人は皆「自分だけは死なない」と思っている

今日は所用で休みを取っているところだが,用件も終わったので,ゆっくりしている.3月の大震災以来,いろいろあったが,このブログもおいおい再開していこうと考えるようになった.


というわけで(?),以下のブログ記事を読んで,その内容とは関係ないのだが,思いついたことを記録のために書いておきたい.


人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/post-1422.html


これを読んで,夏目漱石の「硝子戸の中」所収のある小節を思い出した.青空文庫の該当ページから引用する.


 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。

 私としてこういう黙想に耽(ふ)けるのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地(いち)や、身体(からだ)や、才能や――すべて己(おの)れというもののおり所を忘れがちな人間の一人(いちにん)として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経(どきょう)の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸(けいがい)を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。

 或人が私に告げて、「他(ひと)の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃(たお)れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴(き)かされた時に、こんな問答をした覚えもある。「ああして始終(しじゅう)落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖(こわ)いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」

「ところがそうでないと見えます」

「なぜ」

「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」

 私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。


私もやはり,自分だけは死なないと思っている一人だろう.それでも,3月11日以来,ある日突然理不尽な死が自分に訪れるかもしれないということは,実感するようになった.そのときは,理不尽とすら思う余裕もないかもしれない.今更そうしたことを考えるとは,ずいぶん鈍いことだと笑われるようなことかもしれない.それでも,大震災の後では,自分の中の何かは変わったような気がする.そうした思いすらそのうち薄れていくことだろうが,今の思いを記録しておくためにも,このエントリを書いておきたいと思った.



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