聖書を読む - 民数記読了

聖書をこつこつ読んでおり(参照: 聖書を読む),現在,サムエル前書を読んでいるところである.今回,随分間があいてしまったが,民数記(民數紀略読了 (2005年12月5日))について書くことにしたい.


民数記は,旧約聖書の第4巻で,モーセ五書の一つである.民数記では,イスラエル民族がエジプトを脱出してから,シナイを経て,乳と蜜の流れる地カナンを目指し,モアブに至るまでの経緯を記している.民数記という書名の由来は,いくつかの章で,イスラエル民族の人口調査を行っていることによる.民数記は英語では,Numbers という.


この民数記では,カナンの地に向かう移動の過程において,イスラエル民族のエホバに対する不信仰が繰り返される.たとえば,シナイを出発してすぐ,民は不平不満を漏らすようになる.


4. 茲に彼等の中なる衆多(おほく)の寄集人等(よりあつまりびとども)慾心を起すイスラエルの子孫(ひとびと)もまた再び哭て言ふ誰か我らに肉を與へて食しめんか 5. 憶(おも)ひ出(いづ)るに我等エジプトにありし時は魚 黄瓜 水瓜(すゐくわ) 韮 葱(ひともじ)靑蒜(にんにく)等を心のまゝに食へり 6. 然るに今は我儕の精神枯衰ふ我らの目の前にはこのマナの外何も有ざるなりと(第11章)


このイスラエル民族に対し,エホバは激怒する.そして,両者の間でモーセは苦悩するのである.


14. 我は一人にてはこの總體(すべて)の民をわが任(に)として負(おふ)ことあたはず是は我には重きに過ればなり 15. 我もし汝の前に恩(めぐみ)を獲ば請ふ斯我を為んよりは寧ろ直(たゞち)に我を殺したまへ我をしてわが困苦(くるしみ)を見せしめたまふ勿れ(第11章)


エホバに対する,モーセの悲痛極まりない叫び.ここにあるのは,預言者モーセというより,人間モーセの痛切な苦悶である.この叫びには,誰しも胸ひしがれるような思いがすることだろう.


それから,イスラエル民族の背信といってもよい不信行為は,ついに破滅的な展開を迎える.いよいよカナンの地に至ろうとするとき,イスラエル民族は偵察隊を送る.その結果,そこに強大な民族が住んでいることを知った彼らは,恐慌状態に陥り,エジプトに戻ろうとする.これには,エホバもとうとう堪忍袋の緒が切れてしまう.


11. ヱホバすなはちモーセに言たまはく此民は何時(いつ)まで我をかろんずるや我諸(もろもろ)の休徴(しるし)をかれらの中間(うち)に行ひたるに彼等何時(いつ)まで我を頼むことを為ざるや


26. ヱホバ,モーセとアロンに告て言たまはく 27. 我この我にむかひて呟くところの惡き會衆を何時まで赦しおかんや我イスラエルの子孫が我にむかひて呟くところの怨言(つぶやき)を聞り(第14章)


そして,エホバはイスラエル民族に最終的な通告を言い渡す.


32. 汝らの屍はかならずこの曠野に横はらん 33. 汝らの子女等(こどもら)は汝らが屍となりて曠野に朽るまで四十年の間曠野に流蕩(さまよひ)て汝らの悖逆の罪にあたらん 34. 汝らはかの地を窺ふに日數四十日を経たれば其一日を一年として汝等四十年の間その罪を任(お)ひ我が汝らを離たるを知べし(第14章)


これにより,イスラエルの二十歳以上の者(カルブとヨシュアを除く)は,カナンに至ることなくこの地で滅び,それまでその子供達は40年も放浪することになったのである.


民数記では,イスラエル民族のエホバに対する不信仰が繰り返し語られ,信仰というものについて考えさせられる.ただそれは,エジプトを脱出してからカナンに至るまでの過酷な状況で,やむをえない側面があったのかもしれない.また,ここで繰り広げられる人間ドラマの何と生々しいことか.民数記では,イスラエル民族はもちろん,エホバすらあまりに人間的である.


しかし,私にとって印象的なのはやはり,モーセである.イスラエル民族をエジプトから脱出させ,カナンに至るまで導くモーセの生涯は,苦難の連続であった.しかも,モーセは,イスラエル民族とともに40年も放浪し,約束の地カナンを目前にしてメリバでエホバの逆鱗に触れ,カナンに入ることなくこの世を去る.モーセほど偉大な預言者はいない(申命記第34章10節)のにもかかわらず,である.エホバは,モーセをカナンに入れてもよさそうなものではないか.


ひょっとしたら,モーセは40年の放浪の中で不慮の事故でなくなり,これを惜しんだ人々が,メリバの泉のようなエピソードを作ったのかもしれない.もちろんこれは私の妄想なのであるが….


いずれにせよ,ここで描かれるモーセは,預言者という言葉に対して私が持っていた印象を覆させるのに充分であった.モーセは偉大であるが,どこまでも人間であった.人がモーセの生涯に心を打たれるのは,その故であるように思えてならないのである.


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