飢餓海峡 (水上勉) - その1

今まで,自分の好きな作家の作品について,いろいろ書評を書いてきた.しばらくは,これまで取り上げていなかった作家の作品を優先して,書評を書いていきたいと考えている.思ったほどのペースでは書けていないため,いつまでたっても終わらないような気もしてきたのだが,マイペースで続けていきたい.今回は,私の好きな作家である水上勉の代表作,「飢餓海峡」(新潮文庫)について書くことにする.


水上勉は,福井県の若狭湾の奥,本郷村岡田に生まれた.10代に京都の禅寺で修行した後還俗し,職業を転々としたが,42歳のとき「雁の寺」で直木賞を受賞,作家としての地位を確立する.その生い立ちから,水上勉の作品は,僻地や寒村,寺などを背景に,人間の宿業やその哀しみを描くものが多い.だが,水上作品には独特の抒情が流れており,それが読む人をひきつけてやまないのではないだろうか.


「飢餓海峡」は,水上勉渾身の大作である.あえて分類するならば,推理小説というよりも社会小説ということになるだろうか.ただ,この作品における,雄大な構想とスケールで描かれる重厚な人間劇は,他の社会小説の類と比べて群を抜いている.特に,犬飼多吉(樽見京一郎)をとりまく登場人物の織り成す人間ドラマは,人間の宿業や運命を描いて余すところがない.比類ない名作といえるだろう.


この小説は,実際に起きた二つの事件に着想を得ている.あとがきによれば,これは,昭和29年9月26日に起きた北海道岩内町の大火と,同日に起きた,青函連絡船洞爺丸の遭難事件である.講演のために北海道を訪れた水上は,岩内の寂寥たる雷電海岸を歩いているときに,この作品の想を得たという.この着想は果てしなく膨らみ,敗戦直後の混乱期に時代を移し変え,岩内町の大火は,刑務所を出た3人の男による岩幌町の放火に形を変え,青函連絡船洞爺丸は層雲丸と名を変えて,10年にわたる壮大なスケールの物語へと発展していったのである.


「飢餓海峡」は,昭和22年9月20日に物語の幕を開ける.この日,折からの台風で,津軽海峡は暴風雨域にあった.このあおりをうけ,層雲丸は沈没し,死者が400人以上におよぶ大惨事となる.不思議なことに,この多数の死体の中に,引き取り手のないものが二つあった.またちょうどこの日,岩幌町が大火でその3分の2を失うという事件があった.後の捜査で,この大火は,ある3人組が質屋を強盗殺人し,その後放火したものが原因であるということが判明する.


一見,独立に見えたこれらの事件であるが,刑事たちの捜査により,戦慄の事実が発覚する.引き取り手のない二つの死体は強盗殺人犯3人の中の二人であった.残りの一人,犬飼多吉は,層雲丸救助のどさくさにまぎれ,青森県下北半島に逃走したのである.犬飼は,あの暗く厳しい津軽海峡を,和船で漕いで渡っていったのであった.これから,10年に渡る,弓坂警部補らの執念の捜査追及が始まるのである.


犬飼は,青森の大湊で,とあるきっかけで娼婦杉戸八重と出会い,一夜をともにする.八重は,水上作品でよく描かれる,運命や貧しさに翻弄されながらも,人としての純粋さを失わない哀しい女である.八重の出る場面はいずれも切々として,読む者の胸を打つ.(ちなみに,「飢餓海峡」は映画化もされており,日本映画史に残る傑作であるが,八重を演じる左幸子の演技がすばらしい.この映画についてはいつかレビューを書いてみたい)


犬飼と八重の交わりは淡いものであった.しかしながら,犬飼は,質屋を強盗して得た金の中から,500枚以上にもなる100円札の札束を与え,去っていく.この金は,八重を苦界から救い,父親の病気を治し,また八重が東京で再出発するに余りある大金であった.犬飼にとっては,八重の親切に対するささやかな礼であったろう.また,自らの犯罪に対する贖罪の思いもあったかもしれない.だが,八重の感謝の念は大きく,また同時に,犬飼に対する愛情すら芽生えたのであった.そして次第にこの思いは,八重の生きる拠り所ともなっていく.


その2に続く)




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