聖書を読む - 申命記読了 (その2)

その1からの続き)


申命記の7章で,モーセは,イスラエル民族のアイデンティティについて述べる.その中で,エホバの言葉として,諸民族との関係が説かれる.すなわち,他の諸民族と戦うときは全滅させよ,彼らと契約してはならない,憐れんではならない,結婚してはならない等々,峻烈というべき定めである(1~3節).これは,彼らがイスラエル民族を惑わして異教を信仰させるようにするため,エホバが怒り,イスラエル民族を滅ぼすにいたるから,というのが理由である.イスラエル民族は,エホバの「聖民(きよきたみ)」であり,「地の面(おもて)の諸の民の中」から選ばれた「寶(たから)の民」であるから (6節),異教や異民族と交わってはならないのである.


では,エホバはなぜイスラエル民族を選んだのだろうか.これについて,モーセは以下のように語る(7章7節):


ヱホバの汝らを愛し汝らを撰びたまひしは汝らが萬の民よりも數多かりしに因(よる)にあらず汝らは萬の民の中にて最も小き者なればなり


エホバが,イスラエル民族を愛して宝の民としたのは,その民が強大だったからではない.イスラエル民族が最も小さき者だった,言い換えれば,弱く,そして虐げられたものだったからこそ,エホバはその民を選び愛したのである.


もちろん我々は,このエホバの愛が,イスラエル民族のみに対する愛であることを忘れてはならないだろう.しかし,この節こそが,エホバの愛の本質ではないだろうか.


このようなエホバの愛に対し,イスラエル民族に求められることは何だろうか.これは,10章の以下の節で語られる(6章4節にも同様の句がある):


12. イスラエルよ今汝の神ヱホバの汝にもとめたまふ事は何ぞや惟是のみ即ち汝がその神ヱホバを畏れその一切(すべて)の道に歩み之を愛し心を盡し精神を盡して汝の神ヱホバに事(つか)へ 13. 又我が今日汝らに命ずるヱホバの誠命(いましめ)と法度(のり)とを守りて身に福祉(さいはひ)を得るの事のみ


申命記はモーセ五書のエッセンスである.そこで語られる律法のさらなるエッセンスが,上記の言葉に凝縮されているように思われる.


この他にも,申命記には,珠玉の言葉がちりばめられている.だが,私が最も感動したのは,神エホバとモーセとの結びつきである.それは申命記の本筋ではないかもしれないが,最も心に残ったところであるので,あえてこの記事に書いておきたい.


モーセは,メリバの泉でエホバの逆鱗に触れたため(出エジプト記17章),約束の地カナンに入ることを許されていない.申命記3章で,モーセはエホバに懇願する:


24. 主ヱホバよ汝は汝の大なる事と汝の強き手を僕(しもべ)に見(しめ)すことを始めたまへり天にても地にても何(いづれ)の神か能(よく)なんぢの如き事業(わざ)を為し汝のごとき能力(ちから)を有(もた)んや 25. 願くは我をして渡りゆかしめヨルダンの彼旁(かなた)なる美地(よきち)美山(よきやま)およびレバノンを見ことを得させたまへと


この願いに対し,エホバは怒りを発する.そのときのエホバの言葉を,モーセはこう語る:


26. 然るにヱホバなんじらの故をもて我を怒り我に聽ことを為たまはずヱホバすなはち我に言たまひけるは既に足りこの事を重て我に言なかれ


このときのエホバが,あまりに人間的に思われるのである.モーセは,エホバに最も愛された預言者であった(申命記34章10節 「イスラエルの中にはこの後モーセのごとき預言者おこらざりきモーセはヱホバが面(かほ)を對(あは)せて知たまへる者なりき」).それゆえに,エホバには,モーセをカナンに入れてやりたい思いがあったのではなかろうか.だが,それはやはり許されない.エホバ自らの思いを断ち切るようにして出された言葉が,上記の節のように思えるのである.だが,これはあまりに情緒的に過ぎる考えかもしれない.


そして,いよいよモーセの死が近づく.その死の直前に,モーセはイスラエルの十二部族を祝福する(33章).モーセの最期が語られる34章(最終章)は,申命記の中でもひときわ美しい章である.


1. 斯てモーセ,モアブの平野よりネボ山にのぼりヱリコに對するピスガの嶺(いたゞき)にいたりければヱホバ之にギレアデの全地をダンまで見(しめ)し 2. ナフタリの全地エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで見し 3. 南の地と棕櫚の邑(まち)なるヱリコの谷の原をゾアルまで見したまへり 4. 而してヱホバかれに言たまひけるは我がアブラハム,イサク,ヤコブにむかひ之を汝の子孫にあたへんと言て誓ひたりし地は是なり我なんぢをして之を汝の目に観ることを得せしむ然ど汝は彼處に濟(わた)りゆくことを得ずと 5. 斯の如くヱホバの僕(しもべ)モーセはヱホバの言(ことば)の如くモアブの地に死り 6. ヱホバ,ベテペオルに對するモアブの地の谷にこれを葬り給へり今日までその墓を知る人なし


ピスガの頂で,エホバは,イスラエルの祖先(アブラハム,イサク,ヤコブ)に約束した地をモーセに一望させた.エホバとモーセ,そして眼前に広がる,イスラエル民族宿願の地.あまりにも美しい情景である.イスラエル民族をエジプトから導き出し,40年も荒野を放浪してようやくここまでたどり着いた,モーセの胸にも万感の思いが去来したに違いない.神エホバの,モーセに対する最大限の祝福であったろう.この情景は,読む者の胸を打たずにはおかない.そして,モーセの死を迎え,エホバは誰も知らない地にモーセを葬る.これについては,様々な解釈がなされているようだが,エホバは,何者にも干渉されないようにしてその御許にモーセをおいておきたかったのではないだろうか.私にはそう思えてならないのである.




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