地獄の絵本でしつけ

いろいろと思うところがあるのだが,うまくまとまらないし,またうまくまとめることにも抵抗があるので,例によって散漫ながら,メモのようなことを書いてみたい.


以下のような記事があった:


えんま王、しつけの「劇薬」? 地獄絵本に子ども釘付け
http://book.asahi.com/booknews/update/2012062500006.html


悪いことをしたら、えんま王が地獄に落とすぞ! 思わず目を背けたくなる地獄の光景が生々しく描かれた絵本「地獄」が、なぜか人気だ。やんちゃな子たちをしつけるのにもってこいの劇薬? えんま王もびっくりだ。(中略)

 朗読会を開いたのは大阪市内の自営業、前田正治さん(70)。中学1年の孫に読ませると「真面目にせなあかん」と効果てきめん。「親や先生が見てなくてもえんま王が見ている。そんな心構えが今の子には必要だ」と思ったからだ。(中略)

 「地獄」は1980年、風濤社(ふうとうしゃ、東京)が出版した。昨年までに売れたのは11万部だったが、今年は既に8万部増刷した。絵本の各種ランキングで上位になり、書籍取り次ぎ大手トーハンが運営するネット書店の児童書部門でも25日現在、1位だ。(以下略)



また,以下のような書評もあった:


絵本 地獄 [監修]宮次男
http://book.asahi.com/reviews/column/2012062600005.html


■母親たちが地獄絵の“教え”に共感


 今から32年前、1980年の夏に刊行された『絵本 地獄』が売れている。東村アキコの漫画『ママはテンパリスト』で紹介されて話題になり、この春には多くのテレビ番組にも取りあげられてベストセラーとなった。

 私が手にした本の帯には、人気のきっかけとなった東村の絵が抜粋されていた。幼い男の子を抱えた作者らしき母親が、「うちの子はこの本のおかげで 悪さをしなくなりました」と語り、うれし涙を流している。おそらくは、彼女と同じように育児に悩む母親たちがまず反応したのだろう。(以下略)



これらの記事を読んで,自分の身内や自分がこれまで見聞きしてきたことなどについて考えを巡らせ,いろいろと思うところがあった.しかしそれはこのブログに書けるようなことでもないし,以下では散漫ながら,地獄ということについて書いてみたい.


今となっては記憶もあやふやだが,はじめて地獄という言葉を知った子供のころ,もし地獄というところが死んだ人が行くところであるならば,そこには(死んだときの姿形のままの)年寄りしかいないのではないか,また,今まで死んだ人がすべているのならば,地獄には何百億人も人がいるのか,あるいは,人種の違う人間もそのような地獄に一緒にいるのか,そういった疑問を持ったような記憶がある.つまり,子どもながら,地獄というものに対して,ある意味で,作り物のような感覚を持っていたような気がする.ひねくれていた子供だったのか.しかし,多くの人は似たようなことを考えたことがあるのではないか.


その後,年を経て成長するにしたがって,いろいろな経験をし,本を読み,世界のニュースを知ることになると,むしろこの世のほうが地獄ではないかと思うことも多くなってきた.芥川龍之介は,その「侏儒の言葉」の中で,地獄について以下のように書いている(文章は青空文庫による).


地獄


 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、また存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児(ちょうカタル)の起ることもあると同時に、また存外楽楽と消化し得ることもあるのである。こういう無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない。もし地獄に堕ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠(かす)め得るであろう。いわんや針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさえすれば格別跋渉(ばっしょう)の苦しみを感じないようになってしまうはずである。


人生は地獄よりも地獄的である.確かにそのとおりだ.そして,今の私は,そのような地獄に対して,意図的に鈍感になり,ふたをするような術(すべ)を身につけた大人になった.そうして日々を生きている.そして,そのことも,地獄というものの一つの側面のように思える.


洋の東西を問わず,昔の絵画では,天国も地獄も,現在の世界と独立して存在する世界のように描かれている.しかし,私は,どうもそのような気がしない.むしろ,天国も地獄も,現在の世界の一部としてしか存在しないように思えるのである.さらに言えば,死後の世界すら,現在の世界となめらかに地続きであるような,そんな気すらしてくるのである.



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