二,三羽 ―― 十二,三羽 (泉鏡花)

昨日,以下のエントリが話題となっていた:


スズメたちの会話が聞こえてきそう!スイスの郵便配達員のおじさんが庭で撮影した対話するスズメたち
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52075488.html


このエントリを読んで,泉鏡花の短編「二,三羽 ―― 十二,三羽 」を思い出した.例によって,上記エントリと全く関係ない内容になるのだが,ご容赦されたい.


泉鏡花といえば,「高野聖」「婦系図」「歌行燈」などの作品が有名で,その幻想的な作風で知られている.私はその時代の作家の小説が好きで,泉鏡花についても,有名なものは一度は読んだと思う.残念ながら,私は泉鏡花の熱心な読者ではないけれども,鏡花は好きな作家の一人である.その中でも「二,三羽 ―― 十二,三羽」という小品は好きで,スズメを見たときや,春にツバメが飛んでいるときなど,ふとしたはずみでこの作品のことをよく思い出す.


この短編は,泉鏡花の作品の中でも異色の存在ではないだろうか.作者の家の庭に見える,十二,三羽の雀の様子を,作者が描写するという,いってみれば他愛のない内容である.またその内容も,エッセイとも言えれば,小説とも言える,奇妙な作品である.しかしながら,作者が雀たちに向ける視線は,あくまで愛情に溢れているのである.


その描写をいくつか引用してみよう.この作品で,作者の妻が,ふとした拍子に子雀をつかまえて,それにざるをかぶせてしまう場面である.それに気が気でない母雀は,すぐにそのざるに飛びついてくるのである.


 母鳥は直ぐに来て飛びついた.もうさっきから庭木の間を,けたたましく鳴きながら,あっちへ飛び,こっちへ飛び,飛び騒いでいたのであるから.

 障子を開けたままでのぞいているのに,子の可愛さには,邪険な人間に対する恐怖も忘れて,目笊(めざる)の周囲を二,三尺,はらはらくるくると廻って飛ぶ.ツツと笊の目へ嘴(くちばし)を入れたり,さっと引いて横に飛んだり,飛びながら上へ舞い立ったり.そのたびに,笊の中の子雀のあこがれようと言ったらない.あの声がキイと聞えるばかり鳴きすがって,ひっ切れそうに胸毛を震わす.利かぬ羽を渦にして抱きつこうとするのは,おっかさんが,嘴を笊の目に,その…ツツと入れては,ツイと引くときである.

 見ると,小さな餌を,虫らしい餌を,親は嘴にくわえているのである.笊の中には,乳離れをせぬ嬰児(あかんぼ)だ.火のつくように泣き立てるのは道理である.ところで笊の目をくぐらして、口から口へ哺(くく)めるのは ―― 人間の方でもその計略だったのだから ―― いとも容易い.

 だのに,餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛び廻るのは,あまり利口でない人間にも的確に解せられた.「あかちゃんや,あかちゃんや,うまうまをあげましょう,そこを出ておいで.」と言うのである.ひとの手に封じられた,子はどうして,自分で笊が抜けられよう? 親はどうして,自分で笊を開けられよう?


もう一つ,親雀と子雀の描写を引用してみる.


 あの,子雀が,チイチイと,ありッたけ嘴を赤く開けて,クリスマスに貰ったマントのように小羽を動かし,胸毛をふよふよと揺がせて,こう仰向(あおむ)いて強請(ねだ)ると,あいよ,と言った顔色(かおつき)で,チチッ,チチッといくたびもお飯粒(まんまつぶ)を嘴から含めてやる.…食べても強請る.ふくめつつ,後(あと)ねだりをするのをきっかけに,一粒くわえて,お母(っか)さんは塀の上 ――(椿の枝下でここにお飯(まんま)が置いてある) ―― そこから,裏露地を切って,向うの瓦屋根へフッと飛ぶ.とあとから子雀がふわりとすがる.これで,羽を馴らすらしい.(中略)

 ところで,何のなかでも,親は甘いもの,子はずるく甘ッたれるもので.…あの胸毛の白いのが,見ていると,そのうちに立派に自分で餌が拾えるようになる.澄ました面(つら)で,コツンなどと高慢に食べている.いたずらものが,二,三羽,親の目を抜いて飛んで来て,チュッチュッチュッとつつき合の喧嘩さえやる.生意気にもかかわらず,親雀がスーッと来て叱るような顔をすると,喧嘩の嘴も,生意気な羽も,たちまちぐにゃぐにゃになって,チイチイ,赤坊声(あかんぼごえ)で甘ったれて,餌(うまうま)を頂戴と,口を張り開いて胸毛をふわふわとして待ち構える.チチッ,チチッ,一人でお食べなと言ってもきかない.ほっぺたを横に振ってもきかない.で,チイチイチイ …おなかが空いたの. …おお,よちよち,と言った工合に,この親馬鹿が,すぐにのろくなって,お飯粒の白いところを ――贅沢なやつらで,うちのは挽割麦(ひきわり)を交ぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴をつけぬ.(中略)

 けしからず,親に苦労をかける. …そのくせ,他愛のないもので,陽気がよくて,お腹(なか)がくちいと,うとうととなって居睡(いねむり)をする.


いかにも鏡花らしい,きめこまかで流麗な描写である.親雀と子雀の愛らしい姿が,鮮やかなイメージとして目に浮かんでくるかのような気がしてくる.それと同時に,読者の心を打つのは,雀たちに対する作者の愛情としか言いようがない思いである.スズメに限らず,さまざまな小さな動物に対して,我々がときに感じるような愛情を,ここまで見事に描写した作品もあまりないのではないか.


ところが,この短編は,ここでは終わらない.ここまでの,雀たちへの愛情あふれる作者のまなざしを描いたのが前半で,後半は,肥えた男と美しい女が現れ,いわば鏡花流の幻想的な「雀のお宿」といった趣きになってくる.私などは,この後半を読むと,さすが鏡花というより,違和感のような思いを禁じ得ないのだが,どうだろうか.この作品は,私の記憶では,さまざまな鏡花短編集に採録されている有名な作品だと思うのだが,岩波文庫の解説を読むと,むしろこの後半に続く流れが評価されているようだ.しかし,私にとっては,この作品の前半の印象があまりに鮮烈であるので,後半は蛇足のようにも思われる.ただそれも,単に私が鏡花文学を分かっていないというだけのことかもしれない.いずれにせよ,この短編の文学的な評価はそれほど高くなく,鏡花の代表作とまでは言えないのではないか (たとえば,Wikipedia の泉鏡花のページでも,この作品については触れられていない).それでも,私はこの短編が好きで,この作品があるからこそ,泉鏡花のことも好きな作家として考えているのである.


実は,私が鏡花のことを好きなのは,鏡花が金沢(石川県)の三人の文豪(泉鏡花,室生犀星,徳田秋声)の一人だからということもある.これについては,またこのブログに書くことがあるかもしれない.


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