聖書を読む - 出エジプト記読了 (その2)

(前のエントリ:https://dayinthelife-web.blogspot.com/2005/11/1.html からの続き)



ミケランジェロのモーセミケランジェロのモーセ像 (サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会,ローマ,イタリア.画像は Wikipedia による)



その後,モーセは兄アロンと共にエジプト王に会い,イスラエル民族をエジプトから去らせるよう懇願する.しかしながら,エジプト王はこれを許さない.そこで,モーセは,エホバの力を借りてエジプトに九つの災厄をもたらす.しかしそれでも,エジプト王はイスラエル人を解放しなかった.とうとうエホバは,最終的な災厄をもたらす.それは,人間・動物にかかわらず,エジプト中の長子(ういご)を殺すという,凄絶なものであった.これにより,遂にエジプト王はイスラエル人がエジプトを出ることを許可する.


これから,あまりにも有名な,イスラエル民族のエジプト脱出が始まる.ここは,旧約聖書の記述がその一大スペクタクルを余すことなく描きつくしているので,そのまま引用する.モーセとイスラエル民族がエジプトを出て,約束の地カナンに向かうところに,心がわりしたエジプト王の大群が,彼らを滅ぼそうと押し寄せてくる.


21. ヱホバかれらの前(さき)に往たまひ晝(ひる)は雲の柱をもて彼らを導き夜は火の柱をもて彼らを照して晝夜往すゝましめたまふ(第13章)


6. パロすなはちその車を備へ民を将(ゐ)て己にしたがはしめ 7. 撰抜(えりぬき)の戦車(いくさぐるま)六百輌にエジプトの諸(すべて)の戦車および其の諸の軍長(かしら)等(たち)を率ゐたり … 9. エジプト人等パロの馬,車およびその騎兵と軍勢彼等の後を追てそのバアルゼポンの前なるピハヒロテの邊(ほとり)にて海の傍に幕を張るに追つけり (第14章)


21. モーセ手を海の上に伸ければヱホバ終夜(よもすがら)強き東風をもて海を退かしめ海を陸地(くが)となしたまひて水遂に分れたり 22. イスラエルの子孫(ひとびと)海の中の乾ける所を行くに水は彼等の右左に墻(かき)となれり(第14章)


27. モーセすなはち手を海の上に伸けるに夜明におよびて海本(もと)の勢力(いきほひ)にかへりたればエジプト人之に逆(むか)ひて逃たりしがヱホバ,エジプト人を海の中に擲(なげう)ちたまへり 28. 即ち水流反(かへ)りて戦車と騎兵を覆ひイスラエルの後にしたがひて海にいりしパロの軍勢を尽く覆へり一人も遺れる者あらざりき(第14章)


この後,モーセはシナイ山において,エホバから十戒を授かる.出エジプト記では,これからさらに,エホバが述べる戒律の話,幕屋の細かな規定の話と続く.十戒については,私は任ではないので,他の解説に譲りたい.このエントリでは,その他の,特に印象深かった点について述べてみたい.


出エジプト記で最も有名なのは,モーセに導かれてエジプトを脱出するイスラエル民族のくだりと十戒であろう.この民族大移動はあまりにも壮大で,かつ劇的である.しかしながら,出エジプト記ではさらに,あまりにも弱く愚かな人間と,それを見捨てることなく,何度でも救うエホバという構図が繰り返し描かれる.これは本筋ではないかもしれないが,見過ごせないテーマではないだろうか.


たとえば,エジプト王は十度も災厄をうける.これは,エホバの力を見せ付けるためでもあるが,見方をかえれば,エホバに従わない愚かな人間に十回もチャンスを与えたと読むこともできる.


だが,最も印象に残ったのは以下のようなくだりであった.モーセに導かれてカナンに向かう途中で,イスラエルの民族は飢えと渇きに苦しめられる.


2. 其曠野(あらの)においてイスラエルの全會衆モーセとアロンに向ひて呟けり 3. 即ちイスラエルの子孫(ひとびと)かれらに言けるは我儕(われら)エジプトの地に於て肉の鍋の側に座り飽までにパンを食ひし時にヱホバの手によりて死たらば善りし者を汝等はこの曠野に我等を導きいだしてこの全會を飢に死しめんとするなり(第16章)


1. イスラエルの子孫の會衆ヱホバの命にしたがひて皆シンの曠野を立出で旅路をかさねてレビデムに幕張せしが民の飲む水あらざりき 2. 是(こゝ)をもて民モーセと争ひて言ふ我儕に水をあたへて飲しめよモーセかれらに言けるは汝らなんぞ我とあらそふや何ぞヱホバを試むるや(第17章)


エホバは,イスラエル民族の悲嘆の声を聞いたからこそ,アブラハムらとの契約を守ろうとして,乳と蜜の流れる地カナンへ導こうとしているのである.だが,弱くて愚かな人間は,目先の苦難に会うだけで不平不満を漏らし,奴隷だったときを恋しがるまでになる.そして,モーセとアロン,ひいてはエホバまでを恨もうとする.それに対するモーセの嘆き,「何ぞヱホバを試むるや」という叫びは血を吐くようであり,読むものの胸が痛くなるほどである.そして,そのような人間でさえ,エホバは食べ物(マナ)と水を与え,救うのである.


いつの時代も,人間の弱さ愚かさというのは変わらないように思える.出エジプト記では,それが生々しいまでに描かれる.その人間を救えるのはエホバだけということなのだろう.


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