夏目漱石先生の追憶 (寺田寅彦)

このブログの左のカラムにある「アクセスの多い記事」というリンク集では,「こころ (夏目漱石)」という記事がいつもトップになる.この記事は本当によく読まれ,10000近いユニークアクセス数がある.本ブログには130弱の記事があるが,この記事一つでほぼ一割のユニークアクセス数を集めていることになる.繰り返し読まれている方もいらっしゃるはずで,有難いことだと感謝の念に堪えない思いがする.


それにしても,これは,国民的作家としての夏目漱石の人気がいまだに高いことによるのだろう.日本で最も敬愛される作家が漱石なのではないだろうか.


このような敬愛される作家としての漱石,また,「こころ」における師弟の関係について考えるとき,私は,寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」という文章をいつも思い出す.今回のエントリでは,それについて書いてみたい.


夏目鏡子(漱石夫人)による「漱石の思い出」を読むとまた違った漱石の一面がうかがえるのだけれども,少なくとも漱石の門下生にとっては,漱石は敬愛すべき対象だったのではないだろうか.漱石の門下生の一人である寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」を読むと,その思いが強くなるのである.


「夏目漱石先生の追憶」では,寺田寅彦が漱石と知り合ってから,その死に至るまで,漱石の思い出が語られる.その際の,漱石の面影を語る寅彦の文章には漱石に対する敬愛の念が溢れ出るかのようなのであるが,特に,漱石の死後,漱石への思いを語る以下の文章には目頭を熱くさせられる.


 先生からはいろいろのものを教えられた.俳句の技巧を教わったというだけではなくて,自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった.同じようにまた,人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け,そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた.

 しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば,自分にとっては先生が俳句がうまかろうが,まずかろうが,英文学に通じていようがいまいが,そんな事はどうでもよかった.いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが,そんなことは問題にも何もならなかった.むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである.先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである.

 いろいろな不幸のために心が重くなったときに,先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた.不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると,そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ,新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた.先生というものの存在そのものが心の糧(かて)となり医薬となるのであった.こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか,それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり,またしようとは思わない.


以前このブログにも書いたことがあるのだが,心弱くなっていた一時期,科学者のエッセイを読みふけったことがあった.そのとき初めて寺田寅彦のこの文章を読み,思わず涙が出てきた記憶がある.この文章によって,読者は,寅彦の漱石に対する愛情にまず胸を打たれ,続いて,自らが愛する者におきかえて思いを至らせ,再び感動するのではないだろうか.私は今まで「夏目漱石先生の追憶」を何度か読み直したけれども,その度に胸が揺さぶられるような思いがするのである.


寺田寅彦は今となってはあまり読まれていないような気がするのだが,すばらしい随筆がいろいろとあり,今後またこのブログでそれについて書いてみたいと思っている.





関連エントリ:



コメント

このブログの人気の投稿

LaTeX メモ - 数式における「|」 (縦線, vertical bar)の扱い(その2)

人間はどんなところでも,どんな時でも何歳からでも学ぶことができる

ブログを始めるにあたって - 継続は力

イエスは地面に何を書いていたか

へんろう宿 (井伏鱒二)