとその兄アロン(いずれもレビ族)に,イスラエル民族の祭礼の細かな取決めを命ずる形で構成されている.その大まかな構成は,以下のとおりである.


1. 様々な捧げ物に関する規定 (第1章~7章)

  1. 焼き尽くす捧げ物 (牛,羊,鳥を捧げ物とする燔祭) (第1章)
  2. 食物の捧げ物 (素祭) (第2章)
  3. 和解の捧げ物 (酬恩祭) (第3章)
  4. 贖罪の捧げ物 (罪祭,愆祭 (けんさい)) (第4章~5章)
  5. 燔祭,素祭,罪祭,愆祭,任職祭,酬恩祭の捧げ物に関する規定 (第6章~7章)


2. アロンの祭司任職式 (第8章~10章)

  1. 祭司任職式,モーセ,アロン,その子らによる儀式 (第8章)
  2. アロンによる,罪祭,燔祭,酬恩祭の捧げ物 (第9章)
  3. アロンの子ナダブとアビウが規定に従わなかったため,エホバに焼き殺される (第10章)


3. 清めと穢れに関する規定 (第11章~16章)

  1. 動物に関する穢れと清め (第11章)
  2. 出産後の穢れと清めの儀式 (第12章)
  3. 重い皮膚病に関する穢れと清め (第13章~14章)
  4. 流出の穢れと清め (第15章)
  5. 罪祭の規定 (第16章)


4. 神聖律法 (第17章~26章)

  1. エホバへの捧げ物以外で動物を殺してはならない,また,血を飲んではならない (第17章)
  2. 性的な振舞いの規定 (第18章)
  3. 聖なるものとなるための規定 (第19章)
  4. 死刑に関する規定 (第20章)
  5. 祭司の穢れに関する規定 (第21章)
  6. 聖なる捧げ物の規定 (第22章)
  7. 祭日に関する規定 (第23章)
  8. エホバを詛う者が石で撃ち殺される (第24章)
  9. ヨベルの年 (第25章)
  10. エホバの律法に従うことと背くこと (第26章)


5. 誓願,捧げ物に関する規定 (第27章)




出エジプト記は大変物語性に富んでおり,面白く読むことができる.一方で,それに続くレビ記では,微に入り細を穿つような細かな規定が延々と述べられており,通して読むのに大変な忍耐力が必要となる.このようなレビ記の意義や目的について,考えてみたい.


レビ記の時代は,イスラエル民族が,エジプトを脱出したのち一大勢力となり,国家や社会としての体制を整えつつあったときである.したがって,レビ記の一義的な意義は,このような時代に必要になってきた,法律や宗教的な戒律の確立ということになるだろう.だが,レビ記に述べられているのは,単なる法律にとどまらず,生活していく上での細かな規定までも含まれる.これは,中東という苛酷な生活環境で培われた,生活の知恵のようなものであったかもしれない.レビ記ではさまざまなものの穢れが述べられているが,もともとはそういうものであったようにも考えられる.


しかし,レビ記の意義を最もよく表しているのは,以下の言葉ではないだろうか.


4. 汝等は我が法(おきて)を行ひ我が例(のり)をまもりてその中にあゆむべし我は汝等の神ヱホバなり 5. 汝等わが例とわが法をまもるべし人もし是を行はゞ之によりて生べし我はヱホバなり (第18章)


1. ヱホバまたモーセに告て言たまはく 2. 汝イスラエルの子孫(ひとびと)の全會衆に告てこれに言へ汝等宣(よろし)く聖(きよく)あるべし其は我ヱホバ汝等の神(かみ)聖(きよく)あればなり (第19章)


すなわち,レビ記にあるこまごまとした規定はすべて,人間を聖なるものにするためにあるのではないか.そのために,エホバが人間に与えた律法なのではないだろうか.エホバは,人間を自らに近づけようと恵みを与えているのであり,それこそがレビ記の本質のように思える.我々は,モーセのような預言者と異なり,エホバに直接対面することは出来ない (モーセはヱホバが面(かほ)を對(あは)せて知たまへる者なりき(申命記第34章10節)).しかし,レビ記に書かれてある様々な律法を守っていくことで,エホバを感じ,エホバのような聖なるものに近づくことが出来る.それこそが,レビ記が伝えようとしたことに思えてならない.


現代的な視点からは,レビ記の律法がすべて正当なものとは考えられないように見える.こう考えるのは,私がクリスチャンではないからかもしれない.しかし,レビ記における,延々と続くこまごまとした規定の背景にあるのは,エホバによる恩恵のように感じられるのである.


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