学ぶということ(雑感)
lifehack.org に,Presenting to the Fortune 500という記事があった.これを読んで,本筋ではないのだが,ある感想を持ったので,ここに書いておきたい.
上記記事に,以下のような引用がある:
We Learn…
10%…of What We Read
20%…of What We Hear
30%…of What We See
50%…of What We See and Hear
70%…of What We Discuss With Others
80%…of What We Experience Personally
95%…of What We Teach Others
―William Glasser
自分の経験からいっても,物事を理解する一番確かな方法は,それを他人に教えたり説明したりすることであるように思う.教えるという行動を実際にとらなくても,教えるとしたらどうするかと考えるだけで,自分の理解の不十分な点や,それに付随した知識が足りない点等が浮き彫りになってくる.そういう意味では,上記の「We learn 95% of what we teach others」における「95%」という見積もりは,過小評価にすら思えてくる.
ところで,私は,本を読んだときの感想やメモなどを(あまり真面目にではないが)ノートに書いているのだが,上記の引用を読んで,以下のような中国のことわざをメモしていたのを思い出した:
I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand.
- Chinese proverb
何かの英文を読んだときにメモしたものと思われるが,出典は書き忘れている.
中国のことわざであるから,やはり原文が気になるところで,それについて調べたものもメモしてあった.残念ながら,これもどこから引用したのか書き忘れている.
聴而忘之 見而憶之 行而知之 教而学之
(しかし,実際のところ,これが上記英文の原文かどうかは,私には定かではない.詳細をご存知の方はご教示ください) 訓読すると,「聴きて而して之を忘る.見て而して之を憶ゆ.行ひて而して之を知る.教えて而して之を学ぶ」とでもなるだろうか.出典については,不明,あるいは孔子の言葉である等,さまざまな説があるようだ.それにしても,洋の東西を問わず,似たような言説があるのは興味深い.
また,上記の引用を読んで,荀子の以下の言葉を思い出した.上記の話と趣旨は異なるが,これも私の好きな言葉である:
不聞不若聞之 聞之不若見之 見之不若知之 知之不若行之
書き下すと,「聞かざるは之を聞くに若かず,之を聞くは之を見るに若かず,之を見るは之を知るに若かず,之を知るは之を行ふに若かず」となるだろうか.
いずれにせよ,行動が重要であるということか.もっと大胆に解釈すれば,他者あるいは世界への働きかけ,貢献というものが重要であり,それが結局自分のためであるということになるのかもしれない.
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