線香の火を消さなかった人

本ブログもめでたく(?)10周年の区切りを迎えた(参照: 「ブログ開設10周年となぜブログを書くかということ」).以前から,更新頻度が少ないことが気になっていたので,今後はちょっとしたことでもエントリを書くようにしたい.


最近,国立大学の人文系学部廃止の方向性が文科省によって提示されている.たとえば,以下のような記事である.


教員養成系など学部廃止を要請 文科相、国立大に :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08HCT_Y5A600C1CR8000/


下村博文文部科学相は8日、全国の国立大学法人に対し、第3期中期目標・中期計画(2016~21年度)の策定にあたって教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換に取り組むことなどを求める通知を出した。(以下略)


これについては,大学教員を始めとしてネットでも非難轟々といった趣である.私もいろいろと思うところはあるが,自分の人生も顧みて,少しだけ所感を述べてみたい.


中谷宇吉郎は,寺田寅彦の言葉にもとづいて,「線香の火」という大変短い随筆を書いている.


 昔,寺田(寅彦)先生が,よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われていた.

 大学を新しく卒業して,地方の中学校すなわち今の高等学校などへ赴任する学生が,先生のところへ暇(いとま)ごいに行くと,先生はどういうところへ行っても,研究だけは続けなさいと諭(さと)された.「地方の学校へ行くと,研究の設備などは,もちろん少ないだろう.研究費だってほとんどないだろうが,その気さえあれば,研究はできるものですよ.設備や金がなくてもできる研究というものもありますよ.一番いけないのは,研究を中絶することなんだ.何でもいいからとにかく手をつけて,研究を続けることが大切です.一度線香の火を消したら駄目ですよ」


そして中谷はこう断言するのである.


研究者として成熟した人は,線香の火を消さなかった人である.


このように書くと,じゃあ文系学部を廃止しても,研究を続ければいいのかと早合点されるかもしれない.それはこのエントリの本意ではない.


寺田寅彦は,研究費が足りないから研究が出来ない,あるいは雑用が多いから研究が出来ないと不平を言うことを戒めた(中谷「指導者としての寺田先生」等より).年を取るにつれてマネジメント系の仕事が多くなり,プライベートでも時間が削られるようになって,自分自身の研究や勉強の時間が年々減っていくような私でも,思うことがあるのである.研究を続けていく意思,勉強を続けていく意思こそ重要なのだと.そしてそれは,線香の火のように,か細く,折れやすいのだ.


私は,線香の火を消さなかった人でありたい.そして,我々も,国も,線香の火を消さなかった人を支える仕組みを持たなければならないと思うのである.




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