食卓の情景 (池波正太郎)

早くも2007年である.本当に早いもので,このブログも開始から1年半以上が経過した.だが,記事数はまだ100件にもならない.感銘を受けた本の書評についてもほとんど書けていない.それでも,ブログを書くのは楽しい作業である.マイペースで細く長く続けていければと思っている.


今回は,池波正太郎の「食卓の情景」(新潮文庫)について書いてみたい.


私は「仕掛人・藤枝梅安」のシリーズを何冊か読んだことがあるくらいで,池波正太郎の作品はほとんど読んだことがない.そういう意味では,申し訳ないのだが,池波作品の熱心な読者とはいえないだろう.しかしこの「食卓の情景」は好きで,繰り返し読んだ本である.


「食卓の情景」は,一言で言えば,食にまつわるエッセイということになるだろうか.昭和47, 48年にかけて週刊朝日に連載されたものだという.そこで,本書で語られる内容は,当時の時代背景を色濃く反映したものが多い.たとえば,この作品で描写される著者の姿は,家父長制における典型的な家長に近いものがある.今の時代では,違和感を感じるというよりも,微笑ましくも感じられる姿かもしれない.


この「食卓の情景」(または池波正太郎作品)の特徴としてよく挙げられるのは,食の描写である.実際この本における料理の記述は,読む者の食欲を喉が鳴るほどそそるものが多い.だが,「食卓の情景」が普通の食のエッセイと一線を画しているのは,むしろ,人生と古きよき時代の日本への郷愁とを,食を通して生き生きとした形で実感できるという点であろう.


ここで,二つののエピソードを引用しておきたい.


最初のエピソードは,著者の母の大好物である寿司の話である.著者の母は,その夫と離婚し,女手一つで著者兄弟を育てあげた.そのためにはそれこそ「死物狂い」で働かざるを得なかった.後に,当時を思い出しながら,母は著者に述懐する:


「あのころ,私はつとめが終ると,御徒町の蛇の目寿司へ,よく行ったもんだよ」

「ひとりで?」

「そりゃ,ひとりでさ」

「おれは一度も,つれて行ってもらわなかった」

「だれもつれてなんか行かない.それだけのお金がなかったからね.私ひとりで好きなものを食べていたんだ」

「ひどいじゃないか」

「女ひとりで一家を背負っていたんだ.たまに,好きなおすしでも食べなくちゃあ,はたらけるもんじゃないよ.そのころの私は,蛇の目でおすしをつまむのが,ただひとつのたのしみだったんだからね」


ここで母が食べる寿司は,単なる栄養摂取のための食品ではない.それは,生の支え,生きるための糧(かて)である.また,ここでは寿司の味の描写はないものの,読者には,極上の寿司の味がありありと思い起こされることだろう.


もう一つのエピソードは,戦時中,著者が海軍の航空隊に所属し,米子基地に赴任したときの話である.ここは,「白い砂地が初夏の陽光にかがやき,半農半漁の純朴な住民たちのおだやかな明け暮れと,死に向かう若者たちを乗せて空に飛立つ戦闘機の轟音とが,どうしても一つに溶け合ってこない」ところであった.そんな中でも人間は食べていかなければならない.著者は,入手しやすかった鯖と夏蜜柑を使い,見事な鯖料理を作りあげる:


先ず,「シメサバ」の要領で,三枚におろしたやつに塩をふりかけ,半日ほど置くと,きゅっと身がしまってくる.そこで水をかけ,洗いながしておき,かわいた布で水気をていねいにふきとる.

それから,刺身につくる.

それから,玉ねぎを,うすく切っておく.

それから,夏蜜柑をたっぷり用意しておく.

大きな鉢に,玉ねぎをしきならべ,その上へ刺身をおき,夏蜜柑のしぼり汁をかけまわし,また玉ねぎ,刺身,しぼり汁…というふうに重ねてゆき,上に重しを置き,三十分ほどしてから,玉ねぎごと鯖の刺身を皿へとりだし,またしても夏蜜柑の汁をかけ,それからいよいよ食べる.

いや,うまいのなんの…いっしょに食べた電路員たちも舌なめずりをしてむさぼり食ったものだ.


思わず生つばが出そうな鯖料理の描写である.死と隣り合わせにして食べるという状況が,その味をまた格段のものにしたのかもしれない.人間の生と死の,一つのリアリティがここにあるように思われる.


「食卓の情景」におけるこうした心に残る話は,それこそ枚挙に暇がない.その中でも特に感銘を受けるのは,著者が子供のころのエピソードである.たとえば,昭和初期の屋台の「どんどん焼き」の話,著者が小学校の頃,担任の先生にご馳走になったカレーライスの話など,食欲をそそられるとともに,胸を打つような話が数多く収められている.ここでは,その中でも,著者の曾祖母の話を一つだけ引用しておきたい.


なんといっても,私は,この曾祖母に,もっとも可愛がられた.

・・・

曾祖母は,私が11歳のときに,87歳で病歿した.

曾祖母が死の床にあった夏の約二ヶ月間,私は小学校から帰って来ると,あそびに出かける前に,かならず,台所で曾祖母が大好物の素麺をゆで,ザルへ打揚げて冷水に冷やし,附醤油をこしらえ,二階三畳の病室へ運んで行ったものだ.

曾祖母は,死に至るまで,一日のうちこのときを,もっともたのしみに待っていてくれ,私のこしらえた素麺でなくては,決して口に入れなかった.

死ぬ直前,曾祖母が私の手をつかんでいった.

「長らく,そうめんを,ありがとうよ」


ここで語られる,曾祖母がそうめんを食べるという行為の,なんと人間的であることだろうか.死の間際に曾祖母は,ひ孫である著者に対する愛情を抱いて,そうめんだけでなく,自らの生を味わっているのである.食べるということが,如何に深く人間の生に関わってくるかということを実感させられる.


「食卓の情景」を読むと,食が,豊かな,そして最も人間的な行為なのであることに気づかされる.そして,既に失ってしまったその豊かさの多くに,ある郷愁と共に,思いを馳せてしまうのである.




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