聖書を読む - 申命記読了 (その1)

前回のブログの更新からだいぶ時間がたってしまった.このブログでは,聖書を読んでいく (聖書を読む) 過程で,一巻ごとに感想を書いていこうと考えている.今回は,申命記の感想について書いてみたい.読了したのはもう去年のことになってしまったのだが… (申命記読了,2005年12月31日)


Wikipedia (Deuteronomy) などによれば,申命記のもともとの書名は,Devarim (デバーリーム,ヘブライ語で言葉という意.以下ではヘブライ語は英語表記) というようだ.これは,冒頭の「これらは言葉である」 (Eleh ha-devarim) という一文からきている (申命記1章1節 「是(これ)はモーセがヨルダンの此旁(こなた)の曠野(あらの)紅海に對する平野に在てパラン,トペル,ラバン,ハゼロテ,デザハブの間にてイスラエルの一切(すべて)の人に告たる言語(ことば)なり」).


また,mishneh ha-torah ha-zot (単に mishneh torah とも.ミシュネー・トーラー) などとも呼ばれていた.これは,ヘブライ語で「律法(トーラー)の写し」という意味である.これが,ギリシャ語の七十人訳聖書に訳されるとき,「第二の律法」 (Deuteronomion,デウテロノミオン) と訳されてしまった.これは厳密に言えば誤りであるが,七十人訳聖書に基づいたウルガタ聖書 (ラテン語) などでもこの訳が踏襲された.そして,その訳に基づいて,英語では「Deuteronomy」,漢語では「申命記」となり,日本語訳でも「申命記」と呼ばれるようになったらしい.ちなみに,「申」は「再び,重ねて,繰り返し」などの意味で,「申命」で,「再び(繰り返して)命じる,律法を述べる」ということになるようだ.


申命記は,旧約聖書のモーセ五書の最後の書である.しかしながら,この申命記の著者がモーセかといえば,そうではないようだ.なぜならば,申命記34章では,モーセの死とその死後のことが記されているからである.そこで,この部分はモーセの後継者ヨシュアが書いたものと信じられてきた.だが,現在では,この申命記の成立については,概略以下のように考えられているようだ.列王記(下)の22章8節に,「時に祭司の長(おさ)ヒルキヤ書記官シヤパンに言けるは我ヱホバの家において律法(おきて)の書(ふみ)を見いだせりとヒルキヤすなはちその書をシヤパンにわたしたれば彼これを讀り」とある.この際発見された「律法の書」が,申命記の12~26章に相当し,「原申命記」と呼ばれている.そして,前後の1~11章,27~34章が,この時代に付加されたらしい.


この申命記では,荒野を40年間放浪してきたイスラエル民族に対して,約束の地カナンに入る前に,モーセが律法を諄々と諭していく様子が述べられている.そこでは,出エジプト後シナイ山で授かった十戒や,イスラエル民族がエホバから選ばれた民であること,エホバに対する荒野での背信,律法やその遵守などが語られる.申命記には,モーセ五書の内容が一つの書に凝縮されているといってよいだろう.また,このときモーセは120歳,死の直前であった.しかも,モーセは,約束の地,乳と蜜の流れる地カナンに入ることをエホバから許されていない.このようなモーセが語る内容は,荘厳で感動的である.その文章も,文語ならではの,格調高く美しい名文が多い.そのすべてについてここで触れることはできないが,特に強く印象に残ったものをいくつか記しておきたい.


(その2に続く)


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