東北関東大震災
初めに,今回の東北地方太平洋沖地震において被害に会われた方々に心からお見舞い申し上げます.
今回の震災に際して,実生活でもできることはやっておりますが,このブログの範囲でもできることはないかと考えました.もとより,有用なことが書けるとは思っておらず,また,まとまりのない内容になりましたが,少しでも共感できるものになっていれば幸いに思っています.
ここ数日,ニュースの報道を見るたびに,つらい思いをしております.震災に遭われた方々がどれほど悲痛な思いをなされているか,想像するさえ耐えられないような気がします.私にも知り合いが福島,茨城におり,地震直後の週末は,安否確認等でいろいろと心痛めておりました.
もちろん,今後予断を許さないとはいえ,現段階では大きな被害に遭ってない私は,震災者の皆さんのつらい思いを分かっているとは言えないでしょう.けっきょく自分の身に引きかえていろいろいと想像しているにすぎず,そうした点からは遣り切れない思いもします.
それでも,ここ数日,知り合いとの連絡や,多くの町を飲み込んだあの巨大津波などの映像をそれこそ一日中見続けた結果,大きなストレスを感じるようになりました.いわゆる PTSD (心的外傷後ストレス障害)については,経験したわけではありませんが,なるほどあり得るだろうというような実感を持つに至っています.
それで,今日まで,生産的なことは何もやる気が起きませんでした.このブログも,どうせ大したことも書いてないし,いっそ閉じてしまったほうがせいせいすると思ったくらいです.そんなときに,以下の写真を見ました.仙台空港に避難している男の子が撮影した女の子の写真だということです.
【東日本大震災】仙台空港に避難している男の子が撮影した女の子。過酷な状況にもかかわらず元気いっぱいだった=13日午後、宮城県名取市の仙台空港 - MSN産経ニュースhttps://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110313/dst11031319000085-p1.htm
いままで悲惨な映像ばかり見てきたせいか,この写真を見たときには,恥ずかしながら涙が出てきました.また,大した被害にも会ってない私が,つらいだなどとネガティブな気分になっていることが情けなくなりました.私たち大人は,これらの子供がこの笑顔のままに生きていくことができるような世界を作っていく責任があると思うのです.血がつながっている子供でも,血がつながっていなくても構わないのです.どんな国の子供でも構わないのです.そしてそれは,河井酔茗の詩「ゆずり葉」が言っていることではなかったでしょうか.この詩は,私が最も好きな詩のうちの一つです.
ゆずり葉 河井酔茗
子どもたちよ
これはゆずり葉の木です
このゆずり葉は
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる
新しい葉に命を譲って──
子どもたちよ
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前達にゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません
かがやける大都会も
そっくりおまえたちがゆずり受けるのです
読みきれないほどの書物も
みんなお前達の手に受け取るのです
幸福なる子どもたちよ
おまえたちの手はまだ小さいけれど──
世のおとうさん,おかあさんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,善いもの,美しいものを
いっしょうけんめいにつくっています
今,おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちはのびる
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気がついてきます
そしたら子どもたちよ
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときがくるでしょう
今の時代の状況では,子供たちに譲り受けるものはむしろ重荷のほうが大きいかもしれません.それでもその重みをなるべく減らし,善いもの(そういう言い方には語弊があるかもしれませんが,いい言葉が思いつかない)をなるべく残していくということが,我々大人にとって大事なことであるという気がしました.その思いで,明日からまた頑張っていこうと思っています.
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