仰臥漫録 (その1) (正岡子規)
正岡子規の作品が好きで,岩波文庫から出ているものはたいてい読んだように思う.中でも,「仰臥漫録」は,今まで繰り返し読んできた.この夏休みにも読み返し,思うところもあるので,ここにエントリにしてみたい.中途半端な長さになってしまったので,二つのエントリに分けてみることにする.
仰臥漫録は,明治34年から,子規が死に至る翌年の明治35年まで,その病床の記録を子規自身が記したものである.明治34年当時,子規は35歳であったが,既にその肺は左右ともほぼ空洞になっており,いつ死んでもおかしくないような状態だったという.自分では寝返りも打てないような重病人の子規が,文字通り仰臥のまま毛筆で記したものがこの仰臥漫録である.
仰臥漫録において,子規自身が赤裸々に語る,闘病時における激痛・苦悶の様子はすさまじい.
前日(註:明治34年10月6日のこと)来痛かりし腸骨下の痛みいよいよ烈しく堪られず この日繃帯とりかへのとき号泣多時,いふ腐敗したる部分の皮がガーゼに附著したるなりと
背の下の穴も痛みあり 体をどちらへ向けても痛くてたまらず
阿鼻叫喚としか形容できないような子規の苦しみは,一週間後の10月13日に一つの極限を迎える.あまりの苦悩に耐えかねた子規は,ついに(坂本)四方太に電報を打つよう母をさし向ける.そして,家で一人になった子規は,苦しみのあまり,たまたま近くにあった小刀に向かって,自殺しようかするまいか煩悶するのである.このときの子規の姿は,胸をつかまれるかのような痛切極まりないものであり,ここに引用するさえ忍びない.そして,子規に比べるべくもないが,かつての自分も同じような思いをしたことがあった.ただ,懶惰な人生を歩んできた私には,子規の苦しみに共感するなどとはとても言う資格がない.
さらに,寺田寅彦等も指摘するように,この本を生々しく,かつ,悲劇的な色合いを帯びさせるものが,命旦夕に迫るといってもよい子規の,それに似合わないまでの旺盛な食欲である.子規は,毎日の食事を克明に記録している.例として,9月23日の食事をここに抜粋してみる.
朝 ぬく飯三わん 佃煮 なら漬 胡桃飴煮
牛乳五合(ママ)ココア入 小菓数個
午 堅魚(かつお)のさしみ みそ汁 粥三わん なら漬 佃煮 梨一つ 葡萄四房
間食 牛乳五合(ママ)ココア入 ココア湯 菓子パン小十数個 塩せんべい一,二枚
夕 焼鰮(やきいわし)四尾 粥三わん ふじ豆 佃煮 なら漬 飴二切れ
仰臥漫録では,このような量の食事の記述は,枚挙にいとまがない.死に面した子規のこのような大食漢ぶりは,見ようによってはあさましいとも思われる.また,同時に,その生命力の横溢に感銘を受けもする.しかし,いずれにせよ,このある種の哀しさのようなものこそが人間ではないかと気づかされるのだ.
そして,このような壮絶な闘病の時期にありながら,あるいはそれ故にか,仰臥漫録に記される俳句や絵画は,常人の到達できる境地ではなくなっているように思われる.体は膿にまみれ穴だらけになり,あまりの苦痛に絶叫,号泣に至るような状況であっても,子規の俳人としての魂は決して衰えることはなかったかのようだ.子規句集から,絶筆三句を引用してみる.
糸瓜咲て 痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
この子規の三句については,子規句集では以下のような注がある:
絶筆 三句 〔是れ子が永眠の十二時間前即ち十八日の午前十一時病床に仰臥しつゝ痩せに痩せたる手に依りて書かれたる最後の俳句なり 『日本』の前文〕
私には俳句の素養がないので,残念ながら間違っているかもしれない.しかし,子規は,詩人としての歩みをとどめることはなかった.子規の俳句は,その死の直前のこの三句で頂点に達したかのように思われるのである.
このような仰臥漫録を読んで,我々の胸に刻み込まれるのは,命や俳句などへの欲と執着が絡み合った,生々しいまでのリアリティをもった人間子規の姿であり,圧倒的な力を持った,子規の魂なのである.そしてそれこそが,子規を,他に類を見ない俳人・歌人たらしめているように思われるのである.
(その2 に続く)
追記
うかつなことに,今日は子規忌であった.それに気づかずこのようなエントリを書くのも恥ずかしいことであるが,修正するのはさらにみっともないので,このままにしておく.
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