私をとりこにした三人の「女王さま」(宮尾登美子)

「心に灯(ひ)がつく人生の話」(以下、本講演集と呼ぶ)は、端的に言えば著名人の講演集である。もともとは、文藝春秋で行われた講演の中から選ばれたものが、単行本として出版された。また、文庫化の際、いくつかの講演が追加された。


そして、本講演集を読みなおしているうちに、所収の宮尾登美子の講演について、ブログを書いてみたくなった。


作家として、宮尾登美子の名前を聞いたことがない人は少ないのではないか。10年ほど前、宮尾登美子原作による大河ドラマ「篤姫」がヒットしたことは記憶に新しい(原作は正確には「天璋院篤姫」)。


また、年配の女性には、宮尾登美子のファンがそれなりにいるような印象がある。かくいう私の母も、宮尾登美子の愛読者である。そこで実家には、宮尾登美子の小説がそろっていて、私もいろいろ読んだことがあった。これについては後で簡単に触れてみたい。


さて話を戻すと、本講演集には、1997年山形グランドホテルで行われた宮尾登美子の講演「私をとりこにした三人の「女王さま」」が収められている。深く掘り下げてはいないものの、宮尾登美子の生涯や、その文学活動について本人が語っており、興味深い。本講演集のその他の講演同様、宮尾も講演巧者で、聴衆の満足度も高かったと思われる。


たとえば、この講演は以下のように始まる。


 みなさん、こんばんは。

 私、この山形は大好きな土地で、ちょくちょく伺っております。いちばん最初は三、四十年昔じゃなかったかと思うんですけど、この山形の方から「ここは雨が真っ直ぐに降る土地です」と聞かされてとっても嬉しくなり、それから大好きになったんです。

 私の故郷の土佐は、雨は真っ直ぐには降りません。ぜんぶ横なぐりです。海を前にしておりますから台風も来るし、災害も多い。ところがここでは雨が真っ直ぐに降るせいか、とっても穏やかな人が多いし、それにお付き合いが長く長くつづきますね。ふつう、ファンレターをいただいたり、何かのきっかけでお友だちになっても、途中で途切れてしまうケースが多いんですけど、山形のお友達は、今でもつづいてますの。


さすがに実にうまい導入である。私がもし山形県民なら、これだけで夢中になって講演を聴くことだろう。


宮尾登美子は、第二次世界大戦時に満州に渡り、その引き上げの際などに辛酸をなめた。そのときの苦労があるから小説を書いてるし、生きていると宮尾自身が語っている。


そして、そのときの労苦は筆舌に尽くしがたいものがあったようだ。たとえば、あまりの飢えに、饅頭と引き換えに子供を中国人に売ることを考えたことすらあったという。


子供と引き換えに饅頭ひとつを口にしたとして、この先どうなるものでもないと分かってはいても、やはり空腹には勝てないんです。何度か負ぶい紐を解いて子供を売ろうとしました。だけど、そういうときに男は理性的でして、止めてくれたのは主人でした。止めてくれなければ、今ごろ長女は中国の地で暮らしていたかも知れません。


だが、これほどの苦難をともに乗り越えた宮尾夫婦も、戦後になって離婚した。夫婦とは、人生とはということについて、考えざるを得ない。


(ちなみに、正確に言えば、「宮尾」は離婚後、再婚してからの姓である)


それから、「空白の二十六年」を経て、宮尾登美子はようやく作家として開花する。以降の活躍については、ここに書くまでもないだろう。宮尾登美子は、一貫して、「女の生き方」にこだわった作家であった。ちなみに、講演題目にある「三人の女王さま」とは、天璋院篤姫、東福門院和子(「まさこ」と読む)、クレオパトラのことである。


この講演は、内容的には物足りないところはあるものの、宮尾本人が語っており、非常に興味深いものである。




最後に、個人的なことを書いておきたい。まあブログでもあるし、メモがてら自分の思いを書いておくのはご容赦されたい。


前述したように、母がよく読んでたせいで、私も宮尾登美子の小説はいろいろ読んだ。


私が宮尾作品をよく読んだのは、中学生のころくらいだったか。まだ幼いせいもあり、「女の生き方」もよく分からなかった。今ならよく分かっているとも言えないのだが。


母もまだ元気だし、なぜ宮尾登美子のファンなのか、あるいはもっと踏み込んだことを、今後聞いたり話したりこともあるかもしれない。しかし、そのあたりの機微は、なかなかブログには書きづらい。


そういうことを考えていくと、母と、そして父とも、おそらくいろいろな話をしてないのだろうと思い至った。


これは私が既に実家を離れているせいもあるが、それは本質ではない。要は、大事な人たちと大事な話をしていないということだ。そして、仮に互いに話すことがあったとしても、違う人間である以上、たとえ親子・夫婦であっても、究極に理解しあうことはあり得ないだろう。そう考えると、一抹の淋しさを感ぜざるを得ないのだけど。


結局、人間は、自らの絶望や孤独を抱えて、誰にも理解されず、歩いていくしかない。


それでも、その道のりが、他の人と交差することもある。その交差する時間を長くすることもできるし、そのとき、互いを助け合うこともできる。


それを愛というかもしれないし、その長い道のりを人生とよぶのかもしれない。





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