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人類が滅びるとき

以下のような記事があった: 人類史、迫る初の人口減少 繁栄の方程式問い直す 人類の爆発的な膨張が終わり、人口が初めて下り坂に入る。経済発展や女性の社会進出で、世界が低出生社会に転換しつつある。(以下略) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021H00S1A600C2000000/ 上の記事から引用: 世界人口は2064年の97億人をピークに減少する――。米ワシントン大は20年7月、衝撃的な予測を発表した。 50年までに世界195カ国・地域のうち151が人口を維持できなくなる。国連は「2100年に109億人となるまで増え続ける」と試算していたが、出生率が想定以上に落ち込む見通しだ。 こういう記事を読むと、いつも考えてしまうことがある。 人類が滅びるのは、戦争とか災害などが原因ではなく、少子高齢化のせいかもしれない。それは分からない。そして今の人類が滅びた後は、また新たな人類が誕生し、文明が発展していくが、いつかは滅びていく。宇宙の気も遠くなるような時間の中では、このようなことが繰り返されているのかもしれない。 そのように考えていくと、いつも思うのだ。一人の人生とは、何とちっぽけなものなのだろう。 それでも人は生きていかなければならない。そして人生とは、つまるところ、自分が納得できるかどうかなのではないか。 いずれにせよ、人類が滅びようが滅びまいが、それに比べれば一人の寿命ははるかに短い。そして、人間という存在がささやかなものであるからこそ、祝福されており、また、神の恵みがあるようにも思えるのである。

答のない問いに答えるということ

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ブログのリハビリ期間である。 二カ月以上前に、以下のような記事があった: WEB特集 “答えのない教科書” のぞいてみませんか? | 教育 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210401/k10012949721000.html それで思うところがあったのでブログを書こうと思ったのだが、バタバタしているうちに時間も過ぎてしまい、エントリを書く気力も失せてしまった。ブログに限らず、鉄は熱いうちに打てということを痛感する。 そのエントリを書く気がなくなったが、せっかくなので簡単にまとめておくと、答のない問いに答えるということは、結局、人生を選択するということと同じ意味を持つのである。 T2 Trainspotting (2017) - Choose Life Scene (6/10) | Movieclips - YouTube 選択ということについては、次のエントリでまとめて書いてみたい。

生存確認エントリ

ブログをさっぱり更新してませんが、元気に生きてます。でも、こんなに更新しない年は初めてかな。 ブログに飽きたということは全くなくて、書きたいことは山ほどあります。ただ、このブログは丁寧に書きたいという気持ちが強くて、なのにまとまった時間が取れないと、ついつい気分が億劫になってしまうという感じでしょうか。なんだかんだで今年は忙しいし。 時間ができたら、再開したいと思います。すみません。短いエントリならちょこちょこ書くかも。

人と人に架ける橋

以下のエントリを読んで、興味深く思った。 株式会社ゼンリンさん発案!思わずなんじゃと言いたくなる「びっくり道路選手権」タグ抜粋まとめ - Togetter https://togetter.com/li/1639403 上記エントリを読んで特に思いをはせてしまったのは、橋についてである。橋とは、一体何であろうか。 もちろん辞書的に言えば、橋は、対岸へ渡ることを目的とする建築物のことである。しかし、橋は、人にとって、その語義を超えた意味を持つように思うのだ。 橋というものを考えるとき、いつも私の頭に浮かぶのは、水上勉の文章である。 水上勉は大正8年、福井県に生まれた。その父は寺社大工といっても貧しく、水上は9歳から家を出され、瑞春院(京都)の徒弟となった。このような背景は、後の水上作品にたびたび描かれている。 たとえばその一つに、「生きるということ」という作品(新書)がある。そのエッセイにある以下の文章は、水上の生い立ちとともに、橋というものを語り、読むものの心をしみじみ揺さぶるのである:  小さいころ、母はよく、谷の奥に私をつれていって、蓑(みの)一枚ぐらいしかない小さな田の畦(あぜ)にすわらせ、自分は胸までつかる汁田(しるた)で苗を植えていた。この谷は暗くて、一日に陽が三時間ほどしか射さなかった。村でもきわめて貧しい谷であった。そんな谷の口に私たちの家があった。谷には畑もあった。そこで、母は芋や大根をつくった。ここへゆくのに、深い川が一つあった。木橋がかかっていたが、大水のたびによく流失したので、母はよく橋普請した。(中略)母は、自分一家の収穫のための谷田へわたされた橋を、その生涯に何度架けただろう。(中略)  私は、九歳でこの母に別れた。京都の寺へ小僧に出たからだが、故郷のことを思うと、母の架けていた橋が瞼(まぶた)にうかんだ。今日も、それはうかぶ。旅をしていて、汽車が、似たような山の谷をすぎると必ずうかぶ。ああ、日本という国は、どうして、こんなに似た谷や山が多いのか。青森でも、四国でも、九州でも、わが在所の谷と似た谷をみた。それらのいずれの谷にも、奥へゆくと、小さな橋が架かっているだろう、と私は思ったものだ。 同書でさらに水上は、続けて、名古屋市熱田にあった、裁断橋(さいだんばし)の擬宝珠(ぎぼし)に書いてある碑文を紹介する。それによれば、豊臣秀吉の小田原の陣...

ブログ開設15周年と赤毛のアン

某所ですでに書いたことであるが、ウェブリブログは開設お祝いメールを毎年送っていたのだが、今年から送らなくなったようだ。そういえば、去年の14周年のときにはお祝いメールが送られてきたのだが、すっかり忘れていた。そんな体たらくなので説得力はないが、残念には思っている。 このブログでは、これまで開設メールが届くたび、その時の所感をエントリにしてきた。その習慣(というほどでもないが)が途切れるのも気持ち悪いので、今後は一年に一回、個人的にブログ開設記念エントリを書くようにしたい。自意識過剰とお叱りを受けるかもしれないが、まあブログなんて、自意識過剰の結果書くものである。というわけで、以下、恒例のブログ開設記念エントリである。 最初に、記録として書いておくと、このブログは今年の6月20日で15周年を迎え、PVは 677,302 くらいである。14周年では、PVは 586,026 だった。 それにしても、15年か――。綱渡りといえば大げさだが、なんとか生きてこられたというのが正直な実感である。 その間、自分の考え方も、年齢相応に変わってきた。それはさまざまな機会に感じることなのだが、たとえば、昨年ふとしたきっかけで、「赤毛のアン」を読むことがあった。そのときに、自分の変化を痛感したのである。なお、最近NHKでアンの外国ドラマの放送かあったようだが、偶然で、私は未見である。 私が新潮文庫の赤毛のアンを最初に読んだのは、中学生のときだっただろうか。そのときは、この小説がなぜ名作なのか分からなかった。端的に言えば、退屈にしか思えなかった。 そんな記憶があったので、赤毛のアンを再読したときも、期待はしてなかった。ところが、読了後の感想は、我ながら予想外だった。率直に言うと、ひどく感動してしまったのである。 たとえば、以下のような場面がある。マシュウとマリラの兄妹は、孤児院から男の子を一人引き受けることになった。しかし、マシュウが駅に迎えに行ったとき、実際にやってきたのはアンだったのである。事情を知らないアンは、孤児院から出る今後の生活に期待して、喜びに胸を膨らませる。しかし、家に連れて帰ったとき、アンは歓迎されなかった。マリラは、男の子を期待していたからである。アンは、マシュウとマリラが話すのを、黙って見つめるしかなかった。  この話がとりかわされている間、こども(注: アンのこと)は...

信仰とは

あるブログで、隠れキリシタン(正確には潜伏キリシタンというべきか)に関するエントリがあった。そのエントリについて言及するつもりはないが、信仰ということについて以前から思っていることがあるので、まとまりはないが、ブログに書いてみたい。 信仰のことを考えるとき、宗教について考えないわけにはいかない。信仰と宗教については、人それぞれ思うところがあるだろう。しかし、私がいつも思うのは、敬愛する作家、井上ひさしの文章である。 井上ひさしは、「四十一番の少年」に描かれているような、辛苦ともいうべき少年時代を過ごした。しかしその時代の井上の宗教的生活については、私は、「道元の冒険」のあとがきにある、以下の記述が強く印象に残っている。  わたしが宗教と遭遇したのは中学三年の秋であり、その宗教はカトリックだった。その出会いはこちらから求めたものではなく、気がついたときすでにわたしはカトリック者たちのまっただ中にいたのである。つまり、わたしは中学三年の秋、カトリックの養護施設に収容されたのだった。  一年がかりで、わたしは五百項目以上に及ぶ公教要理(カテキズム)を暗誦し、毎朝六時に捧げられるミサに出席し、朝夕ロザリオを一環ずつ唱え、やがて洗礼を受けたが、べつに、三位一体の玄義を理解し、天地の創造主である天主の存在や、キリストの行なった数多くの奇蹟や、教会のもろもろの秘蹟を信じたからではなかった。  わたしが信じたのは、遙かな東方の異郷へやって来て、孤児たちの夕餉(ゆうげ)をすこしでも豊かにしようと、荒地を耕し人糞を撒(ま)き、手を汚し爪の先に土と糞をこびりつかせ、野菜を作る外国の師父たちであり、母国の修道会本部から修道服(スータン)を新調するようにと送られてくる羅紗(ラシャ)の布地を、孤児たちのための学生服に流用し、依然として自分たちは、手垢と脂汗と摩擦でてかてかに光り、継ぎの当った修道服で通した修道士たちだった。  べつの言い方をすれば、わたしは天主の存在を信ずる師父たちを信じたのであり、キリストを信ずる襤衣(らんい)の修道士たちを信じ、キリストの新米兵士になったのだった。 また、ある小説から、信仰に関して紹介したい。 たびたびこのブログで書いているように、私はクリスチャンではない。しかし、私にとっては、信仰の対象として、イエスのことがまず思い浮かぶ。そして、イエスへの信仰ということ...

LaTeX メモ ― AUCTeX 入門(その3)

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(その1) から始まった本ブログの AUCTeX 入門トリロジーも、これが最後のエントリである。このエントリでは、AUCTeX の preview 機能をテーマにしたい。 と言っても、 (その2) までの設定が終われば AUCTeX から外部ビューワを起動できるようになるし、そもそも特に設定することなく、 doc-view を使えば emacs で ps, dvi, pdf などを見ることができる(LibreOffice をインストールしていれば、Office ファイルを読むこともできるようだ)。したがって、AUCTeX のプレビュー機能の必要性はそれほど高くないかもしれない。 しかしながら、AUCTeX のプレビューは有用であるし、私も好きな機能でもある。そこで、今回はもう改めて書くほどの内容はないが、エントリにしてみたい。なお、 (その1) と同様、本エントリの内容は GNU Emacs 26.1, AUCTeX 12.2.0, TeX Live 2019 で試した。さらに、以下では、 (その1) と (その2) で述べた設定は行っているものと仮定する。 プレビュー LaTeX は、Word のような WYSIWYG なツールと異なり、現在の編集の効果を把握しづらい。しかし、ソースとなる tex ファイルから、複数のファイルやツールを用いて最終的な pdf を作成し、編集結果を確認するのというのも手間と時間がかかる。そこで便利なのが、AUCTeX の preview 機能である。 AUCTeX の preview については、論より証拠で以下のスクリーンショットを見れば分かりやすいだろう。 このスクリーンショットは、以下のファイル: sample.tex を、AUCTeX で C-c C-p C-d ( M-x preview-document ) することによって得られたものである。ただし、画像ファイル ` Ghostscript_Tiger.eps ' は配布しないので、各自適当なファイルで試されたい。この画像自体は有名なので、それを入手して eps にするのも簡単である。 そして、preview されたドキュメントを元に戻すには、 C-c C-p C-c C-d ( M-x preview-clearout-document ) とすればよい...