I Have a Dream

最近ネットをしていて,キング牧師(Martin Luther King, Jr.) の歴史的な演説,いわゆる「I have a dream」 と題されるもののことを思い出した.私はそれについて論じる資格はないので,詳しくは <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/I_Have_a_Dream" target="_blank">I Have a Dream - Wikipedia</a> などを参照されたい.このエントリでは,その演説に関わる思いをいろいろと考えているうちに,多少感傷的な気分になったので,その記録もかねて書いてみたい.


キング牧師の「I have a dream」動画は以下のとおり.



また,その全文は以下にある.


I Have A Dream Speech (TEXT) | HuffPost



キング牧師の演説を初めて見たのは,高校のときの英語の教材としてだった.当時の英語の先生が,この演説の全文を覚えておくように勧めたのを思い出す.それで私も挑戦してみたのだが,途中で飽きて,結局全文を覚えるまでには至らなかった.この演説に,興味を持てなかったのである.


しかし今この演説を見ていると,高校生のときには感じられなかった,深い感動にとらわれる.一般的には,感受性が強いのは若いころで,年をとってからは,それは鈍くなる一方だと思われている.しかし実際におっさんになるまで生きてみると,若いころとは違った感受性があり,それに基づいた感動も多くあるように思う.


それは,ポジティブに考えれば,これまでの人生経験や,自らにある愛によるもののように思われる.それらは,若いころにはなかった経験であるし,また自覚できなかったものでもあった.


一方で,ネガティブに見てみれば,それは,いわば暗い情念に基づいているようにも感じる.それこそが,人生の哀しみということかもしれないが.



私に「I have a dream」をすすめたあの英語の先生は,当時何歳だったか.ひょっとしたら,今の私の年より若いかもしれない.あるいは,もっと年を取っておられたかもしれない.いずれにせよ,高校のときの恩師は,すでに鬼籍に入っている方も多いのではないか.


若いころは,30才以上の大人を見ても,その年齢など分からなかった.若者からすれば,30過ぎればどんな大人でも,おっさんおばさんとしか見れないし,たとえそれほどの年でなくても,おじいさんおばあさんにしか見えないことも,多々あったろう.


それは,若さが光のようなものだからだろう.その中心にいるのが,若いころの自分である.30才以上のおっさんなどは,その光のまわりの影の中にいる存在でしかない.だから,そんなおっさんの年齢など分からない.というより,どうでもいい存在でしかない.もっといえば,無自覚に忌避するような老いを意識させるものでしかない.そして,そうした老いというものは,若者にとっては,いわば汚さ,臭さ,みじめさ等と本質的には違いはない.


そして,私はもう,光の周辺にある陰の中の存在になってしまった.


私の同級生の友人は,もう三人ほど亡くなってしまった.その一人は,昨年亡くなった.


人はあっけなく死ぬものだ.そう思う機会も,今後増えていくだろう.こういうような思いも,若いころには想像もできないものであった.


しかし,年をとっていくのも必ずしも悪くはない.若いころは,光の中にいるせいもあり,その未来もただ明るいものとしか考えられなかった.つまり,具体的な未来については,ひりひり身に迫ってくるものではなかった.


今は違う.守らなければならないものがある.これまで積み上げてきたものもある.そして,死ぬまでに絶対に成し遂げたい夢も,いくつもある.自分の人生が全体的に見えてきたからこそ,自分の夢は,まさに,手で触れるような具体性と,疼くような痛みをもつ,確実な存在になっている.そして,ほめられたものではない自分の人生すら,いとおしいもののように思えてくることもあるのである.そして,そうした今の年齢だからこそ,キング牧師の「I have a dream」が,そして,当時それに言及された英語の先生の思いが,ひりつくような実感をもって,感動できるように思われるのである.




自分のリアルでは,いろいろとやってみたいことがありますが,ネットでは,このブログは死ぬまで続けていきたいと思っています.まあ,ブログも下火なので,ウェブリブログもそのうち閉鎖される可能性も小さくはないでしょうが,どこかでブログを書くところはあるでしょう.


そういうわけで,皆様今年もよろしくお願いいたします.




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