ブログ開設15周年と赤毛のアン

某所ですでに書いたことであるが、ウェブリブログは開設お祝いメールを毎年送っていたのだが、今年から送らなくなったようだ。そういえば、去年の14周年のときにはお祝いメールが送られてきたのだが、すっかり忘れていた。そんな体たらくなので説得力はないが、残念には思っている。


このブログでは、これまで開設メールが届くたび、その時の所感をエントリにしてきた。その習慣(というほどでもないが)が途切れるのも気持ち悪いので、今後は一年に一回、個人的にブログ開設記念エントリを書くようにしたい。自意識過剰とお叱りを受けるかもしれないが、まあブログなんて、自意識過剰の結果書くものである。というわけで、以下、恒例のブログ開設記念エントリである。


最初に、記録として書いておくと、このブログは今年の6月20日で15周年を迎え、PVは 677,302 くらいである。14周年では、PVは 586,026 だった。


それにしても、15年か――。綱渡りといえば大げさだが、なんとか生きてこられたというのが正直な実感である。


その間、自分の考え方も、年齢相応に変わってきた。それはさまざまな機会に感じることなのだが、たとえば、昨年ふとしたきっかけで、「赤毛のアン」を読むことがあった。そのときに、自分の変化を痛感したのである。なお、最近NHKでアンの外国ドラマの放送かあったようだが、偶然で、私は未見である。


私が新潮文庫の赤毛のアンを最初に読んだのは、中学生のときだっただろうか。そのときは、この小説がなぜ名作なのか分からなかった。端的に言えば、退屈にしか思えなかった。


そんな記憶があったので、赤毛のアンを再読したときも、期待はしてなかった。ところが、読了後の感想は、我ながら予想外だった。率直に言うと、ひどく感動してしまったのである。


たとえば、以下のような場面がある。マシュウとマリラの兄妹は、孤児院から男の子を一人引き受けることになった。しかし、マシュウが駅に迎えに行ったとき、実際にやってきたのはアンだったのである。事情を知らないアンは、孤児院から出る今後の生活に期待して、喜びに胸を膨らませる。しかし、家に連れて帰ったとき、アンは歓迎されなかった。マリラは、男の子を期待していたからである。アンは、マシュウとマリラが話すのを、黙って見つめるしかなかった。


 この話がとりかわされている間、こども(注: アンのこと)は黙りこくっていた。いきいきした光は顔からあとかたもなく消えて、二人のほうをかわるがわる見ていたが、突然、話の内容がすっかりつかめたらしく、大事な手さげかばんをとり落とすと、ぱっと一歩とびだし、手を組み合わせて叫んだ。

「あたしを欲しくないんだ。男の子じゃないもんで、あたしをほしくないんだわ。やっぱりそうだったんだわ。いままで誰もあたしを欲しがった人はなかったんだもの。あんまり素晴らしすぎたから、長続きしないとは思ってたけれど。あたしをほんとに待っててくれる人なんかないってことを知ってるはずだったんだわ。ああ、どうしたらいいんだろう? 泣きだしちゃいたいわ」

 そのとおりに女の子は泣きだした。テーブルのそばの椅子に腰をおろすと、両腕をその上に投げだし、うっ伏したまま、はげしく泣きじゃくりだした。


この部分を読んで、私は、目頭が熱くなるような思いがした。それでも、涙をこらえることができた。


しかし、マシュウとマリラが話している以下の文章を読んだときは、もう涙を抑えることができなかった。


「そうさな、あの子はほんにかわいい、いい子だよ、マリラ。あんなにここにいたがるものを送りかえすのは、因業(いんごう)というものじゃないか」

「マシュウ、まさかあんたは、あの子をひきとらなくちゃならないと言うんじゃないでしょうね」

 たとえマシュウがさか立ちしたいと言いだしたとしても、マリラはこんなに驚きはしなかったであろう。

「そうさな、いや、そんなわけでもないが――」問いつめられて困ってしまったマシュウは口ごもった。「わしは思うに――わしらには、あの子を置いとけまいな」

「置いとけませんね。あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?」

「わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ」突然マシュウは思いがけないことを言いだした。


この文章に心揺さぶられるのは、ある程度年齢を積み重ねてからだろう。少なくとも中学生のときの私は、これを読んでも何も思わなかった。というより、マシュウの言葉の意味が不明だった。しかし今となっては、マシュウの思いが、分かるような気がするのである。そしてその理解は、私なりの陰影を帯びている。


マシュウは、無自覚に、内なる思いの向かう先を探していたのではないか。その思いを表すとしたら、やはり、愛という言葉が最も近いように思えてならない。


その思いは、マシュウとマリラからアンへ向かう献身のようなものにつながっていったが、決して一方通行で終わるものではなかった。アンもまた、おそらく自覚はなかったろうが、マシュウとマリラを支えるのである。つまり、アンの存在こそがマシュウとマリラを支えていたのであった。


このような存在への思いは、配偶者や自分の子供への思いと同様で、多くの人が共感するだろう。そしてその思いは、若いころの激しいものとは異なり、静かで、だからこそ深くなっているような気がするのだ。


一方で、そうした思いを愛という言葉でまとめようとするとき、今の私はひやりとしたものを感じないではいられない。


愛する人に対する思い、それは、その人がいない世界を考えるのすら恐ろしいという恐怖と表裏一体である。しかしそれは、敢えて単刀直入に言えば、愛というより、依存ということなのではないか。そして人は、愛と依存を、明確に区別することができるのだろうか――。そう考えるとき、我々は、人生の深淵のふちに立っていることに気づくのである。


おそらく、その問いに、納得できる答えを見つけることはできないだろう。ただ、人は、どういう環境であれ、こうした割り切れない思いと生きていかざるを得ない。そうした、その人なりの不条理を避けることはできないのである。


結局、そのような割り切れない思いに寄り添い、ともに歩んでいくことが、人が生きるということなのだろう。そして、人生というものに、流れていない涙を感じてしまうのである。



・・・



15年は、本当に長い時間でした。その間、私の考え方もいろいろ変わってきました。その変遷を記録する場としてブログは貴重であるし、私自身、ブログを書くのはいまだに楽しいです。今後とも続けていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。



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