スタンドバイミー (映画,本)

(いろいろとネタばれがあるので,映画や原作を見てない方はご注意ください)


Stand By Me (trailer) - YouTube



“I just wish that I could go someplace where nobody knows me.”



私が偏愛する映画(原作も)の一つに,Stand By Me がある.これについては以前,このブログに書いたこともあるのだけれども (Stand by me (スタンドバイミー)),あまりまとまったことは書いていないので,新たにエントリにしてみたい.


Stand By Me は,郷愁を呼び起こすような少年時代の友情を描いた映画としては,最も有名なものの一つではないだろうか.だが,そのストーリーは,少なくとも表面的に見れば,非常に単純である.ゴーディ,クリス,バーン,テディの4人の少年が,ふとしたきっかけで,事故死した少年の死体を探しに線路伝いの旅に出るというものである.では,このような映画が,私も含めて多くの人の心をとらえて離さないのはなぜだろうか.


この映画のテーマをやや乱暴にまとめるとすれば,死と青春(あるいは愛)という,対照的な二つのものになるだろう.そして,前者に比重があると思われるのがスティーブン・キングの原作であり,後者に比重があるのが,映画スタンドバイミーであると思われる.それは,原作のタイトルが「The Body (死体)」であり,映画のタイトルが「Stand By Me」であるということに象徴的に表されている.そして,映画においても原作においても,その二つのテーマが,死体を捜しに行く少年たちの旅によって互いに橋渡しされているのである.


映画 Stand By Me では暗示的に,また,原作ではやや強く,死というテーマは表現されているように感じられる.死という言葉が刺激的に過ぎるのならば,人生と言い換えてもいいかもしれない.そのようなテーマは,そもそも,死体を捜しに線路伝いに旅していくというストーリーによって端的に表されている.すなわち,線路の持つイメージもあいまって,少年4人の旅は,(最終的には死に向かっていくという)人生を表現するものではないかということは,おそらく誰しもが思うことだろう.


しかしながら,この映画における上の二つのテーマの表現は,それほど単純なものではない.まず,この映画を見て思うのは,人生は自己相似性をもつということだ.すなわち,人生におけるどんな短い期間でも,それは,全体の人生と同じほどの複雑さと重さを持つということである.Stand By Me においては,わずか二日間の旅という小さな窓を通して,彼ら4人の,ひいては我々の,人生そのものを窺い見ることになるのである.


そして,このようにして窺い知れる彼らの人生は,決して明るいものではない.ゴーディ,クリス,テディ,バーンの4人は,皆,世間や親・兄弟による無関心,悪意などにさらされる.彼らはそれらに対してあまりにも無力であり,大人や理不尽な世界に翻弄されるままになっている.そして,それ故にこそ,彼らは愛を求められないではいられない.Stand by me,そばにいてほしいのだ.その対象は親であり,友人である.そこにあるのは,異性への愛を求める前の段階にある,少年の孤独な魂なのである.それは,我々の誰もが少年時代に持っていたものであり,またその後,大人となった我々の,子供に対する愛が向かっていく先にも,そのような魂がある.それ故に,この映画は世代を超えて共感されるのである.そしてまた,そう考えてくると,私は,福永武彦によって描かれる作品世界についていつも思いをはせてしまう(たとえば,「塔 (福永武彦)」など).


さらに我々は,映画という枠を通して見ていた,その枠を広げて想像を働かせざるを得ない.この旅を終えた後,彼ら4人は,成長して新しい自分として生まれ変わることができただろうか?


おそらくそうはなるまい.誰しも,自分の過去や今の環境をきれいにぬぐい去り,新たな人生を始めることはできはしない.彼ら4人も,そして我々も,過去や理不尽な世界を否定することはできず,それを受け入れ,それを背負って生きていくしかない.そして,彼ら自身が子供を産んだとき,その子供らもまた彼らと同じような人生を歩んでいくかもしれないのである.原作では,不良少年グループのリーダーであったエースの成人後の人生にも,それが示唆されているように思う.彼ら4人の人生も,おそらくはそういうものになっただろうと予感させる.


ここで,おそらくと言ったのは,原作の小説では,ゴーディ以外の3人はすべて若いうちに事故死してしまうからである(映画では,クリスの死のみが語られる).原作の結末としてキングが用意したものは,残酷なものであったといえるかもしれない.ゴーディら4人が見つけた死体,それは,彼ら自身の将来を象徴するものに他ならないのであった.私は,この映画を見るたび,人生におけるある抗いがたい力や,それに対する漠然とした怖れというものが,この作品の根底にあるような気がしてならないのである.そういう意味で,このスタンドバイミーは,現代ホラーの名手としてのキングの他の作品に通底するところがあるのかもしれない.


そしてここで指摘しなければならないのは,クリス役を演じたリバーフェニックスもまた23の若さで亡くなったということだ.Wikipedia のリバーフェニックスのページを読むと,いろいろな感慨が湧いてくる.この映画のキャスティングは,映画の後にノベライズされて小説が書かれたのではないかと思わせるくらい,奇跡的なものであるが,特にリバーフェニックスの死によって,現実と映画の虚構とは完全に交錯しあうものになってしまった.それが,この映画が人々にとって忘れられないものになっている一因になっている.


いずれにせよ,Stand By Me の基調はほのかに暗く彩られている.しかしながら,またそれ故にこそ,自分がまだ何者であるかすらわからない少年時代に,将来への期待と不安に震えながら,互いに寄り添おうとする少年らの姿は,根底にある死の影とはあまりに鮮烈な対照をなしている.そしてそれは,われわれ誰しもが胸に抱えながら,普段は気づくことのないかけがえのないものの存在を,郷愁と共に思い出させてくれる.それ故に,Stand By Me は忘れられない映画となっているのである.




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